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 01


「珍しいな、お前から声かけてくるなんてよ。なんか悩み事か?」
「悩みと言うほどではないが……、」

左之の問いに口ごもる。
平助が綺麗な色に茹で上がった緑色の枝豆の皮を歯で器用に外しモグモグと咀嚼するのを、半分ほど空けたビールジョッキをテーブルに戻した斎藤がちらりと見やった。

「なんだよ、一君にしちゃ歯切れが悪いじゃん。はっきり言えよ」
「平助を呼んだ覚えはない」
「別にいいじゃん。久しぶりなんだし」

居酒屋はテーブルとテーブルの間隔が狭くこじんまりとした造りである。同じ剣道サークルに在籍していた三人は順次卒業しそれぞれ違う勤務先に就職してからも、学生時代によく集まった此処に時折共に足を運ぶことがあった。
当時サークルの主将をしていたのが最年長の左之であり、第一副将を斎藤、第三副将を平助が務めていた。
店の客の入りはそこそこあるが大半を学生が占めている。メニューはどこにでもあるような変わり映えのしないものだが焼き鳥が旨いと評判である。運ばれてきた砂肝の塩焼きに齧り付いた平助が振り返って声を上げる。

「おばちゃん、生一杯、お代わりな!」
「平助は食わしときゃいい。で、何があったんだ?」
「生ビールをもう二つ追加だ」

残りのビールを呑み干し、左之の空になった手元に目を留めると、斎藤は二つのジョッキを平助の方へ押しやった。
この席には来ていないがかつて同じ大学で同じサークルに所属していた現在も懇意の人物が、この三人の他にもう一人いた。
それは斎藤の恋人であり、当時第二副将であったみょうじなまえである。





「ああ、気持ちいい。しみる〜」
「ほんと! マイナスイオンが効いてる〜」

薄っすらと額に汗を浮かべ、ブラックシリカの岩盤の上で仰向けに返した身体の腹部に載せたホットストーンの温かさを感じながら、なまえは眼を閉じた。
女性専用リラクゼーション施設の照明を落とした空間、ごく低く流れるアジアン音楽と仄かなアロマの香りに包まれ至福を感じる。
クールダウンルームに移動しミネラルウォーターで水分を補給しながら、間接照明を浴びた涼しげなアイスマシーンを眺めていると、隣に座った友人の千がなまえをじっと見つめた。

「肌、本当に綺麗よね」
「そんな、千の方が綺麗だよ」
「いやいや、なまえの方が……って女同士で褒め合ってもつまらないわね。そう言えばどうなの?」

千がクスクスと笑いながらなまえの滑らかな頬に触れ、続いて肩にも手を滑らせる。学生時代に剣道をやっていたからかほんのりと汗を滲ませた肌に纏った作務衣ごしにも、なまえのしなやかで引き締まったボディラインが見て取れる。
「やめてよ」と笑いながら身を捩るなまえと千は高校時代から親しい付き合いを続けており、恋の悩みを相談し合ったり旅行に行ったりとプライベートで一番気の置けない女友達である。
斎藤と恋人同士になるまでの経緯は千も熟知していた。

「斎藤さんと付き合って半年よね? もう彼、なまえのこと手放せないでしょうね」
「え……、」
「だってなまえって本当に綺麗な身体してるもの」
「…………、」





斎藤は同級だったなまえと互いに憎からず想い合っていながらも、どちらも不器用で口下手な為、気持ちを伝え合うまでに長い長い時を要した。
女剣士として数々の大会に出場し会場を沸かせたなまえは、女性ながら剣道馬鹿と言ってもよいタイプで取得段位は三段、四段保有で師範級の腕前の斎藤とも遜色なく打ち合えるほど熟達していた。
試合や練習で白い胴着と袴を身に着け、小柄な身体を翻す様は日頃のあどけなさとは相反する凛々しさであったが、普段着の彼女は小柄で自己主張の強いタイプでもなく、有段者と聞けば誰もが例外なく驚く。サークル内でも彼女に憧れている者は決して少なくはなかった。
一方の斎藤はどこにいても目立つ美形に、濃紺の上下を身に着けひとたび面を被り竹刀を持てば、鬼神のような強さを見せる。なまえと共に団体戦でも個人戦でも多数の大会の優勝を攫った。反面黙って立っていれば物静かで端整な彼は、言うまでもなくサークルの女子のみならずその人気は絶大だった。
共に天然気質でありそういったなまえと斎藤であれば、当人達を差し置いて回りが自然とヤキモキとさせられたものである。
卒業後も折に触れ顔を合わせる三人だったが、日頃酒を呑むために招集をかけるのは大抵左之か平助と決まっていた。
今夜に限って斎藤からの連絡があったと思えば、自ずから話の内容にも見当がつく。
折しも金曜の仕事上がりなのである。
斎藤の前にある豆腐の味噌漬けに、横から箸を伸ばす平助に眼をくれず物言いたげでいながら、それでも言い淀む斎藤の手元を見遣り左之が銚子を傾けた。

