30.都合のいい答え
ジャンは最後の一口を放り込み、ドーナツをつまんでいた手をペロリと舐めた。
結局情にほだされてしまうのだ。
それがいいところだとマルコは以前言っていたが、ジャンは今でも納得がいっていない。
「で、何が気になってるんだ?」
「えっ…と…」
ルーラは霞のような声で呟く。
やはり言葉を紡ぐまでには時間が掛かる。
が、ジャンは自分が聞くと言い出した手前、大人しく待っている。
「マルコがいないと不安で…」
話は唐突に始まった。
先ほどの話の流れを汲んでいるのかいないのかも定かではない。
「ちょっと異常だと…思うんだ。中学まではこんなことなかったのに。瞬間的に、どうしてもマルコの顔が見たくなる時があるの。じゃないと恐くておかしくなりそうで…」
ルーラは小さく身震いした。
「いつか、マルコは私から離れていくかもしれない。でもダメ、今はダメなの。傍にいてほしいの」
今は、とジャンはルーラの言葉を反芻する。
「でもそれって、マルコのことが好きだからっていうのとは、少し違うのかもしれない」
ルーラは俯く。
「私…ただ、マルコのこと利用してるだけなのかも…」
ジャンは頭を掻いた。
その不安はルーラ自身が思い出すことを拒否している記憶のせいだと、ジャンにはわかっていた。
見え隠れする過去の記憶への不安からマルコを求める気持ちが、本来ルーラがマルコに抱いている気持ちを覆い隠しているのだ。
だが、まさかそれを説明するわけにもいかない。
「不安な時にあいつの顔が浮かぶってことは、あいつがお前にとってそういう存在ってことなんじゃねーのか?」
ジャンの問いに、ルーラは曖昧に頷く。
「私も…きっとそうなんだって思ってた…んだ、けど…」
「けど、何だよ?」
ルーラはまた黙り込む。
ジャンは頭をカラにして空を見上げた。
こういう時のいなし方にも慣れてきた。
しばらくすると、ルーラは、雫を落とすようにそっと言葉を落とした。
「…フーバーくんってさ、どんな人?」
ジャンはギクリとした。
いつかこの名前が出るのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。
案の定、まるで始めから決まっていたようにその名前は出てきた。
しかもこのタイミングはなんだ。
ずいぶんと意味深ではないか。
ジャンの胸はざわついた。
「…何でベルトルトが出てくるんだ」
自然と詰問口調になる。
「えっと…」
その声の強張りはルーラにも伝わった。
ルーラはしどろもどろになって答える。
「彼といる時なの。マルコに会いたくて仕方なくなるの。フーバーくんと一緒にいると、急に恐くなって…不安で心細くて、マルコの顔が見たくてたまらなくなる。どうしてかな?本人は全然恐い人じゃないし、傍から見てる分には平気なのに」
それは、あいつが一番、過去のお前と深い繋がりがあったからだ、とジャンは思う。
記憶が溢れ出しそうになるのを恐れて、本能がマルコのところに避難しようとするのだろう。
本来、マルコもその対象となってもおかしくはないのだが、ジャンを含む他のメンバーとは違い、ルーラはマルコだけは平気のようだった。
それが何故かは分からない。
が、それだけマルコが特別ということではないのだろうか。
それでいいではないか。
ジャンは苛々する。
何故それを疑う?
