その手をつかんで | ナノ

29.私にとってのマルコ


部活休みの木曜日の放課後、ジャンは校舎の中庭にあるベンチにルーラと並んで座っていた。

ルーラがジャンに相談があると言って呼び出したのだ。

ジャンは最初、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

それほど珍しいことだったのだ。

というより、こんなこと初めてだった。

だが、それは容易に一つの結論を導く。

マルコではなく、敢えてジャンに声を掛けるということは、相談というのはマルコに関係することに違いない。

ちょうどいい。

ジャンもルーラに確かめたいことがあった。

「ご、ごめんね。時間取ってもらっちゃって」

「別に、いいけどよ」

ジャンは相談相手、特に異性の相談相手に指定されることなど皆無なので、少々緊張している。

「これ、購買のドーナツ。ジャン好きでしょ?付き合ってくれるお礼」

「おーサンキュ」

若干乾いた口の中に輪っかの一部を押し込む。

購買のドーナツは甘さ控えめのはずだが、体が糖分を欲していたのか、いつもよりずっと甘く感じた。

が、元々乾いていた口内はカラカラに干上がる。

つばが喉に引っ掛かって、思わず咳き込んだ。

「だ、大丈夫?ごめん、飲み物買ってくるね」

ルーラはあわあわと立ち上がった。

落ち着きなく周囲を見渡す。

自動販売機を探しているのだ。

校内のどこに自動販売機があるかなど、とうに把握しているはずなのだが、焦って頭から飛んでいる。

ルーラもジャンと同様、緊張していた。

「いらねぇよ。それより早く話せ」

ルーラは躊躇ったが、もう一度ジャンに促されると、大人しく腰を下ろした。

しかし、座ったはいいが、もじもじと両手を動かすだけで、一向に話を切り出す気配がない。

ジャンは――本人にしては辛抱強く待った方だが――痺れを切らした。

「何だよ。マルコのことだろ?」

ルーラはハッとジャンを見た。

目を白黒させて、おずおずと聞く。

「な、何で…?」

わかったの?という言葉は省略されているが、口調と表情から明らかだ。

「マルコに相談するだろ、お前は。マルコ本人のことでもない限りはな」

ルーラは目を伏せて、ジャンって頭いいねと言った。

ジャンは今頃気付いたのかと返す。

ルーラは短く笑った。

「で?マルコがどうしたんだ?」

「私、さ…」

ようやく本題に入った、とジャンは思った。

が、ここでまた言葉が切れる。

微妙な空気がその場に漂い、それを持て余したジャンは、場繋ぎにもう一口ドーナツをかじった。

ルーラは言葉を選ぼうとして失敗し、それを何度か繰り返してようやく言った。

「私、マルコのことどう思ってるのかな?」

ジャンは盛大に呆れ顔を浮かべた。

「はあ?」

何故そういう質問が出てくるのか、ジャンには理解できなかった。

そんなもの、自分自身がわからないのに、他人にわかるはずがない。

それは自分自身で決着をつけるべき事柄だ。

むしろ、ジャンがルーラに確かめたかったことこそ、まさにこの質問だった。

ジャンは、自身への質問は「マルコがルーラをどう思っているのか」ということだろうと思っていた。

「お前さ、何でそれをオレに聞くんだ?」

ルーラは消え入りそうな声で、だよねと漏らす。

「最近ね、変なんだ。今までこんなこと考えたことなかったのに、なんか気になるの。何でだろう?」

「何でって…オレに言われてもな」

ルーラはまた、だよねと呟いた。

「モヤモヤするの。上手く言えないけど、時々、胸騒ぎがするっていうか、ドキドキするっていうか、かと思うとドロドロして気持ち悪くなるっていうか…」

ジャンは目を丸くした。

その感覚はジャンにも覚えがあった。

主にある女性に対して、だ。

それは時に、胸中を吹き荒れる突風のようで、時に、胸を灼くマグマのようで、制御できない感情にただ振り回されるしかない、そんな感覚だ。

ジャンはにわかに高揚した。

友人の笑顔が頭を掠める。

おい、勝算はありそうだぞ。

ジャンはニヤけそうになる顔を引き締め、なるべく素っ気なく聞こえるように言った。

「お前、それ、マルコが好きってことなんじゃねーのか」

ルーラはゆっくりとジャンに顔を合わせる。

「そうなのかな、やっぱり…」

ルーラは遠慮がちに笑みを浮かべた。

ジャンは始め、それを照れ笑いだと思った。

が、なんとなく違和感を覚える。