「お前、なまえと上手くいってねえのか?」
「そういうわけでは、」

尚も口を濁し猪口の酒を呷る。この男は昔からこうだったと左之は思う。
剣道は元より大抵のことは卒なく器用に正確にこなす癖に、こと恋愛に関してはからっきしである。左之を初めサークルの仲間達やなまえの友人も巻き込んで、卒業も間近となった頃ついにと言う感じで二人をくっつけた時は皆が一様にやれやれと思った。あれから半年になる。

「なあ、なんかあるなら言えよ。今更隠すような間柄じゃねえだろ?」

おもむろに俯いた斎藤の目元がほんのりと染まった。
聞き取りにくい低い声が「その……今よりも親密な関係とは如何にすれば……」と呟くのが聞こえた。
平助の箸の先に摘ままれていた唐揚げが皿にボトリと落ちる。

「ええっ? 一君、なまえとあっちの方面まだなのか?」
「へっ、平助、声が大きいっ、あっちとは何だ……っ」
「は? まさかだろ、斎藤ほんとか? ちゃんと話せよ」
「……ま、まさかとは?」
「つまりお前、なまえをまだ抱いたことがないんだろ。それでどうしたらいいかって言いてえんだろ」

声を低めた左之の言葉を聞くなりガタッと音を立てて立ち上がった斎藤は、狭い店の客達から一瞬にして注目を浴びた。

「き、決めつけるなっ! 俺とてなまえを愛している故、当然……っ!」
「ちょっと、一君、声でけえ」

平助が慌てて声を潜める。竹刀を振るっている時以外には出した事のない音量の声を発し、茹った蛸のように湯気を出した斎藤がはっと我に返り椅子に力なく崩れ落ちる。
平助は眼を剥き、左之は堪え切れずに肩を震わせた。





一時間あまりのコースを終えシャワーを浴びる頃には、全身から毒素が抜けたような心地よさで、デトックスによりすっかりリフレッシュされた二人は、つやつやふっくらと張りを取り戻したお互いの顔を見合いながらはしゃいでパウダールームへと移る。

「ビールが呑みたくなったわね」
「うん、わたしもそう思ってた」

濡れた髪にタオルをターバンのように巻きなまえが下着を身に着けていると、ふと隣のロッカーを使っていた千が手を止めた。
千の視線を受けたなまえがその先を辿れば自分の胸のあたり。

「ねえ、なまえっていつもそんななの?」
「そんなって……」
「言いにくいけど、何ていうのかな、それ……、地味」

なまえの胸を覆うのは何の変哲もない白いブラ。それには特に飾りなどもなく明らかな機能性重視型である。きちんと毎回手洗いをして清潔を保ってはいるが、多少ヨレッとした感じだった。
千の凝視に耐え切れず思わず両手で胸を隠す。

「じ、地味って言ったって別にこんなのただの下着だし、別に」
「全然わかってない、なまえは」

光沢のある綺麗な淡いパープル地に、繊細なレースのかかった可愛らしいブラに包まれ形よく盛りあがる千の胸から、ふと目を落とせばお揃いの生地のショーツを身に着けていた。
「今どき高校生だってもっと素敵なブラ着けてるわよ」とか「見えないお洒落が女には大事なのよ」と千が早口でまくしたてる。

