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 EXTRA STORY 2


夢で幾度も見る黒猫は愛想もなく気まぐれで、けれど決して俺を疎んじてはいないように見えるのだ。
すんなりとした四肢にしなやかな身体。ピンと立てた長い尻尾は左右にゆっくりと振れる。
触れたことも抱き上げたこともないが彼女はどう見ても雌猫なのだと思う。俺の前を先に立って歩きながら踏みつけ道を行く。この猫はあの時の仔猫なのだろうか?
夏を過ぎ秋も深まる夜ともなれば、吹く風は涼しいと言うよりも肌寒い。今宵の俺は膝よりも丈の長いコートを着ているようだが、己の姿を目にする事は出来ない。
空に浮かぶ月は間もなく満ちる。
この道は幾度も辿ったが、先に何があるのかを俺は未だ知らない。だが少しずつ何かに近づいていく予感がしていた。それは何故か解らぬが俺が求めて止まない何かである、そう感じさせる。
あの頃からずっとだ。長いブランクを開けては、いつも忘れた頃になってこの面妖な夢を見る。
あと、少し。
そう思うたびに朝が来る。





「帰るのか」と言えば女性は首だけを縦に動かし手早く衣類を身につけながら、ベッドに俯せに横たわる俺を黙って見下ろした。かけた言葉は引き留めるためのものではなく単なる挨拶だ。こうして会うことは二度とない、言わば別れの挨拶。
周りの人間から見れば俺は清廉潔白な男に見えるらしい。特定の女性と交際しているわけでもなく、社内で浮いた噂もないせいだろうか。だがそれは上辺であり水面下で女性が近づいてくることはこのようにしばしばある。しかし俺は相手が誰であれ、再び恋情というものを持てる気がしなかった。
あの時以来。

「キスをしてくれないの?」
「…………」

思考を破ってかけられた声は酷く不満げだった。健康な肉体を持つ男であるから行為は出来る。意思と無関係に吐き出さねばならぬものもある。だが行為の間も無論その前後にも、唇で触れるという事だけは出来ない。
そういった俺に失望し嫌気が差すのか、向こうから近づいて来ていながら関係を一夜限りにする女性ばかりだった。

「一度で終わりなの? これでさよなら?」
「…………」
「何を考えているのかわからない」

元より情事の時に余計な口を利かない。感情を顕わにする方でもない。しかしこの場合は事実何も考えていないのだと言う他はない。
応える言葉を持たぬ俺がベッドから身を起こしシャワーを浴びる為に浴室へ足を運べば、ややしてからドアを閉じる重い音がした。何一つ感慨がない。たった今まで部屋にいた女性のことをもう心に上らせることはない。
眠る為に再びベッドへと戻り夢想するのは唯一つだ。あの夢を見る間隔が狭まっていると感じていた。
もしや今宵は逢えるのではないだろうかと微かな期待を胸に目を閉じる。
逢いたいのだ。
あのしなやかな黒猫に。





