修兵短編 壱 | ナノ


first

最後の一枚の書類を書き上げて、よし、と凝り固まった体を思い切り伸ばした。


「今日は帰るか」


最後、と言っても本当の意味での終わりなんてねぇんだけどなと嘆息して、目をやった時計が指し示した時刻に帰宅を決めた。






「紗也?」


時間も遅いし自分で作るのも面倒臭ぇと足を向けた行き付けの飯屋の近くで、見付けた後ろ姿はよく見知ったものだった。


「っ修、兵……?」


掛けた声に振り返った彼女の、予想外の、有り得ない程に驚いた顔に眉間に皺が寄った。


「今から食事なの?」


私は見回りの帰りなのと、こんな遅ぇ時間に何をという疑問は直ぐに解消されたが、最初に声を掛けた時のあの驚きようは何だと、口には出せないモヤモヤが胸に擽った。


「久しぶり。えっと、元気だった?相変わらず遅い帰りだね」


『久しぶり』と微笑う紗也の言葉にも其の表情にも、嫌味なんてものは欠片も含まれていない事が分かるのに、訳も解らないままムカつきだけが増す。


「一人なの……って、そんな訳ないか。此れから誰かと待ち合わせ?」


今 目の前で、そんな台詞を何でもない事のように口にする女は、未だコイツがそう思って居るのなら、俺の、所謂 彼女という立場に居るはずの女で。
今の言動の一つ一つを取ってみても、本来なら有り得ない事ばかりで。


「……違ぇよ」


一人で飯食いに来たんだよと言えば、そうなの?と返される。
俺を視認した後からの、ゆっくりとした所作に感情は見えない。

久しぶりに会ったっていうのに、偶然を喜ぶ素振りも無ければ、だったらと、一緒に過ごすつもりも無い淡々とした態度は、


俺がそうなるよう、し向けて来た結果じゃねぇか……


其処に恋人と言えるような甘さなんてモノは、何一つ存在しないかのようだった。



紗也との距離を起き出したのは俺だった。

嫌になった訳ではねぇが、副隊長までの階段を駆け上る俺を取り巻く環境の変化の中で、好きだと言う感情も薄れていた、そう思っていたあの頃。

浮気をしようと思った訳では無い。けれど、霊術院からの付き合いの、遠慮の無い紗也の言葉や心配を口煩く感じ始めたのが最初だったか……。

忙しいや付き合いを理由に、紗也との時間を減らした。
女の居る飲みの席にも顔を出し、別れを口にしないだけ、他には手を出して居ないだけ。

そんな事をしている間に過ぎた時間は、本当の忙がしさとも相俟って、気付けば、どうにもならねぇくらいの距離が空いていた。

置いた距離のお陰で見えなくなっていたものが見えても、置いた距離が其れを躊躇わせた。


ヤバいと思った時にはもう遅ぇ。


『彼女、良いんですか?』なんて、周囲の心配の言葉も疾うに聴く事も無くなった。

そんな俺達の関係を何と呼ぶのかと思えば、今の此の感情の理由を問う事さえ憚られるんじゃねぇかと思えた。


「……お前は?」

「私……?の、何?」


じゃあ、と、あっさり踵を反してしまいそうな紗也に、引き留めるように話題を振った。


「飯。っつーか、何で一人なんだよ」


こんな遅ぇ時間に一人で見回りとか有り得ねぇだろと言えば、あ―… と苦笑して内緒ねと言われる。


「一緒に居た後輩君が、彼女を待たせてるって言うからさ」


直帰だったし早目に上がらせたと、相変わらずのお人好しっぷりに寄った皺が深くなる。

食事は此れから家で適当に何か作って食べると笑う、なのに決して誘われない言葉に焦燥が湧いた。


「じゃあ、またね」

「待っ……」


本当に帰る気かと、咄嗟に掴んだ腕に、不思議そうな表情を返す紗也にモヤモヤが形を成して行く。


「送る」と言えば「良いよ」と否定される。
其れでも、此のまま帰す訳には行かないと何かが叫んだ。


「もう遅ぇだろ……」

「……大丈夫だよ。元々 一人だったし。其れに、早く上がれた時くらいゆっくりしなよ」


只でさえ忙しいんだからと、困ったように苦笑されても……


「送る。こんな遅ぇ時間に一人では帰せねぇ」


掴んだ、此の温もりを放す気にはなれなかった。
もう反論は聞かねぇと見知った路を歩き出せば、ごめんねと、望まない声が小さく聴こえた。






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