私は、記憶喪失らしい。
と言うより、だった、らしい。
記憶が戻った今は、何の問題もない。
たった一つのことを除いては……。
目を覚ました四番隊救護室で一番最初に目にしたのは、私の手を握り締める檜佐木副隊長の姿だった。
何故この人が… と、まだはっきりしない頭に浮かんだ瞬間、前触れも無く抱き締められて、声にならない悲鳴を上げた。
「ちょっ…、行き成り何するんですか」
放して下さいっ
絞り出した私の声に反応した檜佐木副隊長が、引き剥がすように距離を取ったかと思えば、今度は両掌で私の頬を包んで瞳を覗き込んで来た。
目が合った――…
その一瞬後に、窺うように覗いていた瞳の奥が、何か強いものに変わって行くのを、私は訳も解らずに見詰めていた……。
討伐に出ていた。
私の憶えているそれは、二年も前の記憶らしかった。
今回、実地訓練中に突然倒れたらしい私は四番隊に運ばれて居たらしく、檜佐木副隊長が私の意識が戻ったからと卯ノ花隊長を呼んでくれていた。
阿散井副隊長が朽木隊長と共に入室して容態を確認している間も、入口付近に佇む檜佐木副隊長。
私は、卯ノ花隊長の話を遠くに聴きながら、檜佐木副隊長の視線に居心地の悪さを感じてただ俯いていた。
何故、そんな瞳で私を見るのかが解らなかった。
まるで挑むような視線の意味も……。
「恋次先輩、その作り話に何か意味が……」
「作ってねぇよっ」
朽木隊長と卯ノ花隊長が退室された後で、阿散井副隊長に聴かされたのは、到底信じ難い嘘のような話だった。
変わんねぇなお前…って状況も忘れて呆れられたとしても、私にとっては有り得ない話だ。
私が、檜佐木副隊長を庇って怪我をした?
その時の怪我が元で記憶喪失になって?
それから私達は付き合っていた?
私が……?
「別人……」
「お前ぇだよ」
「痛いっ」
は――――――…
って、ちょっと息を吐くの長過ぎませんか?ってくらいの溜め息を吐いた恋次先輩が辛そうに呟いた。
「だから俺は――…」
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その後、帰宅を許可された私は寮に戻っていた。
『お前は、檜佐木さんと住んでんだよ。もうずっと……』
苦虫を噛み潰したような顔で恋次先輩が言った。
次から次へと、信じ難い話ばかりされても困る。
頭を抱えたいのは、私だ。
有り得ない。
それは私だけじゃなくて、檜佐木副隊長だって同じなはずだ。
それなのに、立ち尽くした生活感の無い其所は、恋次先輩の言葉が真実だと無言で語りかけて来るようで、既に居心地の好い空間では無くなっていた。
私の記憶に残る私の居場所は此処しかなくて、それは間違いないのに……
『紗也は、どうする?』
『どうって……』
罰が悪そうに、恋次先輩が檜佐木副隊長に目を向けたのに合わせて視線を向ける。
無、理――…
途端に襲われた胸の傷みに、私は顔が歪んで行くのを止められなかった。
『帰ります』と言った私に、檜佐木副隊長が何かを言いたそうにしては、止めた。
私は、私の知らない二年間を知りたくなくて、今も檜佐木副隊長の部屋には行っていない。
荷物も処分するよう伝えて貰った。
私が知る必要は、無い気がした。
もう関わりたくない。
お互いにその方が善いと思うのに、何故ああ出るのか解らない。
私達が一緒に居た。
何故、檜佐木副隊長がそれを選んだのか。
その答えは、解り易過ぎて嘲笑える程だ。
その事に、あの聡明な彼が気付いていない訳も無いだろうに……。
だから、止めとけっつったんだ――…
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