照れるとか喜ぶというよりも、ホッと安堵した笑みのように見えたのだ。

まるで、自分自身はその答えに疑惑を抱いており、それが否定されたことに安心したかのような。

わずかな懸念を感じて、ジャンは言い含めるように肯定する。

「そういうこったろ。むしろオレからしてみたら、何を今更って感じだけどな」

「そう…?」

「ああ」

「マルコは…今までずっと傍にいて、それが当たり前で…だから、改めて考えたら、わかんなくなっちゃって」

ルーラは俯いた。

ジャンは眉を顰める。

その横顔は色濃い不安をにじませていた。

一体何を不安がる必要があるのか、ジャンにはわからない。

ルーラはポツンと呟く。

「最近、マルコが遠く感じることがあるの」

思いもよらないルーラの告白に、ジャンはあごを落とした。

どうしてそうなる、と怒鳴りつけてやりたい気分だった。

あんなにルーラのことを考えて、過保護と言って差し支えないほどベタベタに甘やかしているマルコに向かって、どの口が「マルコが遠い」とほざくのか。

なけなしの理性でどうにかそれを抑え込み、頬を引きつらせながら問う。

「どうしてそう思う」

「どうしてかな…」

ルーラは遠くに視線を投げた。

その方向に書いてある答えを読み取ろうとしているように、ジャンには見えた。

「マルコってさ、優しいでしょ」

ルーラはポツリと呟く。

ジャンは黙って耳を傾ける。

「私、幼なじみだから、当たり前みたいにそれに甘えてた。でも、他の子からしたら違うの。マルコは優しくて、穏やかで、紳士的で…女の子に人気あるんだよ。知ってた?」

「ああ」

ジャンは、これについても今更かと思った。

「私とマルコ、いつか別々の道に進むこともあるんだって…クラスの子とね、楽しそうに話してるマルコを見て思ったの。そしたらなんか、グチャグチャしてきちゃって」

ジャンは安心した。

要は、マルコを意識し始めた結果、周囲とマルコの関係が目に入るようになって、焦っているということらしい。

俗に言うヤキモチというやつだ。

「これってヤキモチかな?」

「傍から聞いてる分には、そうだな」

「そっか」

ルーラは笑みを浮かべた。

ジャンはその笑みにも違和感を拾う。

まただと思った。

今、ルーラはまたホッとした。

しかも、そのため息は、ジャンが答えを与えたことに対してというよりも、ルーラの中にある疑念を否定したことに対するものであるように感じられた。

そこにわずかな後ろめたさが見え隠れしていたからだ。

先ほど感じた違和感と同じだ。

ルーラは、意識してか否か、ジャンから自分に都合のいい答えを得ようとしている。

ジャンの胸にはじわりと抵抗感が湧き上がった。

なぜ、そんなことをする必要がある。

「なあルーラ、オレに相談ってのはそれか?」

「え…」

ルーラはギクリと身体を震わせる。

ジャンはルーラの反応に眉根を寄せた。

「お前がマルコが好きで、周りの女子にヤキモチ焼いてるってことを確認したかったのか?」

「う、うん…まあ…」

「だとしたら、これで万事解決か?」

「う、うん…」

ジャンはなんとなく嫌な予感がしていた。

この話は早めに切り上げた方がいい。

でないと、踏み入れたくもない深みにはまってしまいそうな気がする。

ルーラはせわしなく視線を彷徨わせている。

まだ言いたいことがあるであろうことは明らかだ。

だが、ジャンは聞きたくなかった。

聞いてしまえば、えらく面倒な立場に立たされる、そんな確信めいたものがあった。

ルーラは顔を上げて、取り繕うように笑った。

「ありがとう、ジャン。スッキリした」

全身にわだかまりを抱えたまま、力なく立ち上がる。

「もう帰ろっか。時間取らせてごめんね」

無理矢理笑うルーラを見て、ジャンはため息をついた。

「言え」

「え?」

「まだあんだろ。言え」

ルーラはおろおろと視線を逸らす。

胸元に構えられた手がわずかに震えた。

「えっと…」

「座れ」

ルーラはベンチに視線をやる。

それでもまだ迷ってるのか動かない。

ジャンはベンチを叩いた。

ルーラの肩が跳ねる。

ジャンは顎で座るよう促す。

ルーラは観念したのか、ようやく重い腰を下ろした。

「ドーナツの分くらい、役割果たしてやる」

ジャンは残り半分になったドーナツにかぶりついた。





(20140328)


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