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『檜佐木さん……』「っ、……」
ここに居るはずの無い、アイツの声が聴こえた気がした。
「……アイツは、俺の名前なんて呼ばねぇか……」
と思い掛けて、最後に見た、今にも泣き出しそうな顔を思い出して舌打った。
直ぐに戻ると言っておきながら、山と積まれた仕事に其れも叶わず。また約束を反故にしたまま、あの日と同じ。きっと一人で泣かせてしまっただろう彼女の事を思えば、身動きの取れねぇ事態に苛立ちが増した。
『だったら……』
と、泣かせてしまったのは俺の弱さで。お前が思うような理由じゃねぇんだと、伝えてやれねぇまま今に至っている。
いつも一方的に与えていた熱。思うままに触れて、欲するままに奪う振りで自分に自制を掛けていた……。
触れるだけのキスを繰り返して薄く開いた口唇を優しく食んだ。少しだって傷付けたくはないと、もっと、と彼女へと伸びたがる手のひらを強く握って、洩れる吐息に痺れる脳髄はギリと奥歯を噛み締めて遣り過ごした。
だから、咄嗟に彼女を引き剥がしていた。
茫然と俺を見遣る彼女に失敗を覚っても……。
初めて彼女から与えられた熱に躯が脈打った。今云われたら、止まる自信は無ぇと遮って……。やっちまったと思った時には遅かった。
傷付けた、だけじゃない。
あれじゃあ……
『私で遊ぶの止めて下さい!』まるで、アイツの言う遊びみたいじゃねぇかと……
「クソ……っ」
会いたい。
叶うなら、今直ぐにでも飛んで行ってアイツに触れたい……。
『なぁ……』
もしも、何をしても許されるんなら……「今すぐアイツを……」
そんな、狂気が芽生える程に――…
*
「…………おい」
「はいっ」
「誰か……、来たか?」
巡回から戻った副官室で、違和感を感じて補佐官を呼び出した。
辿り切れない微かな痕跡に眉を顰めれば、「ああ、其れは……」と直ぐに答が返って来た。
「っ……」
「檜佐木副隊長っ!?」
「悪い!少し出るっ!」
『阿散井副隊長が何て言うか、綺麗な女性を伴って訪ねて来られました。檜佐木副隊長のお知り合いとの事で、副官室でお待ちになると仰られましたのでお通ししましたが、お会いになりませんでしたか……』
其の全容を聞き終えると同時に、俺は文字通り副官室を飛び出していた。
アイツが尸魂界に居る。
何故かは知らねぇ、が、そうしてアイツは此処に来て、今その姿は何処にも無い。
「阿散井は緊急召集されたはず……」
なら……
「っ……」
アイツは机の上の書類を見たはずだ。
俺は何れだけアイツを傷付ければ気が済むのか。何れだけ……
「間が悪ぃんだよ!」
もういい加減にしやがれと、怒りのままに脹れ上がる霊圧を抑える術は持たなかった。
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