どうしてここでベルトルトが出てくるんだ。
ルーラはマルコを利用していると言った。
本当に、本気でそう思っているのだろうか。
ルーラが窓の外を眺めている時、廊下ですれ違った時、必ずと言っていいほどベルトルトを目で追っていることには気付いていた。
ジャンが気付いているくらいだから、マルコだって当然気付いている。
それを思うと、ジャンは一層不機嫌になった。
これだけマルコに依存しておいて、マルコよりベルトルトの方が気になるというのなら、彼女の言は正しいと言わざるを得ない。
だが、ジャンはそれを認めたくなかった。
それは親友の心を傷つける結論だからだ。
それに幸い、ルーラは今のところ、ベルトルトに対しては、恐怖や不安の感情の方が色濃いようである。
ベルトルトに恨みがあるわけではない。
過去にはいろいろあったが、少なくとも今は。
だが、ジャンにとっては親友の方が大事であった。
「得意不得意ってのは理屈じゃねーからな。要は、相手に不満はないが、苦手ってことだろ?」
「…うん」
「苦手なやつと一緒にいるから、ストレスがたまってマルコに会いたくなる。マルコがお前にとって安心できる場所だからだ。違うか?」
「そう、なのかな…」
ジャンは内心舌打ちした。
大人しく納得しろ。
「そうなんだろ。ベルトルトのやつとは、今くらいの距離感で付き合うのがちょうどいいんじゃねーの」
「…うん」
ルーラは明らかに落胆した。
少しばかり言い方が卑怯だったか、というジャンの良心の呵責は即座に吹き飛んだ。
「…何だよ」
「え…」
「何に納得できねぇんだ」
ルーラは視線を彷徨わせる。
「た、楽しいんだよ。話してると。きゅ、急に恐くなったりするけど、でも、それまでは、すごく…だから…」
「つまり、お前はもっとベルトルトと仲良くなりてぇと」
「な、仲良くっていうか…苦手じゃなくなればいいのになって…」
ジャンはまずいなと思った。
頭に血が上ってきている自覚があった。
「ジャンは部活も同じでしょう?フーバーくんのことよく知ってるんじゃないかと思って。彼のこと少しでもわかれば、苦手意識もなくなるんじゃないかと思うんだ」
もはや完全に話がベルトルトのことにすり替わっている。
最初から本題はこれだったという直感が、ジャンの静かな怒りを助長した。
「ねえ、どう思う、ジャン」
ジャンはルーラに目を合わせた。
ルーラは顔を強張らせる。
ジャンの視線は鋭かった。
「ルーラ、何でそれをオレに聞くんだ?」
それはジャン自身の想像以上に冷たい声だった。
ルーラはビクッと肩を震わせる。
「…ジャン?」
「何でそれをよりによってオレに聞くんだよ。ライナーかアニにでも聞けよ。だいたい、お前はマルコの話をしてたんじゃなかったのか?」
ルーラは目を見開いて、それから後ろめたそうに視線を逸らした。
その態度が更にジャンの癇に障る。
「お前はオレに何を求めてるんだ?どんな答えがもらえれば満足だ?」
「ジャ、ジャン…私…」
「お前はたいそう自身の悩みが多いみてえだが、マルコの気持ちを考えたことはないのか?マルコはなぁ、お前の話する時はお前の気持ちばっか考えてんだ。お前は自分の気持ちばっかりだなぁ。まぁそりゃオレも同じだ、人のこと言えねーけどよ。でもあいつは違うんだ。お前ならわかんだろ」
「私…」
「お前、夜マルコの家に押しかけてるらしいな」
ルーラはサッと青ざめた。
「おっと、マルコを責めるなよ。マルコはオレを信用してこの話をしたんだ。他のやつには話してねえよ。で、オレはマルコが考えてるほど信用のおける人間じゃねーってことだ。言いたきゃ言え。でもな、お前、マルコを利用してるって悩んでおきながら、それはどうなんだ?」
ルーラの顔からは血の気が引いている。
「ジャン…」
「あいつは拒否しねえだろ。お前から言われればな。お前はそれがわかっててマルコに聞くんだ。『いいか?』ってな」
「ジャン」
「あいつの意志を尊重したっていうパフォーマンスだ。そうやって答えを相手にゆだねて責任を逃れようとしてる。今と一緒だ」
「ジャン」
「マルコがいいって言ってるからいい。オレが、お前はマルコが好きなんだと言うからそうなんだ。オレが言ったようにベルトルトと付き合えば上手くいく。これなら失敗しても相手のせいだ。お前の傷は浅くて済む。いいご身分だな」
「ジャン!!」
ルーラは叫んだ。
それは、名を呼んだというよりも悲鳴に近かった。
ルーラは堪らず立ち上がる。
ジャンもそれで我に返った。
しまった、やりすぎた。
すうっと体温が下がる。
が、後悔しても後の祭りだ。
ジャンはルーラを追って立ち上がった。
ルーラはジャンに背を向けている。
背を向けたまま、震える声で言った。
「ジャンの言いたいことは、よくわかった。ジャンの言うとおり。私は勝手で…卑怯だった」
「い、いや…オレは何もそこまで…」
「いいの。その通りだから」
ジャンは決まりが悪くなって顔を背ける。
「もう少し、一人で考えたいから…ジャン、先に帰ってて。ごめんね、付き合わせたのはこっちなのに」
ジャンは声を詰まらせた。
この場面で、頷く以外の何ができただろう。
ジャンはルーラの背中にぼそぼそと声を掛けて踵を返した。
なんと言ったかは覚えていない。
意味のある言葉ではなかったかもしれない。
そのまま、できる限り普通どおりに歩き出す。
が、背後からくぐもった嗚咽が聞こえてきて、堪え切れずに足を速めた。
(20140404)
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