その手をつかんで

45.君には何が見える


私は砂漠を歩いている。

視界を遮るものは何一つ無く、広がるのはただ黄砂ばかり。

地平線の先まで埋め尽くす無限の砂子に、私は圧倒された。

『砂の雪原』

ふと、そんな言葉が頭に浮かぶ。

粒子の細かい砂が雪のように降り積もってできた平原。

確かに、この景色の様をよく表している。

けれど、なんて婉曲的な言い回しなのだろう。

でも、私はこの言葉に感慨を覚えた。

『砂の雪原』

この遠回しな表現の中に、目が眩むほどのロマンが詰まっている気がする。

そして同時に、それと同じだけの痛みを感じた。



熱風が頬を撫ぜ、髪を攫った。

砂漠に吹いているはずのその風は、多分に湿気を含んでいる。

水の気配があった。

私は耳を澄ました。

手先が震えている。

身体の中で水泡が後から後から生まれては弾けている。

やがてそれは、外界の音と重なった。

足元に水が染み出してくる。

私は思わず後退った。

今にも喉が叫び声を上げようとしてチリチリと爆ぜる。

が、声が発せられる前に、地面の感覚が消えた。



息を飲んだ次の瞬間、私は水中にいた。

下へ下へ、堕ちていく。

重力に、それ以外の何かに引きずり込まれるように堕ちていく。

深く飲まれるほどに、闇は濃くなっていった。

あぶくが体に当たる度、泡が弾ける鈍い音が響く。

落下は止まらない。

息が苦しくなってきた。

肺が酸素を求めて悲鳴を上げる。



唐突に声が降ってきた。

――バカヤロウ!息をしやがれ!

ジャンの声だった。

そんなことを言われても、ここは水中じゃないか。

――ふざけんなよ…!このままだとお前、死んじまうんだぞ!

それもそうなのだが。

迷いながらも私は口を開いた。

ままよ、と息を吸い込んでみる。

すうと体が楽になった。

ごく普通に呼吸できることがわかって、ホッと胸を撫で下ろす。

それにしても、そんな頭ごなしに怒鳴ることはないではないか。

私はどこから聞こえたのかわからないジャンの声に口を尖らせる。

が、その時、別の声が聞こえてきた。

それは、思念といった方が近いかもしれない。

その声の主を私は知っていた。

知っているも何も、それは私自身の声だった。

――ごめん…ジャン…みんな…



落下は続き、私はさらに堕ちていく。



視界が明るくなった。

何かの景色が見えてくる。

どこかの街並みと、その先にそびえ立つ巨大な壁。

人々は皆、壁を見上げている。

ある者は色を失い、逆にある者は色濃い恐怖と絶望を浮かべながら、壁を――いや、50Mはあろうかという壁から覗く極大の頭部を眺めている。

筋肉繊維むき出しのグロテスクな頭部には、二つの目玉が埋め込まれており、まるで呪具のように異様な煌きを放っている。

――巨人だ。

と私は思った。

街に大量の巨人たちが雪崩込んできた。

先ほどの壁の巨人とは異なり、その体は皮膚に覆われている。

が、衣服はまとわず、瞳に理性の色も見られない。

大きさの度合いこそ様々だが、どんなに小さくても3Mを超す巨漢であった。

巨人たちは、本能に駆り立てられるように人間を食らった。

阿鼻叫喚図を目の当たりにしても、私の心はそれほど乱れなかった。

冷めていると言ってもいいほどであった。

ある親子が目に付いた。

父親と少女であった。

父親に手を引かれ走る少女が転ぶ。

少女の背後に巨人が迫った。

父親が駆け戻って少女を突き飛ばす。

巨人の掌は、少女の代わりに父親を攫った。

少女は地面にへたり込んだまま動かない。

父親は巨人の口の中に飲み込まれながら叫んだ。

――誰か!!娘を…!

少女を避けるようにして流れていく人混みの中で、彼女の手を少年が取った。

――走るんだ!

少年に手を引かれ、少女は走り出す。

二人の姿は遠ざかっていった。

雨のように降り注ぐ紅い血が後に追い縋った。



重力を強く感じた。

私の身体は沈んでゆく。

景色だけがその場に取り残されて、視界の上方に逸れてゆく。



私は更に沈んでゆく。



再び周囲は暗闇に包まれた。



次に見えてきたのは、森の中で同年代の少年少女たちが、腰に装着した装置を操作して宙を疾走している光景であった。

皆、同じ香染のジャケットを着ている。

背中と腕に、刃を交えた二本の剣のエンブレムがあしらわれていた。

統率のとれた動きを見ても、目的を同じくする一つの集団であろうことがわかる。

ある地点まで辿り着くと、そこが目的地なのか、彼らは次々に地面に降り立ち、表情を緩めた。

歳相応の顔が浮かぶのを見て、私はなんとなくホッとする。

が、あることに気付いて、わずかに眉を顰めた。

見知った顔がいるのだ。

釣り上がった目を細めて悪そうに笑いながら、隣の男の子の肩を叩いているのはジャン。

そして、彼に肩を叩かれて、抗議しながらも楽しそうに表情を崩したのがマルコ。

装置を叩きながら何かを熱弁しているイェーガーくん、それに寄り添うように立つミカサ。

ふざけ合うサシャとスプリンガーくん、いつも一緒のユミルとクリスタ。

アルレルトくんやアニもいる。

そして、私は瞠目した。

自分によく似た人物をも見つけたからだ。

その人物は、マルコとジャンと軽く挨拶を交わして、その先にいる二人組のところへ歩いていく。

よく目立つ二人組だった。

私はその二人のことも知っている。

彼女が親しげに話しかけたのは、ライナーとフーバーくんだった。

二人もごく親しげに私似の人物と会話している。

私はライナーとはそこそこ仲がいい。

同じクラスだし、彼の朗らかな性格もあるだろう。

けれど、フーバーくんとは少しギクシャクした関係だった。

何故かはわからない、けれどどこか上手くいかない。

ボタンを掛け違えているような、道を間違えているような、そんな居心地の悪さともどかしさが二人の間にはあった。

しかし、ここにいる彼女が主に話し掛けているのはフーバーくんであるようだった。

ライナーは聞き手に回っていて、時折笑みを浮かべて頷くだけ。

喋っているのはほとんど彼女と言ってよかったが、フーバーくんも穏やかに微笑んで口を挟んでいた。

そこにはなんのわだかまりも見受けられなかった。

今の私たちの関係とは違う。

でも、私はこの光景をごく自然なことのように感じていた。

彼女が彼を見上げ、破顔する。

その視線はひとつの事実を物語っていた。

私にはそれがわかった。



彼女は彼が好きだった。





(20140625)


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