創作Short | ナノ


▽ A


 


実をいうと青山総一郎(あおやまそういちろう)はヒーローになりたくなかった。
人前に立つとか目立つだとか大っ嫌いだし、拳を振るうキャラでも無くてむしろ平和主義な青山はのほほんと暮らすことをモットーにしていた。

能天気にどこか冴えない公務員をしていた青山だったが、彼に転機が訪れたのは去年のことだ。


「青山お前、ヒーローやってみない?」
「……は?」

週末の出勤を終えてさあ帰ろう、酒飲もう。死んだ表情筋の下でわくわくとしていた青山に、上司の意味不明な声がかかった。青山の低音重厚な声質から繰り出される疑問詞は脅しにも聞こえる。
引き攣った面持ちでもう一度、上司が口を開く。

「いやね〜今度ふるさと盛り上げ企画で、ご当地ヒーローの案が出てんの。ほら最近テレビでちらほら見かけるでしょ? あんな感じ。なんと今ならテレビ出演ができる!」
「はあ……」
「あ、信じてねえだろ? ほんとーに出れるんだって、まっ地元テレビなんだけど」
「はあ……」
「んだよ〜その煮え切らない返事はよぉ?」
「いやまあ―――。なんで俺なのか、と」
「お前の声って独特だからイケると思ったんだよ。あとは名前、なんつーかブルーに向いてる!」
「はあ」

たぶん後者だろうな、と的確な意見を抱きながらも青山の答えはもう決まっていた。というか初めから決まっていた。
なんと言われてもヒーローなんかやるつもりない。

「遠慮します」
「え〜頼むよ。ほらこの通り! 俺だってレッドすることになったんだから、お前もやろーぜ! 入社以来ずっと面倒見てきてやっただろ、ほらもう、一心同体っていうか! バディーだろ?」
「只今を持ちまして、バディーを解消させていただきます」
「ひっで〜! 言うなあ青山。つかなんでだよ、もお良いことしかないじゃん? 楽しいぜきっと、ヒーローは!」
「結構です。―――俺にはヒーロースーツなんて入りませんし、他をあたってください」
「あ、そこは大丈夫。着流しだから浴衣みたいなものだし、顔もお面で隠れるし。……ぴちぴちな青山、ぶふっ!」
「帰ります」
「あ、ちょっ!」


カバンの中にお弁当箱を入れ始めた青山に慌てて声をかけても、その上司を無視してチャックが絞められた。これは確実にこのまま帰られる!
それだけは阻止せねばと上司が咄嗟にカバンを手で押さえてデスクに固定した。
青山が眼で何をするんですか、と険しく訴えると上司は早口で告げる。


「お願いったのむよ! 他に頼めるやつがいないんだって。本当に冗談抜きでヒーローやって。そんなにやることないはずだから、ほら。さっき言ってたテレビとか町のイベントとか、あとは地域の学校に行って交通安全教室とかだから!」
「―――がっこう?」

小さく訊ね返した青山。
その反応を見逃さなかった上司は、手ごたえを感じて大袈裟に頷く。

「そうそう! 小学校とか保育園とか小さい子どもに会いに行くの。そういや青山、お兄さんの息子の迎えとかよく行くって言ってただろ? 慣れてるだろそういうの」
「……ほいくえん」
「保育園に興味がある感じ?」
「いやまあ…」
「んじゃ、余計良いじゃんやろうぜ。ご当地ヒーローなら、いつかお前が興味ある日向保育園に行けるかもよ?」

何故か突然反応しはじめた青山に首をかしげる上司だったが、もう何でもいいからご当地ヒーローのブルーに青山を連れ込みたくなって、今の反応を良いものと捉えることにした。なんで興味を引いたのか疑問は尽きないものの、一度やる気スイッチを押してしまえばこっちのものだと。
口の中で何度か「保育園……」と呟く青山は見るからに怪しいが、上司はイケる気がして、もう一度聞いてみた。


「やってみようぜ!」
「―――少しぐらいなら」
「え、まじかよ」

あっさりと首を縦に振った後輩にむしろ驚いていると、青山が眉を顰め始めたことに気づき急いで前言撤回する。手を振って否定し、違うんだと示すと、青山はどっちでもいいという風にため息を吐いた。
そして青山は顔を俯かせては上司に見えない角度で、目を見開いた。

