▼ 04
「やっちまった、か……」
幾重にも残る涙の痕に口付けて、頽れた躯を抱き上げた。
壊れモノを懐くようにそっと抱き締めて、知っている、未だ踏み入った事のない其処へと歩を進める。
辿り着いた見知らぬ部屋の寝台へと、数瞬の躊躇いの後に横たえて、意識の堕ちたままの寝顔を見下ろした。
溜め息と共に吐き出した冒頭の台詞は自嘲以外の何物でもなくて、どうしたって抑えの効かない感情に辟易した。
一体何時間、どのくらい寝続けちまったのかは知らねぇが。
温もりの消えた起き抜けの寝台の上、未だ回り切らねぇ頭をグシャリ と掻き上げながら、記憶の無ぇ半日を全霊で以て反芻したのは、ほんの数刻ほど前の事。
腕に抱いたはずの熱を思い起こそうと躍起になる、そんな自分にらしくねぇと悪態を吐いても……。
『んっとに、やってくれる』
遣らかしたのは俺だ。
腹立たし気に叩き付けそうになった拳を収めて立ち上がる。
手前ぇの莫迦さ加減に反吐が出た。
仕組んだのは、其れこそらしく無ぇ世話を焼きやがった鵯州辺りかと嘆息して、余計な事をと思っても埒も無ぇ。
手前ぇがだらしねぇからだろと舌打ちが洩れた。
躊躇いに躊躇って脱ぎ捨てた着衣を其のまま寝台に置き、頭からかぶった熱い湯で気を落ち着けて、技局では無く隊舎へと向かったのは、まだ情報が足りねぇと思ったからだ。
残念な事に状況証拠は十分で、侵入者も、手前ぇが遣らかした事実も揃って居て……。
あの部屋には、人の行動パターンを綿密に計算し予測したトラップが随所に仕掛けて在る。
アイツは気付いちゃ居ねぇだろうが、陽を遮断した俺の部屋で、何の障害も無く寝室まで一直線に辿り着けるヤツは一人しか居ねぇ。
だったら、其れが解っていて、俺は此れ以上何を確かめたかったと言うのか……
手前ぇの仕出かした失態か
アイツの中の、塵程の変化か……
『紗也…………』
「っ……、ンっとに諦めの悪ぃ」
疾うに諦めたはずだった。
もう二度と手に入らねぇと覚悟した温もりに触れて、消したはずの想いが溢れ出たとか笑えねぇ。
どんなに手前ぇを偽っても、其れは振りでしか無ぇんだと。
傍らを許したたった一人が欲しくて、諦め切れねぇと叫ぶ只の餓鬼でしかねぇんだと嘲った。
十二番隊舎の最奥に位置する其処は、もう知ってる奴さえ稀な場所で。
俺は迷う事なく、確信を持って其の場所へと向かった。
一歩近付く毎に、欲しくて堪らない霊圧の揺れを感じて。
だからもう判ってんだろと手前ぇを罵っても、歩みを止める事さえ出来ずに踏み入った。
『どうして……』
突然の俺の登場に、当たり前の反応を示すコイツに失くし切れなかった感情が揺れた。
平静を装う、頻りに髪を耳に掛けるコイツの動揺を隠す時の癖に内心で苦笑して、恐怖の色を宿す瞳には胸が痛んで……。
『っ阿、近さん……』
一度触れてしまった熱のせいで、容易に外れた箍を戻すのは困難で、狭い空間を埋め尽くす霊圧と、近付く度に増す愛しい匂いに思考が痺れて止まらなかった。
繰り返し名前を読んで、抱き締めて。
抵抗らしい抵抗の無い、知り尽くした躯に刻み込んだ。
「思い出せ……」
どうあっても、諦め切れねぇなら。
「もう一度、取り戻すしかねぇだろ……」
例え、其れをコイツが望まなくても――…
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