その手をつかんで

13.友の想い


後にはマルコとジャンが残された。

ヒーターの低い音が、急に大きくなった気がした。

ジャンは、さっきよりぬるくなったコーンポタージュを啜る。

「アニがルーラをねぇ」

「うん。ルーラ、迷ってるみたいだ」

「あいつ、絶対弓道部に入るんだって息巻いてなかったか?」

「そうだね」

「一体、『なに』で迷ってるんだか、な」

「うん」

スープを啜る音が響く。

ジャンがポツリと漏らした。

「怯えるんだよな、あいつ」

マルコはチラリとジャンを見た。

「今まで何でもなく話してたと思ったら、ある瞬間目が合うと、竦むんだよ。…さっきみたいに。お前、気付いてたか?」

「ああ。気付いてた」

「今までは、オレが何かしたのかと思ってた。けど、そうじゃねぇのかもしんねーな」

マルコは頷く。

「ジャンだけじゃない。ライナーにもアニにも、同じような反応をしていた。きっと偶然じゃないと思う」

「けど」

ジャンは改まってマルコに向き合った。

マルコの目を真っ直ぐ見据える。

「お前のことは平気みてぇだ」

マルコは困ったように笑った。

「そうみたいだね」

「なんでだろうな」

「生まれた時からずっと一緒にいるからじゃないかな」

「なら、そろそろオレにも慣れてほしいもんだ」

その言葉は暗に、時間的な問題なのだろうか、という疑問を含んでいる。

「まあ、年季が違うからね」

そう返すものの、それが正解ではないとマルコも感じているようだ。

ジャンは空になったカップをテーブルに置いた。

そして、先ほどの質問を再度突き付けてみることにする。

「なあマルコ、さっきの続きだが、お前、ルーラをどう思ってるんだ?デニーズではずいぶんベルトルトに同情的だったようだが、二人の仲でも取り持つつもりか?」

マルコは先ほどとは違い、憂いの表情を覗かせた。

「ジャン…」

性根の優しいこの友人は、他人のために自分の気持ちを蔑ろにしかねなかった。

「あの頃、あいつらが付き合ってたのは、オレも知ってる。だが、アルミンも、お前自身も言ってたように、ありゃ過去のことで、オレたちとは関係ない。そうだな?」

マルコは答えない。

「あいつに気兼ねする必要はない。お前の場合、ルーラにもだ。わかってるよな、マルコ?」

マルコは黙っている。

瞳は曇っていて、奥の感情は読み取れない。

ジャンがもうひと押ししようとしたところで、マルコが口を開く。

「僕は…聖人君子ではないから、ルーラが幸せになればいいとだけ、思っているわけではないんだ。けれど、そう思う気持ちは確かにあるし…」

マルコは呆れ笑いを浮かべた。

「何より、厄介なことに」

自分に対するものだった。

「今のポジションもなかなか居心地がいいんだ」

ジャンは呆れ顔をした。

これはマルコに対するものだ。

「お前なぁ、んなぬるいこと言ってっから、そのポジションが板に付いちまったんじゃねぇか。もっと賢くやれよ」

「賢くって、例えば?」

「そんなのオレが知るか」

マルコは一瞬、真顔になった。

「無理だよ」

すぐに笑みが浮かぶ。

が、その表情は硬い。

声も強張っていた。

マルコの急変に、ジャンは内心動揺する。

眉を潜めた。

「マルコ?」

「僕は、記憶が戻る前から、ベルトルトのことだけは知っていた。何故だと思う?」

ジャンは少し驚いて、それから肩を竦める。

「名前を呼ぶんだ。寝言で、ルーラが」

ジャンの目が見開かれた。

おいおい、どんな拷問だそりゃ。

ジャンは、ミカサが自分の横でエレンの名を呼ぶところを想像しようとした。

が、かなり堪えそうなので止めておく。

「お前そりゃ…かなりきついんじゃねぇか?」

今まで、この15年間で何度、マルコはその仕打ちに耐えた?

ジャンは苛立ちが湧き上がってくるのを感じた。

この事実をルーラが知らないことは、果たして許されるのだろうか。

この心根の優しい友人をここまでコケにしておいて。

だが、とジャンは首を振る。

ルーラにそれを要求することは、自分の言を覆すことにも繋がる。

ジャンはコニーに言った。

知らないやつらに余計なことを話すな、と。

過去に縛られるべきではないとも言った。

ジャンの余計なひと言が、ルーラを過去に引きずり込む可能性は十分にあった。

それ以前に、マルコはそれを望まないし、許さないだろう。

「オレは…無理だぞ。絶対無理だ。マルコ、お前、それでもルーラなのか?信じられねぇな」

そう、マルコもマルコだ。

マルコは微笑した。

ジャンにはそれが、中学の修学旅行で目にした菩薩の笑みと重なって見えた。

「ジャン。この世界にも、あの世界ほど多くはないけれど、思い通りにならないことがたくさんあるんだ」

ジャンは内心頭を抱えた。

マルコ、オレたちはまだ若いんだぜ。

悟りを啓くには早すぎるだろ。

「ならせめて、あいつが思い出す前に告白しちまえよ!あいつは断らないさ――」

ジャンは思わず息を飲んだ。



あいつは思い出す。

思い出せば、ベルトルトのところに行っちまう。



自分の無意識がそう判断していたことに気付いたからだ。

この後続けようとした言葉は、まさにそのことを証明している。



――あいつは断らないさ。



『今なら』――



過去は関係ない。

そう思ったはずなのに。

「何?」

見透かしたようなマルコの問いにハッとする。

「い、いや…」

「ジャンは、過去は関係ないって言ったね」

「あ、ああ…」

「僕にはそれが本当に正しいのか、わからないんだ」

「お前だって、そう言ってたじゃねーか」

「僕は、ルーラに不必要な混乱はしてほしくないって言っただけだよ」

「…何が違うんだよ?」

「僕はね、ジャン。必要な混乱なら仕方ないのかもしれない、と思ってるんだ」

ジャンは言葉を失った。

しばらくその台詞の意味を吟味している。

そして、ハタと思い至ったのか、目を見開いた。

「マルコ…まさかお前――待ってるのか?あいつが思い出すのを」

マルコはまだ、先ほどの笑みを浮かべている。

「わからない」

お前なあとジャンは言いかけて、それを飲み込む。

「バカだな」

それだけ呟いた。

「そう、かもな」

マルコはくしゃりと笑みを崩した。





(20131225)


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