それが一年前の話だ。













今日も今日とて青山は残業無しで帰宅に向かう。

なんともホワイト企業、本当に素晴らしい。定時通りに帰れるとは心が晴れ晴れとするものだ。
しかしそれよりも、もっと大事なイベントがある。そう。『保育園』に迎えに行く、という一大イベントが。一年前に初めて保育園に兄の子どもを迎えに行った日なんて、鬱で死ぬかと思うほど嫌がっていたのに、今ではこの時間が一番幸せだと感じるだなんて、誰が予想できただろうか。


保育園の校門の前に立ち、門の鍵を引っ張っては慣れたように開ける青山は、身を屈めながら門を潜り抜け、振り返って鍵を掛け直す。
そして前を向き直して、ギクッとなった。

青山の音で気付いたように振り返った青年が、
「ふぉ?」
と抜けた声を出した。黒髪を後ろで括ったエプロン姿の先生がこっちを見ている。
青山はすぐに顔を引き締めて、笑顔を浮かべた。するとそこに先生の方から声がかかる。

「おかえりなさい」

そう眉を下げてへにゃりと笑う姿は、平凡そのものだった。青山のがっつりとした男前な顔立ちに比べたら幾分劣って見えてしまうスペックの彼の顔は、どうしたことか青山には何よりも愛らしい顔に見えるのだった。

口に出さないが青山はドキッとした。

保育園の先生が、
「おかえりなさい」
というのは本当はごく当たり前のことである。
現にほかの先生だって青山にそう声を掛けてくるし、他の保護者の迎えの際にだって言っている。
きっとこの『お兄ちゃん先生』もほかの先生が言っているのを見て、真似をしていっているんだろう。それがまた可愛いのだが。


「そうだ! 青山さん。広紀(ひろき)くん、今日ものすごく頑張ってましたよ! なんだっけあの……地獄の閻魔様? の話をみんなに教えてくれたんです」
「……閻魔様ですか。そういえばクリスマスにあげた絵本が、そんな感じでした」
「だからですか! 虫を殺しそうなお友達に、そんなことしたら閻魔大王様に叱られるよ〜って止めてくれたんです」
「そうですか」
「ありがとうございますね」
「お礼を言われるようなことはなにも……」

突然お礼を言われて内心焦った青山だったが、当然その顔には焦りの色なんて見えない。さすがは表情筋が死んでいると兄に言われただけはある。
先生は胸の前で手を振りながら「いえいえ!」とついでに首もふって、否定する。

「こんな素敵な子になったんですから、お礼を言わないと!」

そう言って腕を振り回る先生は必死なのだろう。その必死に伝えようとした慌てっぷりがなんとも初々しくて、可愛い。

(かわいいな―――)

と喉元まで言いかけて青山は必死に止める。こんなときほど顔が固くて良かったと喜んだときはないだろう、というほど青山は動揺していた。
一体どうしてこの先生は素敵なんだろうか。
子どもみたいに無邪気に遊んでいる姿を初めて見た時から、心を奪われていたが、こんなにも話せば話すほど色んな面が見えて、もっと知りたいと心が求めしまうのだった。

(これでもし、自分が好きだと言ったら……)

驚いて固まるだろうということは手に取るようにわかる。でも優しい先生のことだ。きっと青山の告白を無下にはできないはず。

青山は目の前で、ひょこひょこと園内に入って子どもを呼びに行こうとしている先生の後ろ姿を舐めるように見ながら考えていた。


それからしばらくして後を追うように玄関で靴を脱ぎ、甥っ子のいるさくら組に入った。

担任の先生の背中を見つけて声をかけ、
「広紀はいますか?」
と訊ねれば、
「おかえりなさい。広紀くん、お迎えですよ〜」
と呼んでくれた。

「おじさん! 今日もパパ遅いの?」
「ああ、悪いがそうだ。隣のスーパーでプリンでも買って帰ろう」
「やったー!」
「準備、早くできたらな」
「するから約束だよ!!」

ぱあっと笑顔を見せた甥っ子。自分であれば生まれてこのかたしたことのない表情だな、と青山がその背中を見送る。さてと、この間に自分も記録ノートを回収しなければ。
すれ違う園児たちに挨拶してピンクのファイルの置かれた棚に向かう。まだたくさん置かれたファイルを見かけると、全体的に保護者の迎えはゆっくりだということを改めて思わされた。

