沈黙の花屋

花屋に来るのは7度目になる。
夏が近づくにつれてずいぶん温かくなり、薄手のジャケットとTシャツ、黒いスラックスで外に出たがいい感じだ。
そろそろ7時になるところなのだが、花屋の前で夏油はあることに悩んでいた。

店員の名前を一切聞いていない。
聞くタイミングがなかったのと、呼ぶ必要がなかったためだ。
名前を聞きたいと思ったのは別に今日ではない。
先月も、先々月も聞こうと思った。
しかし、聞く必要があるのかと思うと進んで聞く気にはならなかった。

非術師である猿店員の名前など覚える必要もない。
それどころかここに来る理由が本当にない。
毎月買っていた花は、初めこそ家族が不思議がっていたが季節ごとの花を玄関に飾る習慣になってしまったが、別になくてもいい気がする。
夏油は花に興味がない。

悩みながらもいつも通り7時きっかりに花屋のドアに手をかけた。
今月はラベンダーのドライフラワーがドアにかかっている。
夏油は扉を開け、ちりんとベルの音がなった。
「いらっしゃいませ。」
今日もぶっきらぼうな声が聞こえる。




「今日もありがとう。いい感じだね。」
「ありがとうございます。」
「そういえばドアにかかってたのラベンダーだよね?切り花には入れられないの?」
「入れることも可能ですが当店では取り扱っておりません。また花もちが短いので切り花にはあまり向かないかと。」
「へえ、そうなんだ。残念。良い匂いしそうなのに。」
夏油は敬語では話さなくなった。

また、店員は毎月この日この時間帯に来ることを知っているためか、接客が長くなるからと7時前に店の看板を閉める。
本来はよくないらしいが、月に一度というのと店員は彼女以外にいないらしく自由にやってよいとのことだった。
今日も店員は夏油が入ってすぐに店の看板をCLOSEに変えている。

こちらに気があるのではないかと思うが、毎回ながら店員の態度は変わらない。
面倒な客として他の客に会わさないようにしているのかもしれないな、と夏油は思う。

しかし嬉しいことがほかにもあった。
店員が夏油が来るとき、コンタクトを外していることだ。
5回目の時に、私は気にしないから早めに外せば?と言ったのだがそれに対して店員が「お気遣いありがとうございます。」と言い、次の時にはコンタクトをしていなかった。
夏油は前回から向日葵を見ることができている。

彼女曰く、目は隔世遺伝、すなわち先祖返りで両親の目は普通らしい。
真面目な彼女はその話以外、「申し訳ありません。業務中ですのでお答え出来かねます。」しか答えてくれなかったのであきらめた。

夏油は猿だ猿だと思っていても、やはり人なのだと思ってしまった。
一目ぼれというものなのだろう。
もちろん殺そうと思えば、店員の体をバラバラにすることなど容易にできる。
しかしやる必要は今はないと、思う。

教祖としての夏油とは全く違う自分だと思った。
あの場所にいると猿がうっとおしく、金づるにしか見えず、ただただ世界が変わるための準備にいそしむ。
大儀をなすためのそれが心地よく楽しく嬉しい。
心が楽なのだ。

しかし、ここに来ると夏油はただの人間の客に成り下がる。
それもまたなぜか楽しかった。
まれにここには二度と来てはいけないと、思う日もあった。
しかし、なぜか足が向いてしまいここにいる。
もう一度向日葵が見たくなるのだ。

「ラベンダーですが、ポプリでしたら販売しています。」
「え?」
店員が指をさす方向には瓶が並んでいる。

「アロマやお香と同じです。今はシールでふさいでいますが、容器に穴が開いていて中の花の匂いが香るようになっています。」
「ふうん。」
「小さなものであればお試し用があります。お入れしたほうがよろしいでしょうか。」
こちらをまっすぐ見つめる目に肯定の言葉しかでなかった。
「……うん、お願い。」




レジがチーンと音を立てて、今日の買い物が終わってしまった。
来月の花も相談し終わった。
話すことがなくなってしまい、結局名前が聞くタイミングなかったな、と夏油は少し思った。
惜しい気分になっていくが時刻は8時の少し前、営業時間終了だ。
ふと紙袋の中の小さな瓶を見た。
夏油は目を見開く。

「……名前が知りたい。」
ぽつりとつぶやいた夏油に対し、よく聞こえなかったのか店員は聞き返す。
「なんでしょうか。」
じっと見つめる彼女の目を見て、夏油は口を開く。

「アナタの名前が知りたいんだけど、教えてくれないかな。」
唐突だったが出会って半年だ、いける気がして口に出した。

しかし、目の前の店員は沈黙した。
ぐにゃりと色が混ざった目は左下に揺れる。
夏油は少し緊張し、本当に言ってよかったか心配になってしまった。
さすがに客に名前を聞かれるなんてナンパでしかない、気がありますって言っているようなものだろうか?
思考がぐるぐる回るが待った。

そのあと店員はカウンターの中にある紙を一枚とって、夏油に手渡した。
「どうぞ。」
夏油が受け取った紙を見る。
名刺だ。

名刺はシンプルで、花屋の連絡先と住所、そしてど真ん中に名前が記載されている。
口元がにやけるのがわかり、手で隠す。
いや、この程度で喜ぶとか子どもかよと思ったが、笑顔でお礼を言った。
「ありがとう。」
名刺は財布に大事にしまい込む。
「ありがとうございました。」
今日も彼女の声を背に店を後にした。

足取りは軽かった。

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