想いを口にして説明するのは困難だ。高校卒業を控え自宅学習が間近に迫ったあの頃。
俺の中に残ったのは苦い後悔と絶望、唯それだけだった。
その行為が若く稚なかった所為だと言えばそれは単なる言い訳に過ぎないと知っている。
俺はなまえに苦しいほど焦がれ、痛いほどに求めた。そうして傷つけて失った。
初めて見かけたのは図書室だった。目立たない彼女の、しかし手にした本に没頭する無表情な横顔は息を飲むほどに綺麗で、俺は一目見ただけで惹かれた。
図書室の奥。椅子に浅く腰かけた背筋は真っ直ぐで、膝に置いた本の頁をめくる指先は繊細だった。ひと時我を忘れて釘付けになっていた俺に気づいた彼女は顔色を変え、ほんの刹那絡んだかに見えた視線をついと外すと、信じられぬほど滑らかな動作で本を閉じ俺の脇をすり抜けて去った。
時間が空けば無意識に図書室に足を向けた。彼女の姿を見ることが出来ればそれでよかったのだ。
まだその時は。
彼女はいつ見かけても、その年頃の女子が大抵そうであるようにはしゃいだり大きな声を上げて笑うということはなく、昼休みや放課後には図書室で独り読書をしているような女生徒だった。
やがて人伝に偶然彼女の名がみょうじなまえであると知っただけで胸が騒いだ。
しかしやっとのことで校内で出逢っても、俺の周りに時として集まる女生徒の塊に時折胡散臭げな視線を寄越すばかりで、なまえは決して俺と目を合わせることはない。そうしていつの間にか姿を消しているのだ。在り来たりな朝の挨拶の言葉でさえかける隙を与えてはくれず、彼女は巧みに目の前から逃げていく。
存在程度は認識してくれていると思うが、俺をどういう男だと思っているのか。それとも俺になど一切なんの感情もないのだろうか。
このように心を掻き乱されることに慣れない俺は、それでも常になまえを目で追うのだ。
猫のようにつかみどころのないなまえへの想いは、熱に浮かされたといってもいい程に強くなり、己でも制御不能なほどにいつしか膨れ上がった。生まれて初めての恋情だった。
一度だけ彼女の笑顔を見たことがある。下校時の校門の直ぐ外の植え込みに女生徒が一人屈んでいた。
どのような姿でも俺にはなまえが解る。ついそちらへ足を進めようとした俺の動きが止まった。
しゃがんで小首を傾げるなまえは俺に気づかぬまま、植え込みの奥を覗き込み見たこともないほどに優しく微笑んだ。初めて聞いたといっても過言ではないその声は、高くも低くもなく穏やかで、そしてとても愛らしかった。

「怖くないよ。おいで」

恐る恐ると言った様子で小さな顔を覗かせたのはいたいけな黒い仔猫で、怯えさせない為かなまえがそれまで見せなかった手のひらを上に向けて小さく差し出せば、その指先に首筋を擦りつけてみせる。
己以外の外界から身を護る為に警戒する仔猫となまえはよく似て見えた。
笑わない彼女の初めて見る笑顔に心を震わされる。込み上げる激情を抑える術がなかった。
目を離せずに見つめていた俺が立てた微かな靴音になまえが気づいたのは次の瞬間だった。はっと立ち上がる彼女の側へと近づきかけた仔猫が機敏に逃げる。それと全く同じようになまえは俺に背を向けた。
「待ってくれ」と言ったところで待ってくれそうにないなまえの細い背中に向かって、意識する前に唇から零れたそれは己でも信じられない言葉だった。

「なまえを好いている」

決して捉えることの出来ない猫のような彼女。俺の必死な声に振り返ることもせずなまえは駆け去った。
頑なに拒むその華奢な背が何かを突き動かしたのだと言ったら、きっとそれもただの言い訳になる。だがその時俺の中にせり上った感覚を今でも手に取るように思い出すことが出来る。
この手に捕まえたい、抱き締めたい。何かをどうしても欲しいと渇望したのは、後にも先にも彼女だけだった。
それを運命と考えたのは俺の思い上がりだったのだろうか。
結果として俺の傲慢さは彼女を傷つけた。
あの日、ほんの僅かな時間に衝動的に彼女を抱き、そうしてそれを最後に何もかもを失くしてしまったのだ。


それ以来だった。
あの夢を見るようになったのは。





オレンジ色をした恐ろしいほど大きな満月が、三角形の屋根の尖端に浮かんでいる。
前を歩いていた黒猫が目の前に現れた駅舎の入り口で歩みを止めた。
いつしか覚えてしまうほどに幾度も辿った踏みつけ道が、ようやく終着点に着いたのだ。
駅舎は古ぼけた石造りで、葉を落とし節くれだった大きな木に囲まれていた。
さあ、行きなさいと言わんばかりに黒猫が道を開ける。
この奥に何があるのだろうか。迷わずに進んで行けば窓からオレンジの灯を零す電車が、闇の中から現れてホームに滑り入る。
ふと見ればここまで俺を導いてきた黒猫が闇に溶けていこうとしている。
ここからどこへ行けばよいのかと問おうすれば、答えるようにどこからか声が聞こえる。


The time has come.
Everything is all set.
“ Frightfully Special Night ”


時は満ちた。
迎えに行きなさい。
心の望むまま、この特別な夜に愛しい人の扉を叩きなさい。
もう一度。

己の中に何かが覚醒めていく。俺は開いたドアに足を踏み入れた。



Happy halloween!
2014.10.18〜10.29




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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