「おーじーさーん」
いつの間にか背後に甥っ子がいた。

「もう用意は済んだのか」
「うん! タオルはいいの、だから、だいじょーぶ!」
「……わかった」

どうして大丈夫なのか疑問に思ったが、訊ね返すのも無粋な気がして止めておいた。
じゃあ帰るか。そう声をかけながら内心、
『あの先生はもういないのか』
とガッカリしていた。


するとふと、トイレから声がした。

「も〜ルイ君! ブスにブスって言うんじゃありませんよ!」
「ぶさいくー」
「だあああ!! ルイ君あんた、意味わかってるでしょ!? ってちょ、おちんちんこっちに向けない!! 前向いて―――えっと、こっち向いて立つの!」
「ぶーさーいーくー」
「ルイ君んん!!」


それを聞いていた甥っ子がハッとして顔を上げた。そして青山の背後を見て、笑った。

「佐崎せんせー! もう帰るよ、ぼく!」
「あっ広紀くん」

青山がぎくりとして固まっていると、甥っ子はそのトイレから出てきた先生と話しはじめた。

「青山さんと会えたんや。そういえば、ちゃんと広紀くんがお友達に良いことしてくれたこと、伝えておいたよ」
「えへへ〜」
「広紀くんからも教えてあげてな、きっと喜ぶから!」

やっとのことで青山が振り返るとそこで先生――佐崎と目が合った。頭を下げようとすると、同時に佐崎もニコッと笑っては頭を下げてきた。
そういえばさっき外でも挨拶をしたのに。
青山が気付いたとき、ちょうど相手もそう思ったのだろう。

「何度も挨拶してすみません。忘れ物ないように帰ってくださいね」

言ってからすぐにトイレに視線を向ける佐崎。すると中から男の子が出てきた。佐崎はその子どもに近寄って、
「手は洗いましたか?」
「(首をかしげる。)」
「よーし、洗ってませんね〜。はい石鹸でゴシゴシするよ」
と後ろから子どもの腕を持って、トイレに逆戻りしてしまった。


時間にしてはたった1分だけだったと思う。そんな短い時間ではあったが、青山にはとても大切な時間であった。とはいっても短いのも事実で、

(子どもが羨ましい……)

そう大人げなく嫉妬してしまった。








「そーいちおじさん」
「なんだ」
「せんせーのこと、とらないでね?」
「―――どういう意味だ」

門を閉めてからスーパーに向かうために道路を渡ったとき、突然甥っ子がそんなことを言い始めた。
青山は、とぼけたフリをしながら白を切る。わかるように話してみろと促すが本当のところ、甥っ子が何を言いたいのかよくわかっていた。

「ルイ君もみかちゃんも、佐崎せんせーのこと好きだって。遊ぶお約束したよ? だから、せんせーが来ないのはやだよ?」
「……どうしてそれを俺に言うんだ?」
「パパが言ってたから」

パパ、とは青山の兄のことだ。

「なんて言ってたんだ」
「パパとかおじさんは、好きなお友達をとっちゃうって」
「――とる、か」
「うん! とっていないいないするって」

青山は甥っ子のなんとも言えない顔を見て、少しばかり感心した。彼の小さな眼は青山の口元を見ている。身長が低いため目が合わないのは仕方がないことだが、この甥っ子の場合、お願い事をするときに限って眼を合わせられないのだ。
それでも理由まで自分の口でしっかりと話し、「やめて」と意思表示する姿は大人顔おまけだ。

「広紀」
「なあに?」





“いないいないするってことは、
 知ってるってことだよな?”



―――ふと青山は聞いてはいけない質問をしそうになった。

すぐに口を噤んで、鋭い眼光を進行方向に向けなおした。


「もしもおじさんが、先生を好きだったらどうするんだ?」
「すき?」
「一緒にいたいってことだ」

うーんと考える広紀。

「せんせーとおじさん、いっしょにいるの?」
「そうだ」
「家にせんせーいたら、ずっと遊べるから、うれしいね!」
「だろ。だから広紀」

――もしもおじさんが先生が好きでも、邪魔しないでほしい。


青山はプリンをちらつかせながら甥っ子にそう話しかけた。




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