修兵/恋次 | ナノ



  03


「どうして、此処に……」


私を捉える其の強い双眸が、ただ『恐い』と思った……。





『阿近さんは只の睡眠不足だったようで、大丈夫でし、た……。あの、仕事に戻りますっ』


簡単に報告だけを済ませ、失礼しますと言い捨てるように告げるだけ告げて、


『おいっ 待……四宮っ?』


呼び止めようとする制止の声は聞かずに技局を飛び出していた。






『紗也…………』



「っ……」


耳に媚び付いて離れない阿近さんの声を振り払うように駆けて、飛び込んだのは隊舎内の人気の無い旧書庫だった。


「どうして……」


壁に凭れ掛かるようにズルズルと沈んで、震える躯を抱き締めるように蹲る。


私は……。
知らないはずの声音を知っていた。

低く、切なげに掠れた、私を呼ぶ声を、躯が憶えている気がした……。



一人になって、は――…っと息を吐き出しながら、脈打つ鼓動を静める事に専念する。


「絶対に変に思われた……」


阿近さんの部屋で起こった事が理解出来ず、混乱の中で、私はとにかく逃げ出す事を選択したらしい。

正直、どうやって戻ったかも憶えていない。

気付けば技局の、相変わらず不気味な門の前に佇んだまま、リン君に声を掛けられるまで放心していたとか有り得ない。



『お前が……』



「だからっ……」


未だ蔓延る声を消したくて、グシャリと耳を鷲掴む。


自分が信じられなかった。

されるがまま、抵抗すらも忘れて、辿る熱を茫然と受け入れて……


阿近さんから解放されるまで、彼が眠りに堕ちるまで。


私の中には、逃れる選択肢なんて無かった……。






*


「やっぱり、此処か」

「っ…、阿、近さん……っ?」


バン と開かれた扉に、ヒッと小さく悲鳴を上げて凝視してしまった。

扉の前に立って居たのは阿近さんで、出来れば今、一番会いたくない人で。
滅多に人の来ない此処に、私以外の誰かが来るなんて、況してや私が此処に居る事を知っている人なんて居ないはずで……。

何故、どうしてと、云いたい事は沢山有るのに、さっきまで寝ていたはずの人物を前に、混乱を極めた頭では、何一つ上手く言葉になんか成らなかった。


「……どうか、されましたか?」


とにかく、成るべく普段通りに。一歩ずつ、無言で近付く阿近さんに動揺を覚られないようにと、露程の可能性を願って言葉を紡ぐ。


『俺には一切関わるな』


異隊して直ぐに挨拶に上がった私に、一瞥もくれずに言い放った此の人が、敢えて此処に来た理由なんて一つしかないと知っていても……。


「っあ、の。私は隊務に……っ」


息が掛かる程に寄った距離に耐えられず、すり抜けようとした所を躯ごと捕らえられて息を呑む。


「逃げても、意味無ぇぞ」


背に当たった軽い衝撃で、逃げ場が残されて居ない事が解っても、其れでも、此の空間から逃げ出したいと何かが叫ぶ。

震える私を追い詰める阿近さんが、怒っている訳ではない事は判る。

どうしてかは解らない。

けれど、其れが解って居ても、今は目の前の此の人が怖い。


「っ……」


不意に抱き締められた事に困惑する私に構わず、スル と袴の裾から浸入した掌が内腿を辿った。


「あの、何、をっ……ちょっ……」


這い上がる手から慌てて逃れようと捩った躯は、いとも簡単に抑え込まれて浸入を許した。


「…厭っ……」

「……っ」


グチッ と鳴った水音に小さく舌打ちした阿近さんが、埋めた指先を奥へと捩じ込む。


「俺……、だな?」

「っ……」


カッと染まった頬を隠しもせずに、何で、とキツく睨み付ければ、意図せず在った苦し気な表情に言葉が続かなかった。


「……っつーか俺じゃねぇっつーなら、ソイツを殺るけどな」

「……え?あっ、厭、だっ、待っ――…っっ」


何でっ……


再び浮かんだ疑問は意図を持って蠢く指に、音にならないまま掻き消されて、意味を成さ無い音に変わっただけ。


今の彼は不覚とも攪乱とも違う。


なのに、躊躇う事なく私に触れる此の人は、本当は一体誰なのか。


逆らう事の出来ない此の熱を、私は知っている気がした……。






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