「そもそもこんなの何処に売ってるの?」

千の指先がピッとなまえの胸を差した。おずおずといった口調で大型スーパーの名を挙げると大袈裟な溜息をつく。「斎藤さんは何も言わないの?」と聞かれなまえは顔を真っ赤に染めた。

「ど、どうして一に下着のことなんか言われなきゃならないの」
「馬鹿ね、なまえ。男が好きな女の子の下着に興味がない筈ないでしょ」

色っぽいパープルの上下を惜しみなく晒し、仁王立ちをして腰に手を当てた千の剣幕に赤面しながらも、呆気に取られていれば不意に千がはっとしたように眼を見開いた。

「だいたいよ? あなた、どうして今こんなところにいるのよ」
「え? こんなところって前からの約束じゃない、今日は千と一緒に岩盤浴に、」
「そんなこと言ってるんじゃないわよ。今日金曜日よ? ああ、わたしもうっかりしてたわ」
「何のこと……?」

「金曜日に約束もないなんて! んもう、あなた達いったいどうなってるのよ。彼とちゃんと仲良し出来てるの?」

なまえのことなのにまるで自分のことのように肩を落とした千は、今にも頭を抱えんばかりに項垂れた。
この女友達は昔からセンスが良く、明るく華やかな容姿も相まっていつも洗練された雰囲気を持っている。ファッション雑誌も愛読しているので流行にも敏感だ。
比べてなまえはお洒落にあまり興味のない方である。と言うよりも学生時代は剣道ばかりやっていたので自分を飾る事に費やす暇がなかったと言うのが正しいかもしれない。
なまえの面立ちも十分に可愛らしく、何も塗らなくても透明感のある白い頬に濡れた様な大きな瞳は印象的で密かに衆目を集めているが、社会人となっても学生時代と変わらずそのあたりは無自覚だった。
やっと化粧を覚えたがそれはごく淡いものだ。清潔には気を遣っているし今日のように岩盤浴に訪れたり、お肌の手入れも自分なりにやっているつもり。
だけど千の言い分を聞いていれば俄かに色々なことに不安を覚える。
男の人ってそういうものなの?
いや、一般の男性の事等どうでもいい。斎藤は実のところどう思っているのだろう。
彼とは一度だけ。初めてだった。ぎこちない仕草で抱き合った。
お互いに言葉もなく、無論彼はなまえの下着のことについてなど何も言わなかった。好きな人と結ばれたことを幸せと思っていたし、彼もそう思ってくれているだろうと勝手に思い込んでいた。
なまえのクローゼットに仕舞われている下着などどれもこれも似たようなものだ。つまりどれもこれも地味だ。
彼はもしやがっかりしたのだろうか、あの夜。だから……?

「あの、ね、実はまだ一度だけしか……」
「ええ?」

なまえと斎藤が恋人関係になってそろそろ半年になろうというのに、この二人はまだたったの一度しか愛を確かめ合っていなかったなんて。
待って、信じられない。
千はなまえの口から語られた衝撃の真実に今度こそ本気で頭を抱えた。





左之がテーブルの上の皿を少しずらし、持参していたフリーペーパーを繰りあるページを開いた。
平助が興味深げに覗き込む。先程の一件以来いつも以上に無口になってしまった斎藤は黙々と酒を口に運んでいた。
不覚にも誘導尋問に引っ掛かり何と恥ずべき発言をしてしまったのか。これではなまえに申し訳が立たぬ。暗い顔でひたすら酒を呑む。

「だから悪かったよ。機嫌直せよ、斎藤」
「そうだよ。左之さんが悪いわけじゃねえじゃん。単に解釈の間違いじゃん」
「誰も悪いと言っていない」
「それにしても一君達が一回もないって言われればビックリだけど、済んでたってのもそれはそれで驚……、ちょっ、そんな怖い顔すんなよ」
「茶化すならば帰ってくれ」
「平助、少しは空気ってもん読めよ」

斎藤の底冷えのするような青い瞳に睨み付けられ、更に左之の呆れ顔を向けられた平助は肩を竦め口を閉じる。そこへ助け船を出すかのように折よく平助のスマフォがバイブ音を鳴らした。
画面を見て笑顔を作ると尻ポケットから財布を出し、平助が千円札を二枚テーブルの上に置く。

