「はい、頼まれてた雛型」
そう言って手渡された物を見て、知らず眉間に寄った皺は
「この私に届けさせておいて良い度胸じゃないアンタ」
「っあ、いや別に……。すんませんした」
姿を現した人物が、俺が想像していた人では無かったからで……。
「頼んだ本人じゃ無かったんで、その……」
「紗也も忙しいのよ。午後からは半休で居ないしね」
口籠る俺に呆れた視線を向けて、乱菊さんが訳知り顔で言う。
「アンタが大事な雛型失くすなんて、此れまで見た事も聞いた事も無いけど?」
「…………」
あの新人……
何で選りに選って此の人に言うんだよっ
名前も顔も良く憶えて無ぇ女に文句をぶつけてみても、窺うような乱菊さんの視線から逃れられる訳も無ぇ。
「ちょ……っと、紛失しちまってるだけ、で…………すんません」
「……まぁ良いけど?じゃあ私は戻るけど、其れは来週には戻してよ」
そうして、今持って帰っても良いけどって悪い微笑みを浮かべられて降参した。
「……様子が、おかしかったんで」
最近になって、頻繁に顔を出してくれていた紗也さんの様子が変だった。
同じ時間にやって来て、何かを口に仕掛けては躊躇って。
諦めたように微笑って少しの時間で帰って行く。
どうかしたかと流石に気になって、今日辺り問い質してみるか思っていた矢先、とうとうおかしな事まで言い出した。
言うに事欠いて其れかよ……
脱力もんの意図が読めない言葉を適当に流しながら、とにかく後で呼び出してからだと其れこそ適当な理由を云った。
終わりが見えた書類を片付けた頃に来て貰って、飯にでも誘って話を聞けば何か判るかと……。
「其のおかしな事って何よ」
「っ、いや。俺を、好きだとか……有り得ねぇし。あの人、俺を弄るのが趣味なんで」
学院時代の先輩も先輩。
一回生の時の六回生なんて神様状態だ。
其の大先輩でも在る紗也さんが、俺を好きだと言い出すんだから、何か有ったのかと考えるべきだろう。
一応、昼休憩の間っつったって、此処は隊舎で副官室で。曲がりなりにも俺はまだ仕事中で、紗也さんの手にも確りと書類が握られていた。
『……修兵君が、好きなんだけど』
そんな状況で、さぁ断れ的に云われて誰が本気にするだろう。
の前に、冗談にも程が有んだろ。
「其れで断ったわけ?」
「断ってはいないっす」
どうせいつもの、悪ふざけの一環か何かだと言う事にして返事をしただけだ。
何をふざけた事を言ってんすかと言わなかっただけ褒めて欲しい。
其れでも一瞬、本気に仕掛けたのは、紗也さんの瞳が何処か思い詰めて居たように見えたからで、正か本気じゃねぇよなと、動揺を隠すべく殊更冷たい態度になっちまったのは致し方ねぇ事だと思いたい……
「だから、まともに請け合いもしないで瞬殺したってわけね」
「いや、だからっすね。紗也さんも本気じゃねぇんすよ……」
……って、
「何すか?」
急に真面目な顔になった滅多に御目に掛かれない乱菊さんを窺えば、少しの逡巡の後で、まぁ良いわと軽く頭を振って帰って行った。
『一つ確認だけど、紗也が本気にしろ冗談にしろ、アンタの答は変わらないのよね?』
『……そう、すね』
紗也さんと……?
なんて、考えた事も無かった。
やっと抜いたのは席次だけで、まだまだ頭なんか上がらねぇままで、隣に立とうなんて百年早ぇ。
『なら、良いわ』
『ちょっ……』
此れももう必要無いわよねと手にされた雛型に、思わず手を伸ばしそうになって失敗した。
返しに行く口実まで取られて慌てる俺に溜め息を一つ。
『後で悔やんでも遅いって事って、けっこう多いと思うのよね』
『何すか、其れ』
『一般論かしら』
話の脈絡が読めずに眉根を寄せた俺に、解らないなら良いわと向けられた背が消えても、何故か反らす事も出来ないまま扉を見詰め続けた。
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