コンコンコン と鳴らされた軽い音に、跳ね上げる勢いで扉を注視した。
失礼しますと覗かせた容姿に、悪いと思いつつ抑え切れなかった溜め息が溢れて、慌てて咳払いで誤魔化した。
「書類をお持ちしましたっ」
「…………」
朧気に在る記憶を手繰れば、確か此の顔は乱菊さんトコの新人で、紗也さんの代わりに雛型を持って来た……
と、其処まで思って、頭に浮かんだ名前と容貌に胸が痛んだ。
『もう、帰って……』
そう言って、無理をして微笑ってくれたはずの紗也さんの微笑みの違いに気付けもしねぇ。
其れくらい俺は、紗也さんに甘やかされて居たらしいとやっと気付いた。
想えば、胸が酷く痛む。
顔が見てぇと何かが叫ぶ。
いつも当たり前に在った霊圧を辿る事も出来ねぇ。
紗也さんが居なくなってからもうずっと、訳の解らねぇ感情に振り回されてばかりだ。
檜佐木副隊長?と声を掛けられて、ヤベぇと耽っちまいそうになる思考を戻した。
悪いなと無理矢理笑みを作って受け取れば、何を勘違いしたのかソイツが嬉しそうに頬を染めた。
なかなか退室しねぇソイツにまだ何か有ったかと問えば、パクパクと金魚みてぇに挙動不審になって行くから頭が痛くなる。
挙げ句、だよな、と想定内の言葉を聞かされて、大袈裟に嘆息してやった。
*
「ちょっとアンタ、一体何人ウチの可愛い隊士を痛め付ければ気がすむわけっ」
「普通に断っただけっすよ」
簡潔に、解り易く。
今後、絶対に誤解が生じないようにはっきりと。
青筋立てて乗り込んで来た乱菊さんには悪いが、ソイツがあの後に使い物になろうがなるまいが知ったこっちゃねぇ訳で。
「アンタが期待させるような事を云うからじゃないっ」
「………は?」
俺が、いつ?
そんなジと目で見られたって、身に憶えなんてねぇ事に責任は持てねぇ。
「すんません、あの新人の名前処か顔すら怪しいんすけど」
「アンタが!書類を持って来たあのコに、可愛いなって言ったんじゃないっ」
「は?俺がっ……………って、ああ、」
アレがあの新人だったかまでは憶えて無ぇが、そんな事も有ったなと、何となくだが思い出したような気がする。
確か日番谷隊長が居ないのを良い事に、乱菊さんトコで休憩がてら紗也さんと三人で話して居た時だ。
『紗也はどんな男がタイプなのよ〜』
男っ気の無い紗也さんに、乱菊さんがどんな男が好みだとかって迫るのを、何となく気になって気のない振りをして聴いて居た。
今思い出しても胃がムカムカするが、
『阿散井君が恰好良いと思いますっ』
大きいし、筋肉質で逞しくて……って、ニコニコと話す紗也さんにあの時もだんだんムカついて来て
『何よ、紗也。ああいうのがタイプな訳〜』
『好きな女のコは、躯を張ってでも護ってくれそうじゃないですか』
私は包容力の在る人が好きなんですって、紗也さんが微笑いやがったか、ら……
『今の娘、可愛いっすね』
気付けば。正直、顔なんて見ても居なかった、偶々書類を届けに入室して来たソイツの事を、紗也さんの前で可愛いと褒めていた。
当て付けるように、紗也さんと正反対の好みを言っただけだ。
訳の解らねぇ、腹に溜まった黒いモンを吐き出すよう、に……。
「……乱菊さん」
「だから、言ったわよね」
後悔した時には遅いって。
俺の悲痛な顔を見て取って、頭を押さえるように溜め息を吐く。
けどダメだ。
そんな事は解ってる。
解ってたって……
気付いたらもう、無理だろ……
「乱菊さんっ」
「無理よっ!」
頼みますと頭を下げた俺から顔を反らして、乱菊さんが耳を塞いだ。
守秘義務が在る事くらいは解っている。
「乱菊さん……」
「…………」
「乱菊さんっ」
「っっ―――…、ああっ!もうっ」
一歩も退かねぇって態度の俺に頭を抱えて、「一つ貸しよ」と睨まれる。
「…………任期は五年。担当は阿近だから」
捕まえたいなら技局に行けと、犬でも払うように手を振った。
すんませんっ!ありがとうございますとデカい声と共に勢い良く頭を下げて、一刻も速くと技局へと走る。
紗也さんに認めて欲しかった。
ずっと紗也さんを慕って来た。
紗也さんが俺じゃねぇ他の誰かを好きになるのだけは耐えられねぇと、自分勝手にも思ってしまう。
其れは想像だけで膓が煮えくり反る程……
憧れや慕う気持ちが強過ぎて、好きだとか付き合いたいとかそう言う次元を超えていた。
もしも、そんな都合の良い言葉を許してくれるなら、
失くしたくねぇ
紗也さんだけを見ている。
其れが、今までも此れからも何も変わらねぇ
俺の答えだった――…
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