▼ 07
私の記憶には空白のような物、が有る。
私が其の事に気付いたのはいつだったか……。
噛み合わない会話。巧妙に形作られた日常の中に潜んだ、隠し切れなかったであろう解れ。
穴だらけの記憶に気付いた時には、少なからず衝撃を受けていた其の事実も、此の面倒くさがりの性格のせいかお陰か、生活に支障が無いなら問題は無いと早々に見切りを付ける事が出来た。
其の時から、其れは私にとって不要な記憶となった。
譬、泣いて目覚めた私が私を責めたとしても……
「無いものは無い……」
だからしょうがない。
そう思って生きて来た。
なのに、最近の其れは尋常じゃなく痛んでは私を責め立てて来る。でも……
「っ……」
ヒュッと息を吸い込んで、突然襲い来る何にか分からない焦燥に胸を抑えた。私は其の何かが怖い。
思い出そうとした時に躯の奥底から沸き上がる此れは、根源的な恐怖だ。
「『記憶の在処』か」
「阿、近さん……っ」
突然背後から掛かった声と其の近過ぎる距離に息を呑んだ。鼓膜を振るわす声に首を竦める。ゾワリと泡立った肌は恐怖にも似た感情故か。ドクドクと煩い心音が躯中に呼応して行くようだった。
阿近さんの部屋に行ったあの日以来、此の人の全てが私の感覚を狂わせる。
記憶じゃない。けれど、私の中の何かが此の人を好きだと叫んでいる。
『紗也……』
もう分かっている。
私を呼ぶ其の人は、きっと阿近さんだ……。
「私、は……。何を忘れているんですか」
「…………」
いつもの書庫で読んでいたのは記憶に関する書物。
今まで、まるで私を排除するかのように、自分に関わるなと言い放った阿近さんは、あの日から、其れが当たり前だと言うように私を抱く。けれど、思い出せと言いながら決して其の答をくれようとはしない。
「阿近さんは……、どうして私を抱くんです、か……」
然しておきながら、時折見せる辛そうな表情の意味を知りたかった。
「…………」
けれど、返らない答と沈黙に落ちる深い溜め息に躯が震える。私は……
「…………そろそろ、自室に戻りま……」
「俺は『お前を愛してる』。そう言わなかったか」
「っ……」
「其れ以外に、理由なんて要るのか」
だからそんな辛そうな顔を……、して言って欲しい訳じゃ無いんです……。
こうして離れようとすれば逃すまいと腕に捕らえるくせに、阿近さんこそが何かに怯えるように私に触れる。
私の反応を、無事を確かめるように。まるで毀れ物に触れるように、優しく……
「私は、阿近さんが、」
「『心臓は脳の五百倍の発電力を持ち、心臓が放出する情報や信号を脳が受け止め記憶が再生される』。だから、脳とは違う場所にも記憶や情報は保管されている」
「……阿、近さん?」
「極端な話、体が一度吹っ飛んだとしても、確りと元通りに戻すことが出来れば……」
『記憶も元に戻せる可能性が高い』
「俺が、お前を再構築した」
「っ……」
其、れは……
「其れが……、お前の現状だ」
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