肆「紗也……だよな」 問い掛ければ、躊躇いがちにでも頷いてくれた事にほっとする。 黄昏時に。 紗也の顔が朧気なまま分かれてしまったことをずっと悔やんでいた。 合否も、入隊後の配属先も分からないまま。 何を一杯一杯になって居たのかと嘲笑うしか無いが、名前しか聴いていなかった、その事実に愕然とした。 この広い瀞霊廷内で、何の宛も無く名前だけで誰かを捜すという事が、至難の技だという事くらい解り切っていた。 それでもと、諦め切れずに捜し回った結果、見付ける術の無い事を悟った時には茫然と渇いた笑いを溢していた程だ。 何で此処までしてと自嘲して、もういいじゃねぇかと自答する。 こうまでして紗也を捜し出す事の意味が、いつまで経っても俺の中から消えなかった。 未練がましく、夕焼けが見られる時間帯には出逢った丘に足を向ける。 もしかしたらとの想いは叶う事は無く、胸に渦巻く焦燥に、暫く佇む事しか出来ないでいたのを憶えている。 その紗也が。 今、俺の目の前に在る。 俺は――… 闇に震える彼女を、躯ごと捕らえるように抱き締め続けていた。 月が中空に差し掛かった頃に、漸く落ち着いたらしい彼女が顔を真っ赤にして謝るのを、腕の中の温もりが消えたことの方が寂しいと感じる自分に驚きながら見つめていた。 院まで送ると言った俺を頑なに断る彼女にムッとする。 『こんな所に女一人で放って帰れねぇだろうが』 そう凄めば、やっと躊躇いがちに頷いてくれた彼女にほっと息を吐き出した。 そんなのは後付けの理由だって、もう解っていた。 自分でも不思議でしょうがない。それでも、数時間前に逢ったこの少女に惹かれて止まない俺が居た。 院への道を彼女と並んでゆっくりと辿って行く。 本当は瞬歩で行けば直ぐだと解っていて、そうしない自分に呆れ半分、苦笑い半分。 ただもっと、一緒に居てぇと心が騒ぐ。 『名前、は?入隊すんだろ?』 『えっと……』 『俺は修兵』 『修兵…?』 紡がれた自分の名前に、擽ったい想いが沸き上がる。 本当に、らしくねぇ…… 『おう。檜佐木、修兵な』 『はい…… えっ?檜佐木って……、檜佐木副隊長…っ』 俺が檜佐木だと知って、途端に恐縮し出した彼女が申し訳有りませんと頭を下げて後退る。 胸に手をやって縮こまるようにしたそれは、怯えさえ感じ取れて胸が軋む。 そんな、考えれば当たり前な反応に、言わなければ良かったと内心で舌打ちして、逃げる彼女の手を取った。 『名前、は?』 『…………』 もう、俯いちまって顔も見れない。噛み締めた口唇からは、聴きたかった声も聴こえない。 この手を離したら、二度と会えないような焦燥感が渦巻いて行く。 それを拭い去りたくて、空いた掌で彼女の頬に手を伸ばすのに、さっきまで想うままに触れていた彼女の躯が強張るのが見えて胸が傷む。 こんな痛みは、知らねぇ。 『名前。聴かねぇと帰せねぇけど……?』 これじゃ、ただの威しだろと内心で呆れながらも止まらない。 『名前は……?』 頼むから…… もう、高が女に何をやってんだと自嘲しか洩れない。 それでも。声が、名前が、聴きたかった。 『……紗也』 耳に届いた声に許された気がして、捕らえていた手をもう一度だけ引き寄せた。 「紗也……」 「……はい」 「会いたかった」 やっと、見付けた――… |