修兵短編 壱 | ナノ


05

紗也、と呼び掛けようとした時にはもう姿が消えていた。

追い掛けて来るなと云われた事が解って、怯みそうになる足に力を入れる。

どうしてと、何度問われたとしても……


「俺が紗也を、好きだからだ……」


失くしたく、ねぇからだ。






「だから、どうして追い掛けて来るのよ……」


あんな風に微笑わせてしまった俺に、気丈に背を向けた紗也を直ぐに追って捕らえた。

もう気にしなくていいと逃れようとする紗也を腕に閉じ込めて、頼むから聴いてくれと懇願する。


「アイツに見られたくなかった……」


そう云った刹那、強張った躰をキツく抱き締める。


「……違う。紗也が思っているような理由じゃねぇんだ……」


今まで、想いを気付かれる事さえ許されないと思っていた。
後ろ姿を目で追っては直ぐに逸らして、焦がれるばかりだった紗也が当たり前のように俺の隣に居てくれる。

伸ばした手を、躊躇いなく握り返してくれる。

それが、不意に泣きたくなる程に胸を熱くした。

昨日も、人混みは好きじゃないと言っていた紗也を連れ出して、逸れないようにと手を取った。

まだ少し照れ臭くて、触れる理由が欲しかった。

そうして繋いだ熱に幸せを感じた刹那……
目に入った顔に心臓が跳ねた。

こうして、手を繋いでやる事も無かった。

好きじゃねぇなら、付き合うべきじゃ無かったんだと、燻っていた想いが罪悪感となって沸き上がった。

付き合っていたと言えるのかさえ怪しい。

たったの十日足らず。

別れを告げた時に、思いやる事も出来なかった。

紗也が俺を好きだと聴いて、もう紗也の事しか考えられなくなっていた。

一刻も早く別れる、それしか考えていなかった最低な自分……。

見られたくなかったのは、そんな莫迦な俺が仕出かした現実……。




「ごめんな……」


結局、また泣かせてしまった。


「さっき、ちゃんと謝って来た……」


呆れられたけどな。


「もう二度と泣かせねぇから、もう一度……」


俺の傍に居て――…





色々と仕出かす阿散井の傍には、いつも世話を焼く紗也の姿が在った。

名前も知らなかった紗也と話したのはあの実習から三ヶ月も過ぎた頃。

ドジを踏んで派手にばら蒔いた担任に頼まれた書類を、一緒に拾い集めてくれたのが初めだ。


あーくそ、カッコ悪ぃ……


俺のそのドジっぷりの一部始終を見ていたらしい紗也に、罰悪く目を逸らしながら礼を伝えると、


『檜佐木先輩の、イメージが変わりました』


そう言って微笑んで、気付かれていたらしい、道端の花に視線を向けた。


『どんなイメージだよそれ……』

『聴きたいですか?』

『……止めておく』


元々のイメージってどんなだよ……ってか、どんな風に変わったんだよ。


聴きたいけど聴きたくねぇ


良い方に変わったのか、だったらいいと、そんな事まで思う程……。

愉しそうに、そして優しく笑う紗也に心臓が跳ねた。


俺だって、お前のイメージ変わったっつーの……。


はいと渡された書類の束を受け取って、微かに触れた熱に指先が震えて、同時にその冷たさに驚いた。


夏、だぞ?


咄嗟に退こうとする手を捕まえて、無意識に口唇に寄せていた。
包み込んで口唇で触れる。

あっと言う間に熱を持った指先を残念に思って目を向ければ……


『手を、離して下さい……』


先輩と違って慣れてないんですからと、真っ赤になった紗也が文句を言った。


『だから、俺はどんなイメージだよ……』

『先輩は……』

『いや、言わなくてい…』

『子供みたいですよね』

『…………は?』

『私は、今の先輩の方が、好きです』


どうせ録なもんじゃねぇだろうと不貞腐れたように云う俺に、酷く優しい瞳を向けて……

紗也が、微笑った。


俺は、その瞳に映りたいと願い続けていた。





返事のないまま、ただ涙を流し続ける紗也を、離す気は無いんだと、今度こそ確りと腕に抱き締め続けた。

まるでガキだろと自嘲しても、離す気にはなれなかった。


「私はずっと、後悔してた……」


その言葉にも抱く腕に力が込もる。


「修兵の手を離した事……」

「紗也……」

「あんなに後悔するなら、手を離さないでって言えば良かった……」


私は、それだけで良かったのに……


そう言って俺を抱き締める紗也は、あの日から、何一つ変わらないままの紗也だ……。





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