その手をつかんで

46.世界は残酷なんだから


また、落下が始まる。





先ほど見た街とよく似た街が見えてくる。

そこにもやはり巨人がいた。

巨人は街なかにある一際高い建物に群がっている。

私は民家の屋根の上から、それを絶望とともに眺めていた。

眼下に視線を移せば、ペンキを撒き散らしたかのような紅と壊れた人形のような死体が見える。

私は固く目を瞑った。

――ダメだ、もう…

アルミンが泣きながらミカサに叫んでいる。

エレンが戦死した、と。

ミカサは剣を掲げる。

負ければ、死ぬだけ。

勝てば、生きる。

戦わなければ、勝てない。

ミカサの声に皆が立ち上がる。

仲間に続けと立ち上がる。

私も屋根を蹴った。



更に落ちる。





私は戦禍の色濃い街を歩いている。

傷痕はまるで生き物のように、暴力的な躍動感をもって迫ってくる。

今にも悲鳴と地鳴りが聞こえてくる気がした。

立ち尽くしている後ろ姿がある。

その身体は小刻みに震えている。

――ジャン…?

私は彼に近寄っていく。



落ちる、落ちる。





血で塗り固められた夜、深い森の中で、私は涙を流している。

傍に寄り添う人と抱き合いながら、何度もくちづけを交わし、心のままに涙を流している。

胸を裂くような痛みと底深い愛おしさは、きっと私を激動の渦に飲み込むのだと、この時、思った。





私は円塔の屋上にいる。

地面を見下ろすと、塔には巨人が群がっている。

立体機動もない、ブレードもない。

抵抗の手段は残されていなかった。

誰の胸にも絶望があったろう。

――いや。

全員ではないかもしれない。

彼らには、手段がある。

私はクリスタとユミル、コニーを見る。

――私たちがいなければ――

そして、ライナーとベルトルトを見る。

――彼らは…彼は助かる――

彼らの正体を知るものが生き残らなければ、真実が明るみになることもない。



いつも笑顔でみんなに気を遣っていたクリスタ。

体調不良で倒れた時、医務室に食事を運んできてくれた。

仲間をたくさん連れてきてくれた。

嬉しかった。

彼女の優しさは、私の中で溶けて力に変わったんだ。



やる気のないめんどくさがりのユミル。

でも、実はみんなのことをよく見ていた。

彼女の鋭い観察眼と行動力が発揮されるのはクリスタが絡んでいる時だけだったけれど、そんな時の彼女はすごく生き生きとしていた。



ちょっとおバカさんだけど、素直で飾り気のないコニー。

彼のストレートな一言が驚くほど的を射ていて、内心息を飲んだことも何度かあったっけ。

確かにおバカさんだけど、頭はそんなに悪くないと思っていた。



みんな大切な仲間だ。

――仲間だった。

彼らになら、背中を預けられると思っていた。

必要に迫られれば命を懸けられると。

きっとみんなで生き残って、同窓会を開こうと笑い合った。



あの時の気持ちは、嘘じゃなかった。



でも今、私は三人がここで死んでくれればいいと思っている。

仲間を、友を、家族とさえ思っている人たちを巨人の餌にしても構わないと。

こんなことを考える自分に失望した。

私はここまで堕ちたのか。

でも、それでも、彼が死んでしまうくらいなら、それでいいと思った。

このままでは結局、全員巨人に食われてしまう。

そして、たとえ彼らが正体を明かしてこの場の窮地を逃れたとしても、三人が生き残っていては、彼らは壁内で命を落とすことになるだろう。

ならいっそ、私たちを殺して、二人だけでも逃げてよ、ベルトルト。





ベルトルトが私を振り返った。

その瞳はまっすぐに私を見据えている。

彼は私と距離を詰めると、私の体を丁寧に引き寄せた。

彼の手が背中に回る。

私は彼の体温を感じている。

温かい。

安心する。

彼の匂いがした。

心がほどけていく。



私は、彼がいたから、今ここにいる。

彼があの時手を取ってくれたから、私は生きている。

そうだ、5年前、私の手を引いてくれたあの少年はベルトルトだった。

彼が私をここまで連れて来てくれた。

あの時からずっと、私は彼を見ていた。



あなたは、いつもどこか浮かない顔をしていた。

そうでなければ、所在無げに薄く笑みを浮かべていた。

なぜ。

私はあなたのことをもっと知りたかった。

もっと、近くにいたかった。

本を読む時に伏せられる睫毛の震えに、私の心も合わせて震えた。

俯くと露わになる長いうなじが色っぽかった。

稀に見せる、花が綻ぶような笑顔が大好きだった。

もっと、見たいと思っていた。

ううん、あなたの姿を見つけるだけで、幸せだった。



ねえ、ベルトルト。



――好き。好き。ベルトルトが好き。

張り裂けそうな感情を叫ぶ。

涙が頬を伝った。

――僕も、ルーラが好きだ。





私は顔を上げた。

ベルトルトの頬は濡れていた。

彼もまた、涙を流していた。

私たちは塔の中の一室にいた。

明り取りから月の淡い光が差し込んできて、ベルトルトの黒髪に仄かに宿った。

そして光は、頬を伝う彼の涙を美しく弾いた。

聖女の流す涙のようだと思った。

――でも

彼の腕が私の喉元に伸びた。

頸部にそっと指が添えられる。

指はやけに冷たかった。

――だめなんだ…それだけじゃ…

彼は泣いている。

光の雫が後から後から滑り落ちていく。

指に力がこもる。

――きみが…悪いんだ。きみが…

彼は泣いている。

私も、泣いていた。

――僕を選べないから…

耳元で水泡が弾けた。

くぐもった水音が鼓膜に絡みつく。

綻びを生み出す歪なその音は、嫌に大きく響き、いつまでも消えない。

私は大きく目を見開いた。





(20140702)


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