「ほら、兎」
「…………」
『来なくていいです』から『来ないで下さい』に変わっても、そんな台詞は右から左へと聴き流して四宮の病室へと通い詰めていた。
剥いた林檎を笑顔で差し出せば、四宮が嫌そうな顔を隠しもせずに受け取った。
記憶の無い四宮は、こうして俺を受け入れる。
記憶が無いからこそ、俺の存在を許容している……。
今の四宮が俺に来るなと告げるのは、単に周りが煩いからだと解っている。
そろそろ解放してやれだの、何様だの、色々と云われちまってんのは知っている。
俺の行動は、四宮には迷惑以外の何物でも無いだろう。
其れが解っていても、俺が嫌だと言う理由じゃない、その事実が嬉しくて、四宮の傍に居たいという欲望のままに行動しちまっている。
「本当に、もう来ないで下さい」
溜め息混じりに告げられた言葉に申し訳無いとは思っても、俺がめげる事は無い。
「つったって、その怪我じゃまだ大変だろ」
「恋次先輩も来てくれてますし、花太郎君に頼みま……」
「却下」
「は……?」
は?じゃねぇよ。
それが嫌で通い詰めてるのも有るんだっつの。
俺に独占欲なんてモノが在ったのかと判った時には、天地がひっくり返るくらいの衝撃を受けたけどな。
それはともかく、阿散井副隊長が恋次先輩に、山田七席が花太郎君に変わって行ったのも面白くねぇ。
『だったら、先輩も名前で呼ばせたら良いじゃねぇっすか』
『…………』
『先輩?』
色々と解っているくせに人の気も知らねぇで、簡単に言ってくれる阿散井に舌打ちが洩れた。
それが出来れば、苦労はしねぇんだよ……。
「檜佐木副隊長?」
「……っ ああ、悪ぃ。どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないです。やっぱり無理されてるんじゃないですか?」
茫っとされてましたよと覗き込まれて擽ったい想いになる。
「疲れたら隣で寝かせてくれるって?」
「だから何で、いつもいつもそう曲解ばかりするんですかっ」
もう勝手に倒れて下さいと怒ってる姿に笑みが溢れる。
無理しなきゃ、一緒に居られもしねぇんだからしょうがねぇだろ……。
こんな莫迦な事ばかり云って自分を誤魔化してなきゃ、平静を保てもしない。
「四宮に心配されるような事じゃねぇよ」
そうして、嬉しいくせに余計な事ばかりを吐き続ける。
「…………」
「四宮……?」
心配なんかしてないと返されると思った苦言が無いのに目を向ければ、其処には俺の意に反して瞳を揺らした四宮が居た。
「……余計な事を言いました。私なんかの心配なんて、只の迷惑でしたね」
もう、言いません……
慌てた俺に気付いた四宮が、罰が悪そうに顔を叛けて苦笑した。
失敗、した……。
「違ぇ……」
「…………」
好きだと告げておきながら逃げ道ばかり作る。
会いに来るのを止めないくせに、踏み込む勇気も無い。
踏み込んで、失くすのが怖い……。
諦めたくないと言いながら、諦める準備をする。
俺がしている事は、矛盾だらけで……。
四宮は、抑え切れずに溢れた俺の気持ちを、俺自身をも、もう信じてもいねぇだろう。
「四宮……っ」
違う、伝えた想いに嘘は無ぇと。この震える程の恐怖を、どうしたら見せられるのか。
「俺は……っ」
伝えようと口を開いた途端、煩ぇくらいに震え出した伝令神機にもう時間が無ぇ事が解って舌打ちが洩れる。
タイミングも悪ぃ……
簡単に告げられるような想いなら、こんな事にはなって無ぇんだと拳を握った。
「また、来る……」
「……本当に、もう来ないで下さい。お気遣いは不要です」
きっと、お互いに……
「気遣いじゃ、無ぇよ……」
云われても仕方無ぇ事だと思うのに、情けねぇ程に胸が痛んだ。
目を窓の外に目を向けたまま、もう四宮が此方を見る事は無かった。
抱き締めてしまいたい。
それでもこの恐怖は消えないと、握った拳に力を籠めた。
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