きみがすき | ナノ






04




「忙しいところ悪いが急ぎの書類だ」

「…………」

「っ……何だよ」


この、人は……


急ぎの書類なんて今は無い。

そんな確信犯的に、大真面目な顔で副官室で頼むと促されて、苦笑いと共に胸に込み上げたものを遠ざける。


どうして檜佐木君は、私が欲しいと願う時に現れるんだろう


そんな莫迦な事を思う自分を必死に押し隠した――…





「阿散井の様子はどうだ?」

「絶対安静、です……が、何せ隊舎牢ですから……」


上級治療班の治療は受けられてはいる。けれど環境は劣悪で、命に別状は無いとは言え何とも言い難いのも事実だ。

不安そうな顔でも晒してしまったのか、直ぐに気付けなくて悪かったと言われて頭を振った。



旅禍の侵入から一日。

十一番隊の事実上の壊滅等、瀞霊廷内は人員を含め、甚大な被害を被った。

そんな中で、恋次君は覚悟を決めて行ったのだから……

誰にも止められるものでは無かったはずだ。

きっと、旅禍と同じ想いだった恋次君だけが、向かう先を知っていた。


朽木さんの、元へ……





『四宮先生……』


これ、と桃ちゃんに差し出された物は、恋次君の副官章だった。

どの隊も物々しい今、不安そうに瞳を揺らす桃ちゃんを安心させるように微笑む。
自分も長くは持って居られない状況になりそうだと云う彼女に、了解の意味も込めて受け取れば、泣き出しそうに顔を歪めた。


『先生……っ』

『……うん。大丈夫よ』

『……っ、宜しくお願いしますっ』


もう副隊長様なのに。


相変わらず、未だ私なんかに礼を示す桃ちゃんに苦笑して、向けられた背が小さくなるまで見送った。
そして、ズシリと重みを増した手の中の物が、私の気持ちまでを地中深く沈み込ませるような錯覚を覚えた。


恋次君が死に物狂いで手に入れた全てが捨て置かれた事実。

その覚悟が、痛い程に伝わって来た。


解っていた、のに……


恋次君は気付いたんだろう。
失くす恐怖を知って初めて、何が一番大切なものなのかを……。

そうして、失くさない為にすべき事を迷わずに選び取ったんだ。


『頑張ってね……』


今度こそ、もう私の声は届かないと知って居て、せめて祈るだけでも許されたいと思った……。



ずっと、言えずにいたから……。


恋次君への想いも。

私の、悪夢の理由も……



俺がずっと紗也さんを好きですから……



四十年以上もそう言い続けてくれた恋次君に、応えて来なかった私のせいだ。

私の不安は沢山在って、いつも胸の奥底に沈む黒い塊がギリギリと私を苛んだ。

いつも、胸が痛かった。


あの日、やっと云えそうだと思った。
私も、恋次君の傍に居るって。

そう決めたはずだったのに……。


結局、それを伝えられないまま終わってしまった。

いつ終わりが来たって大丈夫、なんて、莫迦げた事を本気で思っていた。


全然、ダメじゃない……


ありがとうも、大好きも。

頑張って……も、何一つ云えなかった。


終わってしまう前に。
ちゃんと、恋次君だけが好きだって、一緒に居てくれてありがとうって、何でもっと伝えておかなかったんだろう……。

伝える機会なんて、幾らでも有ったのに。
それくらい、一緒にいたのに。

傍に居て、くれたのに……




『恋次君、あのね……』

『すみません。もう、何も聞いてあげる事も出来ません』

『…………』

『すみません……』


伝える事さえ、もう許されない想いだった。


『………部下に、頭を下げる必要は有りませんから。顔を上げて下さい、阿散井副隊長』


終わってしまう。

その前に、想いを伝えてしまおうなんて、私の身勝手な願いなんだと……。


『紗也さん……っ 俺、はっ』

『大丈夫です。もう、私なんかに優しくする必要なんてないですから』


目を見開いて、悪役に徹し切れない恋次君に苦笑いして見せた。


『今まで、ありがとうございました。阿散井副隊長』


こんな私を護ってくれた。
私なんかの、傍に居てくれた。

幸せだったと、ずっと勘違いして居られた。

だからもう、十分なんだ。


『業務に、戻ります……』


今度は私が一礼して踵を返した。

こんな時で善かったと、不謹慎ながらもそう思った。


泣かないで、居られるから……。


力一杯握られた、恋次君の手は見ない振りで副官室を後にした。


もう恋次君の顔は見なかった。





ずっと傍にいたいと思った。

いられるんだと思っていた。

私は、なんて幸せだったんだろう――…









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