その手をつかんで

09.震える琴線には気付かない


「ベルトルト・フーバー…」

一瞬、身体中の血液が沸騰して泡立った気がした。

触発されるようにびっしりと鳥肌が立つ。

何だろう?

そう思った次の瞬間には、体は平穏を取り戻し、通常の待機状態に移っていた。

たまに意味もなく悪寒が走るアレか。

私は、今の一瞬の異変を意識のゴミ箱へと放り投げる。

「へぇー。えっと、隣のクラスだと…」

「D組」

「そうなんだ…どんな子?」

アニは私を黙って見つめている。

何かを見定めようとしているようにも、何かを訴えようとしているようにも見える。

が、ただ眺めているだけのようにも見える。

つまり、私はこの沈黙の意味が理解できない。

それで、アニの青い瞳が光を弾くさまに、ただ見惚れている。

「どんな子だと思う?」

やがてアニは口を開いたが、それは私を若干困惑させた。

相手の質問に対して質問を返すやり取りは、軽いコミュニケーションとしてよく用いられる。

だが、この場面で使うのはちょっと違う気がする。

「ええ?そうだな…」

私は首を捻る。

「うーん…」

「うそ。ごめん」

「え?」

アニは頬を緩めた。

「そうだね…体は大きいくせに気は小さいやつだよ。そのくせ、ライナーに巻き込まれてよく厄介事に首を突っ込んでる。根性はあるんだ、意外に」

私は、ブラウンくんが想像上のフーバーくんを振り回している姿を想像して、クスクスと笑った。

「なんか想像つく。ブラウンくんって、初日から会ったばっかりの私たちに、あそこまでフランクに声掛ける人だもんね。行動力あるし面倒見もいいんじゃ、確かに傍にいたら振り回されちゃうかも。大変だね、アニも、そのフーバーくんも」

この時、私はフーバーくん本人の話をすることを避けたが、自分ではそのことに気付いていない。

「私はそうでもないけど」

「アニはしっかりしてるもんね。自分の意志もちゃんと伝えられそうだし」

アニはため息をつく。

「そうだね。じゃないと、とてもあいつらとはいられないよ」

その声色に、多分に実感がこもっていたので、私はおかしくて笑ってしまった。

「苦労してきたんだね」

「想像を絶すると思うね」

「例えば?」

「部活帰り、柄の悪い男数人に絡まれてるサラリーマン助けようとして割って入ったり」

「えっ、ブラウンくんが!?アニとフーバーくんは!?」

「もちろん止めたよ」

「そうだよね、危ないもんね。それで、大丈夫だったの?」

「全然。もうぼっこぼこ」

「あちゃあ…」

「のした相手に、しばらく帰り道待ち伏せられた」

ん?

のした相手?

「ねえ、もしかして、ぼっこぼこになったのって…」

「だから、相手の男たち」

あ、そう。

私は引き笑いを浮かべる。

「でも、アニとフーバーくんは危なかったんじゃない?」

「私たちは一人ずつだったから、問題なかったよ」

ん?

「なに、一人ずつって…」

「だから、相手の男たち」

今度は私の顔から笑顔が消えた。

大きく目を見開いて叫ぶ。

「のしたの!?アニも!?その柄の悪い人たちを!?」

「私たち、空手部だったし」

「ほぁー…」

中学で空手部があるなんて珍しい。

うちの中学も、柔道部はあったが空手部はなかった。

「かっこいいね、空手なんて。周りでやってる子いなかったや」

アニは私をじいと見つめる。

私は落ち着かない気持ちになってもじもじした。

「なら、やってみる?」

「へ?」

思いがけない言葉に、私は素っ頓狂な声を上げた。

「部活決めたの?」

「え、ああ、弓道とか憧れてはいたけど」

「私は高校でも空手続けるつもり。もしまだ迷ってるなら、候補に加えなよ」

「あ、うん。考えてみる」

チラリと頭を過ることがある。

こんなことを敢えて聞くのは、変に思われるだろうか。

でも、何故か聞かずにはいられなかった。

「その…ブラウンくんとフーバーくんも空手部に?」

「多分ね」

私はどういう感情なのかわからないため息をついた。

「そうなんだ…」

その後、話は別の武勇伝に移り、私は、驚いたり、歓声を上げたり、顔を引きつらせたりしながらその話に耳を傾けた。

やがて駅に到着すると、方向が逆だった私たちは、挨拶を交わしてそれぞれのホームへと向かった。





(20131213)


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