▼ 06
微睡みの中、鼻先を擽ったのは、甘い甘い匂い。
其の何処か懐かしささえ憶える馨りに誘われるようにして目を覚ました。其れに、ああ…、と直ぐに理解して瞳を閉じた。
『紗也……』
私の覚醒を促したのは、ふわりと香ったあの人……ううん、阿近さんが持って来た此の花達のせい。
「紅い……」
床に散った花弁がより芳香を増して、一層其の存在を主張しているからだ。
『お前を愛してる……』
おおよそ彼には似つかわしくない台詞を吐きながら、当然のように私を抱く。
『思い出せ……』
阿近さんは……。
『紗也……』
何度も何度も、丸で言霊のように私へと刻んだ。
此の人は、私に何を望むのだろうかと再び沈み行く思考の端で思った……。
『お前には似合わねぇな』
此の花が好きだと言った私を揶揄した、何処か愉し気な声。
あれは、誰のモノだっただろう……。
あの頃の私は、ただただお前は子供だと言われている事が悔しかった。
あの人は誰だった……?
夢の中では、どんなに目を凝らしてみたって其の人の輪郭さえ怪しい。
『………紗也』
むくれる私を腕に収めては、全てを呑み込むように接吻けた彼の顔が見たいと思った。
『……、さん………』
手を伸ばし、もがく。けれど、必死に手繰り寄せた其の顔は見えないままだ。
『Rosaceae、Rosaか』
現世に降りた時に見付けた深紅の花の名は、
『其れは学名じゃ……』
『其れ以外に何か必要性有るのか?』
『……訊く相手を間違えました』
彼にとっては知識の中の一つでしか無かったようだ。けれど、
『綺麗なのに……』
しっとりとした美しさに惹かれた。其処に在るだけで、ただ美しいと思った。
『もう少し馨りが有ると良いのになぁ……』
そう何気なく呟いた私の言葉を拾いカタチにしてくれた。
「甘い……」
此の、部屋一杯に広がって私を包む馨り。
繰り返し私の名を呼ぶ其の人は……
『品種改良までしなくても……』
『何だ、不満か?』
『……うう、ん』
連れられた研究用の植物園に広がった紅と甘い馨り。
『ありがとう。……、さん……』
私は、こうして優しさを垣間見せる此の人が好きだと……
「あれは……、阿近、さん…?」
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