34
「遅ぇ」
「……普通にお帰りって言えないんですか」
見慣れた自室に見慣れた人物。
本来なら有り得ない光景に慣れ切った残念な自分……。
「……今日はちょっと友達と、」
「黒崎はどうしたよ」
「えっ……と、今日は予備校の説明会にも行ったので、黒崎君とは別で、あの、」
これでも早い方なんですと言えば、ピクリと反応した眉が見て取れて、何となく嫌な予感に喉が詰まった。
黒崎君と一緒なのがダメな訳では無かったのか……。
「……あ、えっと、今回は心配しなくても大丈夫、で」
「…………」
「だからですね。遅い時は眼鏡のコ、石田君?が予備校が一緒みたいで、家の前まで送ってくれる事になってますか、ら……」
遅い帰りを心配してくれているのかと思いきや、大丈夫の理由を述べれば述べる程……
「私、何か怒らせるような事を言いました?」
降下速度が増して行くのは何故だろうと途方に暮れた。
「あの……」
「…………」
どうして私はまた……
この人を怒らせてしまうのかと泣きたい気持ちにさせられる。
出来ればこの人と過ごす少ない時間くらい、
「………らって」
「…………あ?」
「………………」
「どう、し……」
「怒らないで、笑って下さい……」
この人の笑顔を見ていたい。
そんなに多くは、望まないから……。
「怒……ってる訳じゃ、無ぇよ」
面倒臭ぇ理由が有るだけだ。
だから泣くなと抱き寄せる腕は、まだ少し乱暴な口調とは違って優しいモノで。
「だったら……」
「言えたら苦労はしてねぇし」
俺が……
と呟かれた言葉の続きは聞く事は叶わなかった。
けれど……
「ガキには解んねぇ事情が有んだよ」
「そ、う……ですよね」
もう、それで良い。
「………あの」
「何だよ」
「恥ずかしくて倒れそうなんですが……」
「仲直りの定番だろ」
我慢しろ、と寄せられた頬。
まるで、あやすように触れる口唇が優しくて……
「っ、………………」
そっと、その口唇を食んで腕を回した。
途端、この人の揺らいだ躯に気付いたけれど、
一度だけで良い、
そう、自分の浅ましさから目を背けた。
「私、は………」
貴方が……
「やっぱり、綺麗だった……」
見れるかなと思った星は、地上の光に邪魔されて数える程しか見る事は叶わないけれど、無数の光源が揺らめく様は綺麗だと思った。
ズ… と鼻を啜って、瞬きを繰り返す。
あんなに耐えられないと思ったあの列に並んで、恥ずかしいなんて思う事も無いまま一人で乗り込んだ。
誰も私の事なんて気にもしていないと覚れば、絶対に無理だと思って居た自分が莫迦みたいに思えた。
「あーあ……」
せっかく、覚悟を決めたのに。
『私は……、好、っ………』
好きですと、伝えようとした私を止めたのはあの人の大きな掌で。
『っ………………』
茫然と見遣る私に向けられた瞳は、キツく顰まっていた。
怒ったような、困ったよう、な……。
どちらにしても歓迎はされていない難しい表情に、解っていたはずの痛みが躯中に走った。
たった一度だけと決めて伸ばした手は、あの人に届く事は無かった……。
prev /
next