02
「理想と現実ねぇ……」
私の言葉を受けて、行き成り悪い顔になった乱菊さんにたじろいで、心無しに半身を退いた。
「……何ですか」
「だったらよ?紗也のその、現実から目を反らした理想ってのは誰なのよ」
其処まで言うんだから誰かいるんでしょ。
ほらほらと詰め寄る乱菊さんから逃げられる勇者なんて存在するんだろうか、否いない(反語)。
理想の人は、いる。
「…………檜佐木副隊長、です」
「修兵っ!!?」
「声が大きいです!!!」
ちょっと静かに……って言ってるのに、食らい付く勢いの乱菊さんは止まらない。
「だったら何で修兵に行かないのよぅ」
「行く訳無いじゃないですかっ!」
「何でよっ」
何でって……
「理想は飽くまで理想で在って、私は……完璧過ぎる人は苦手なんです……」
それに、そんな人に私なんかが選ばれる訳も無いじゃないですか。
「此れの何処が完璧……」
「何か言いました?」
視線を何処かへ向けた乱菊さんがブツブツ言うのを訝しげに訊ねれば
「あら嫌だ、何でもないわよ〜ぅ」
ほほほ〜と怪しい笑いと共に、さっ、続き続き!と促された。
四回生の時に初めてお会いした檜佐木副隊長は、こんな方が実在するのかと思う程にカッコ好かった。
「視察を兼ねてご覧になって居た鬼道の授業で指導を買って出て下さったんですけど」
浮き足立った女生徒が単純詠唱を失敗して、私の目の前で暴発させた。
当然授業は中止になって。
其れがその日の最後の授業だった為、保健医の元へと彼女を連れて行く担任にその後を一任された私は、指示通りその場で生徒を纏めて解散させた。
それから一人残って何とか事後処理を済ませた後、寮への道を辿ろうとした……
「その時に、声を掛けて下さったんです」
もう疾うに帰られたと思っていた檜佐木副隊長が待っていて下さった。
そして……
『頑張ったな。目の前で怖かっただろ』
そう言って頭を撫でてくれた。
『筆頭ったってまだ四回生の女のコなのに、何考えてんだ担任は』
後で注意しておくと恐ろしい事を言われるから、止めて下さいと涙目でお願いした。
本当は怖かった。
吃驚して、飛び散った血が怖くて……
誰も気付いてくれなかったのに……
お忙しい方なのに、泣き止まない私に呆れるでも無くずっと側に居て下さった。
畏れ多くも寮まで送って戴きながら、カッコ好いだけじゃなくて仕事も出来て優秀で。その上、気配りも出来て優しいなんて。
理想を象にしたらこうなるのかと思ったくらい……
「……後半は間違いなくアンタ相手だったからじゃ……」
「また何か言いました?」
「何っっにも!?」
「……本当ですか」
さっきから一人言が多くないですかと問えば、乱菊さんは気のせい気のせいとブンブン手を振った。
「……と、乱菊さん。私はそろそろ失礼しますね」
明日は早いから無理ですと断った私を、ちょっとだけだからと(無理矢理)引き摺って来られた居酒屋で、もうかなりの時間が過ぎていた。
慰めなんて要りませんと言ったのに、こう見えて心配してくれていたのかも知れないと失礼ながらに思う。
「だったらよ?」
では、と立ち上がった私を引き留める声に振り向けば、
「どんな修兵だったら紗也の現実に適うわけ?」
と、久しぶりに見た真顔で訊ねられて、まだ終わって無かったんですか……と脱力する。
「そう……、ですね」
檜佐木副隊長が実はちょっと抜けてて、子供っぽい処が有ったり真剣に莫迦な事をやれる人だったりとか……。
「それから私の前でだけ、困ったところを見せてくれるなら幸せかもです」
そんな檜佐木副隊長は有り得ませんけどと苦笑して、何故か無言になった乱菊さんに今度こそと暇を告げた。
「では、お先に……」
「ねぇ?」
「はい?」
「もしもよ?そんな修兵に告白されたら、紗也はどうする?」
そんな檜佐木副隊長???
だからそんな檜佐木副隊長は有り得ませんて。
でも……
「こう見えても実はかなり凹んでるんで……。『俺はお前じゃなきゃダメなんだ』とか言われたら、コロッと行っちゃうかもです」
言いながら、そんな有り得ない檜佐木副隊長を想像して、私は微笑った。
*
「……まんまアンタの事じゃない」
「…………」
衝立の向こうで、息も霊圧も気配も消したままの莫迦に話し掛ければ、ゆっくりとその霊圧を現した。
「アンタが地を晒してたら疾っくに纏まってたんじゃないわけ?」
無言のままの莫迦に、本っ当に莫迦よねと追い討ちも掛けてやる。
「さっさと追い掛けて、さっきの台詞でも何でも言って来なさいよ。あのコじゃなきゃダメなんでしょ?」
別れたって聞いて、居ても立っても居られなかったくせに。
また誰かに捕られちゃうわよ、紗也は人気有るのよと脅せば、解ってますよと全速力で出て行った。
「頑張れ、修兵〜」
お似合いだと思うのよねぇ
弟みたいな後輩の、長い片想いが叶えば善いと。
杯を傾けながら、らしくなく天に願ってみたりした。
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