「本当に、らしいですよね」
離して下さいと言われて力を籠めれば、腕の中の四宮が微笑った。
「……らしいって何だよ」
言われた内容がむず痒くて態と不機嫌な顔を造れば、子供みたいだからですと其の笑みを苦笑いに変えた。
「ほんの少しで良いので、弛めて貰っていいですか」
「悪いっ!……痛かったか?」
「じゃなくてですね……」
「………っ」
弛めた僅かな空間で、顔が見たいと俺に向き合った四宮の微笑みと、其の近さに息を呑んだ。
ほんの少し、顔を傾けるだけで君に触れる。
其処に在るのが四宮だというだけで、許されるはずの無いその距離に、戦慄を覚える程に……。
莫迦デカい音で打ち付ける鼓動が伝わればいいと引き寄せれば、躰を預けてくれた事に不安が募る。
終わりに向かって行くような、譬様の無い不安焦燥。
「檜佐木副隊長を庇ったりしなかったら。私が記憶喪失になんかならなかったら。傍に居たいと望むくらい出来たのかなって、考えてもしょうがない事ばかりを考えていました」
「四宮……」
「でも違った。檜佐木副隊長を庇ったから、こうしてお話しする事が出来る。記憶が有ったら、私なんかが関われるような人じゃなかった」
「それは……」
違う……。
四宮は知らない。
俺が四宮を好きだった事も、四宮が俺を嫌って居た事も。
俺が傷付けた事、全てを……
知られたくない。
今を失くしたくない。
ただ恐怖するしか出来ねぇ……。
お前が莫迦じゃなかったら
譬どんな風に出逢ったとしても、四宮はお前を選んで隣で笑っていたんじゃねぇかって。
誰かに、嘲笑われている気がした……。
霊術院二組から十一番隊に女が入隊した……
一気に駆け巡った其の噂のせいで、当時四宮紗也の名を知らないヤツは護廷内には居なかっただろう。
怪我をしても四番隊に行きたがらない連中の治療目的だの、一向に改善されない書類整理の為だの。
生け贄とまで云われた同情論は、四宮紗也が瞬く間に席次を与えられた事でその趣きを変えた。
適材適所
ゴツい大女
鬼のように強い
全てが『らしい』という憶測で在りながら、十一番隊の奴等が四宮を護るように表に出さない事も手伝って、真しやかに語られていた。
俺も興味は無いなりに、そんなもんだろうと思っていた一人には違いない。
『紗也は可愛いっすよっ』
デカくも無ぇし、華奢だし優しいしと褒め言葉を並べ立てる阿散井には、いつも白けた目を向けていた。
『まぁ、草鹿除けば紅一点だしな……』
『其の目がまたムカつくんすけど』
何処へ行っても、何を言っても、同じ反応をされるのに疲れたのか
『もう、いいっす』
檜佐木さんにももう絶対ぇ話さねぇと言って、阿散井も四宮の話はしなくなった。
知らぬ間に噂もだんだん落ち着いていたんだろう。
四宮の名を聴く事も少なくなって。
時折、期限が守られるようになった丁寧に作成された書類を眺めながら、字は綺麗だよなと思い出す程度となっていた。
そんな俺が初めて四宮紗也を見たのは、阿散井が副隊長に任命された時だ。
阿散井が補佐として連れて行くと言う、朽木隊長や更木隊長に頭を下げてまで連れて行きたいと望んだ彼女に興味が湧いた。
入隊当時の厳戒体制も無く、すんなりと通れた十一番隊舎の道場を覗けば、其の姿は直ぐに知れた。
細ぇ……。
彼女の何処に猛者共を投げ飛ばす力が在るのかと瞠目する。
斑目に対峙して怯む事なく構える、その射抜く視線に囚われていた……。
笑った顔が……
『檜佐木さん?』
『うおっ!……吃驚させんなっ』
『先輩こそ、こんな所で何をやってんすか』
『何って……』
こんな、只でさえ犬猿な十一番隊の稽古場に、たった一人で俺が居る。
不思議顔の阿散井の疑問も尤もな訳で言葉に詰まる。
四宮紗也を見に来たとは言えねぇし。
今更……
『恋次先輩、遅いですよ』
『紗也』
『―――…っ』
不意に背後に聴こえた声に固まった。
直ぐ傍に彼女がいる。
全神経が四宮に向かっちまってるような、そんな感じがした。
第一印象っつーか、想像していた姿がアレだった分、覆されたモノはデカかった。
見た目然り、雰囲気も然り。
思った以上に柔らかく耳を擽る、さっきまで斑目に向かって行っていたとは思えない程の、優しい声音で……
『紗也、あ―…っと。此方が、九番隊の……、檜佐木副隊長だ』
『手前、何急に……』
心の準備ってもんがっ……
『……初めまして』
『っ、ああ。宜し……』
『おい、紗也っ』
ちょっと待てと、阿散井が焦ってんのも無理は無い。
四宮紗也が、挨拶の途中で踵を返して俺に……
背を、向けた。
『………………』
『紗也!お前、どうして……』
阿散井に問われ。
言葉を失くす俺に振り返りもせずに告げられた言葉は、嘗て無い程の衝撃を与えてくれた。
『檜佐木副隊長には……』
私の存在すらご迷惑なようですから。
『紗也っ……』
『いい』
『先輩……』
彼女の、耳に入らねぇ訳が無かったんだ。
キツい口調から伝わって来たのは怒りなんかじゃなくて、絶対的な拒絶と哀しみ。
譬、四宮が噂通りの女のコだったとしても、傷付けて良い理由になんかならねぇ。
四宮が表に出ない分、其の全てが造り上げられた虚像に近かった。
言い訳にも成らねぇが、実像が見えない分、語られる噂はエスカレートする一方で、皆が皆、罪の意識も薄かった。
知らねぇって事は恐ろしい事なんだって、少し考えれば解らねぇはずが無かったのに……。
其れからは、二人が異動した六番隊に事有る毎に顔を出した。
会えば会う程、四宮を知れば知る程。
募って行く想いが止められ無かった。
何かを言いたげな阿散井には、解っているんだと苦笑いして返す。
俺の諦めの悪さは、あの時から始まって居たのかと今でも笑えるが、スタートライン処か、遥か後方から臨むだけの俺に出来る事は、ああして顔を出し続ける事しか無かった。
『はっきり申し上げまして……』
『迷惑なんだろ?』
でしたら私に構われるのは止めて戴けませんか?
悪趣味ですと、心底嫌そうな顔をされては胸がジクジクと痛む。
何一つ伝わらない。
あの日 囚われた真っ直ぐな瞳に、四宮が俺を映す事は無い。
一生、無いんだと思っていた……。
手の中に降ちて来る雪は、触れると同時に状を変えた。
今、降り頻る雪よりも……本当に性質が悪ぃ……。
何故、今なのか。
あんなに恋い願った四宮が腕の中に居て、俺を……
好きなんです……「檜佐木副隊長……?」
押し黙ったまま射抜くように捉える、俺の瞳の奥に宿る狂気に気付いたのか、少し戸惑うような声音に変わったのが判る。
此のまま触れてしまいたい
口付けて、白い肌を舌で辿る。
欲しい熱を組み敷いて、無理矢理にでも自分のモノにしてしまいたい……。
そうでもしなきゃ、
お前は、消えてしまうんだろう……
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