「紗也ちゃん、この書類、阿散井に渡してくんねぇ?」
「……………」
「その顔も可愛いよなぁ」
また出たよ…
とばかりに思いっきり眉間に皺を寄せた私なんて何のその。
どっかのネジが飛んでるんじゃないですかと言いたくなるくらいに惚けた台詞を吐くのは、九番隊副隊長、檜佐木修兵。
「恋次先輩…… 檜佐木副隊長は頭大丈夫ですかね」
「お前、そう言うのは本人の前で言うなよ…」
「聞こえてる本人が気にしないなら平気じゃないですか?」
「……………」
一応、副隊長相手なんだからよとブツブツ言ってる恋次先輩に、本当『一応』ですよね、とニコニコ笑って返す。
「何で阿散井にばっかりそんな可愛い顔で笑うんだよ!いや、どんな紗也ちゃんでも可愛いけど」
「先輩……」
「まだ居らしたんですか」
「紗也……」
このまま席を立って書類配達にでも消えてしまいたい……
けれど、じゃあ俺もと付いて来られるのは目に見えているからそれも出来ない。
実践済みだ。
嵐が過ぎ去るのを大人しく待つしかない現状に溜め息しか洩れない。
直属の上官である恋次先輩と檜佐木副隊長は、霊術院からの既知で仲が好く、お仕事以外でも頻繁に一緒に居られる。
お陰で恋次先輩が六番隊に副隊長として任官されてからは、檜佐木副隊長が日課のように顔を出されるようになって、六番隊隊舎では女の子達の異様な盛り上がりが見られるようになった。
女性死神に人気の高いお二人故、六番隊への入隊・異隊希望が激増してるとか……。
「異隊…って言う手が有ったか……」
「いや、それあんま意味無ぇぞ……」
誰とは言わないが、やっと帰って下さった後の副官室で、苦肉の策を捻り出した私に恋次先輩から同情たっぷりの言葉が掛けられた。
「……何で、ですか」
「解ってて聞くなよ…」
「…………」
黙り込む私に、紗也らしいよなって恋次先輩が苦笑したけれど。
解りたくなんかない……。
恋次先輩が六番隊副隊長に任官された際に、誰か連れて来たい者が居れば…との朽木隊長のお心遣いを戴いた。
その恋次先輩のたっての希望で、私は三席として一緒に異隊して来た訳で……。
それまで、隊同士の仲が悪かったせいもあって、檜佐木副隊長が十一番隊に顔を出した事なんて殆ど無いはずだ。
私との接点だって皆無だった。
それ処、か……っ
「……とにかく。いつまでふざけてるつもりなのか、檜佐木副隊長の意図はさっぱり解りませんが」
「先輩はふざけてなんか」
「恋次先輩は!……檜佐木副隊長と親しいんですから、そろそろ止めるよう言って下さい」
いい加減迷惑ですと告げて、目の前の書類に取り掛かる私に恋次先輩が何かを言いた気な視線を向けていたけれど。
気付かないふりで仕事を続ければ、溜め息を吐いて、諦めたように仕事を始めてくれたのが解った。
それにほっと息を吐き出して、もうずっと、私を苛む胸の傷みを押さえ付けるように握った。
多忙を極める九番隊の隊長権限代行でも在る彼が、暇な訳では無いだろう。
そんな中で足繁く通って来ては、ああしてニコニコと話し掛けて来る。
睨んでも無視しても、一向に止める気配はない。
処か、エスカレートしている気がするのは気のせいじゃない。
万策尽きたかも知れない……
どうして私なんかに構うのか…、か。
檜佐木副隊長は、このまま逃してくれる気はないようだ。
「紗也……」
「解ってます」
知らない振りもそろそろ限界らしい。
けれど、私の記憶は此処までだ。
私は、貴方と付き合っていた私を知らない――…
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