「桜と座敷童」
幼い頃の俺は、両親が共働きでいつも一人だった。
両親が帰って来るまで、部屋で一人本を読んでいた。
ずっと、一人だった。
『桜と座敷童』
その日も一人だった。
7歳の俺には広すぎる部屋で、一人本を読んでいた。
外はまだ明るい。他の子たちが外で遊んでいる声が聞こえてくる。
その声を聞きながら、本を読み耽っていた。
両親が帰ってくるのは7時頃。
それまでが、自分の本を読む時間だと癖がついていた。
部屋にページを捲る音が聞こえる中、廊下からギシギシと音が鳴った。
自然と捲る手を止めた。
廊下を誰かがゆっくり歩く音が聞こえる。
ギシギシ
ギシギシギシ
ゆっくりと、こっちに近づいているのが分かった。
だが、怖いとは思わなかった。
落ち着いた歩き方。それは音を聞くだけで分かった。
本を閉じて、そのまま襖の方を見つめた。
影はないが、誰かが歩いてくる音は聞こえる。
ギシギシ
ギシギシ
ギシッ
足音は、部屋の前で止まった。
すると、ゆっくりと襖が開いた。
今、家には家族は誰一人いない。ということは、開けそうなのは一人しか居ない。
「……ここか」
襖の向こうには、クロウが立っていた。
部屋の中で俺の姿を確認すると、そのまま部屋に中に入り襖を閉めた。
クロウは俺の横に腰を下ろすと、俺が読んでいた本を手に取った。
「また、本読んでたのか?」
俺が頷くと、クロウは呆れたようにため息を溢した。
「お前、外で遊ばないのか?子供は外で遊ぶもんだろうが」
同い年の子たちは、皆外で遊んでいる。だが、俺は外で全く遊ぼうとしない。
外で遊ぶよりも、中で本を読む方が好きだったからだ。
暇を見つけては本を読む。クロウにとっては、俺みたいな子供を見るのが初めてなんだろう。
「外で遊ぶよりも、本を読む方が好きなのか?」
「……うん」
俺が返事をすると、クロウは読んでいた本を机の上に置いて、俺の腕を引いた。
「本を読むだけじゃ分からないことが、外には沢山ある。来い」
俺が頷くよりも先に、クロウはそのまま庭へと連れ出した。
俺はあまり庭に出たことはなかった。
それほど家の中に閉じこもりっきりだったのだ。庭に出たのも久しぶり。庭に何があるのかさえ把握しきっていない。
クロウは、俺をある場所へと連れて行ってくれた。
クロウに連れて来られた場所には、大きな桜の木があった。これほど大きな桜の木があったということさえも、俺は知らなかった。
季節も丁度良い頃で、花が点々と開花していた。後数日で満開になるだろうというくらいだ。
「このさくらのき、いつからあるの?」
クロウは、自分の手の指を折りながら考えていたが、途中で面倒臭くなったようで。
「だいたい230年前くらいかなー」
「すっごいねー!」
大よその数字を出した。きっと、あまり覚えていないのだろう。長く生き過ぎて、どのくらい経っているのかも自分でも分かっていないようだ。
こんなに大きな桜の木があることは、両親にも教えてもらっていなかった。
初めてその木を見たとき、俺は言い表せれないような感動を覚えた。
「じゃあ、クロウは230ねんまえもここにいたの?」
クロウは、桜の木を幹を軽く撫でながら桜の木を見上げた。
「俺は、この桜の木よりもずっと前からこの家に居るんだ」
大きく古い桜の木以上に長くこの場所にいるクロウ。
桜の木とクロウを見ていると、本で読んだ桜の木の幽霊の話を思い出した。
やはり幽霊なのだろうかとクロウを見つめていると、その視線に気付いたのか、クロウはこちらを向いて笑った。
「俺は幽霊じゃねーよ。長く生きてるけど、俺は妖怪だ」
「ようかい?なんのようかい?」
「座敷童って妖怪、知ってるか?」
俺があまり知らないと答えると、クロウは簡単に教えてくれた。
あの家に住む人間を幸せにする妖怪。
生まれたときから、人間を幸せにすることだけを考えていた。
「……それでクロウはしあわせ?」
無意識に呟いていた。
俺の言葉に、クロウも驚いていた。
そんなこと、言われたこともなかっただろうから。
俺は咄嗟に口を塞いだ。聞いてはいけないことだった気がして。
だがクロウは、すぐに俺の頭を撫でて言ってくれた。
「お前が幸せなら、俺も幸せ」
そう言ったクロウの顔は、優しい色を浮かべていて。
自然と、嬉しくなった。
「ほんとうに?」と聞くと、「ほんとうに」ともう一度答えてくれた。
俺は、クロウの左手を握って、桜の木を見上げた。
その時に、新しく気付いたことがあった。
クロウは、桜の匂いがするんだ。
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