「わりぃ! 千鶴からだから俺帰るわ」
「なんだよ、彼女待ちの時間潰しだったのかよ」
「しょうがねえじゃん、金曜だかんな。そういや一君、なまえの……、」

立ち上がりざま平助が斎藤の耳に顔を寄せ、話しかける声があたりを憚るようにボソボソと小さくなる。割り込もうともせず左之がその様を見つめていれば、次の瞬間斎藤の顔が先程よりも激しく熱を上げ発火せんばかりに赤くなった。

「う、うるさい、早く帰れ」
「ははっ、左之さんまたな」
「おう」

軽く右手を上げ平助を見送った左之が「あいつ、なんだって?」と問えば斎藤は顔を赤くしたまま再び黙って俯いた。その瞳に左之が広げていたフリーペーパーの紙面が映り込む。
「俺はこのようなものは、」と言いかければ左之が含み笑いをした。

「そう馬鹿にしたもんでもないぜ? 意外と参考になる」

雑誌と言う物を自分から好んで手にすることのない斎藤は、占い記事のごときその頁を信じる気などさらさらないと思いつつ無意識に目で追う。
“彼女の心を掴む”と大書された下に項目が並んでおり、左之の指が差したところに“山羊座の君:恋愛運50%”と書かれていた。

「お前はこれだな。運勢がいいじゃねえか」
「50%というのがか? これでは何の教示にもなっていないではないか。どちらとも言えぬということだろう。そもそも運など」
「だから物は考えようだぜ。50%ならどっちに転ぶのもお前次第ってことだろ?」

下の方の別の記事に眼を移していけば”女性の方だって求めることがある”と書かれており、このフレーズで斎藤の喉がゴクリと鳴る。
更に”……をプレゼント”という言葉が目に入るに至り斎藤はフリーペーパーをパサリと閉じた。
本来左之に相談したかったことが先程のアクシデントでうやむやになってしまっていた。斎藤は改めて左之に向き直った。





スパを出てすぐの駅ビル地下のビストロでビールを飲みながら、千はなまえを前に滔々と語る。
「そんなこと言えるわけない」と情けない声で言えば「何言ってるのよ」と千に叱られた。
互いに都合が合わず斎藤とはゴールデンウィークを最後に会っていないと告げたが最後、千の唇はずっと動きっぱなしだ。

「女の子から誘うことの何がいけないの? 斎藤さんの性格は知ってるでしょう。このままじゃ近いうちにさよならになるわよ。最悪自然消滅よ。それでいいの?」
「嫌だけど……でも、恥ずかしい」
「今頑張らなくてどうするのよ。あんな優良物件すぐに誰かに持ってかれちゃうわよ。女も積極的な時代なんだから」

と叱咤激励され力説され、半ば強引に明日のスケジュールを決められた。冷静に考えれば眩暈のしそうな程ハードルが幾つも立ち塞がる手順だ。

「だってそんなこと、千なら出来るの?」
「出来るわよわたしは好きな男の為なら。だってやっぱり愛されたいし喜んで欲しいもの」
「引かれちゃうよ、そんなの」
「絶対そんなことないわよ。斎藤さんだって男なのよ。セクシーなランジェリーが嫌いなわけないじゃない!」

千にはコケティッシュな魅力があり、彼女なら本当に出来るんだろうなと思う。でもわたしは……となまえが考えていると千が笑った。

「剣道の時は男顔負けにグイグイ行けるのに、どうして恋には臆病なの? なまえって昔から自分の魅力ちっともわかってない子よねぇ」
「無理だよ……、」
「無理でもやるの。ほんとはわたしが一緒に着いて行ってあげたいくらいだけど、なまえなら大丈夫! 結果はわたしが保証する!」

千はどうしてこんなに自信たっぷりに言えるの。
わたしに魅力がなんてあるなんて思えない。
それに今さっき不意に思い出したことがある。
……彼は忘れている。
わたしは記念日みたいなものには比較的無頓着な方だとは思うけど、でもやっぱり少し寂しい。
もしかして一はもうわたしのことなんて何とも思ってないんじゃないかな。

なまえはずっと手の中に包んでいたグラスの中の、温くなり始めた苦いビールを一口呑んだ。



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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