勝利の花屋

肌は汗ばみべたつく。
呪霊による素早い移動であっても、周りに存在している空気がむわっとしていて暑い。

あれから2か月が経った。
店員に名前を教えてもらってから、2か月。
先月は、教えてもらった名前で店員を呼んでみたが、反応は薄かった。
何か変わったりするんじゃないかと思ったが、態度も今まで通りで淡々としたぶっきらぼうな声が返ってくるばかりでショックを受けた。
ショックのあまり全く進展させようという気にならなかった。

夏油は両手で数える程度しか会ったことのない女性に絆されていることにため息をつく。
名前を呼んでもらえないこともつらい。
いつもお客様としか呼んでもらえず、夏油はいつまでたっても客でしかない。
というよりもただの客だ。
壁を感じる。

今の夏油は「五条悟」として店に通っているため、本名を知られていない。
店員もおそらくはじめのやり取りでこれが偽名だということは知っているのだろうが、店員である向こうから客である夏油にアプローチしてくることは皆無だ。
いつだって夏油から進めなくてはいけない。
自分の名前を名乗ればよかったと思う反面、苗字は名乗れないとも思っている。
急に下の名前で呼んでほしいとは言えるはずがなかった。

私はピュアな男子高校生か。
小学生でもすぐにクリアできそうな問題に打ちのめされていた。

そもそも進展させる必要があるのか。
この関係を今すぐやめるべきと考える夏油と、あきらめて認めてしまおうと考える夏油が堂々巡りをしている。
それに進展させるにしても予約日以外にも花屋にくることは可能で、一か月に一回なんて縛りも夏油が自ら設けてしまっているだけで、まったく問題はない。
だというのになんとなくで過去の自分が首を絞めてくる。
後悔の波が寄せる。

いや、よくよく考えると別に夏油の好みではないと思いだす。
スタイルが言い訳でもなければ、可愛い顔でも美人顔でもない。
まあ整っては、いるかもしれないが。
地味で服装もいつも中途半端な長さで、夏油ならぽっきりと折ってしまえる手首と足首がしっかりと見えている。
異質なのはあのぐにゃりと色の混ざった瞳だけで、それ以外はいたって普通の女性でしかない。
ぶっきらぼうだし冷たいし、夏油は店員のことを何も知らない。

しかも半年以上経ってまだ名前の段階で躓いている。
学生の頃の夏油からは考えもしないような状況になってしまった。
親友らがこんな夏油の姿を見たら泣きながら腹を抱えて笑うに違いない。
家族が見たらショックを受けるかもしれない。

世界を変える男は何年後かに行う百鬼夜行での殲滅対象に含まれているであろう女性のことを考えて頭を抱えた。
いっそ殺すんだ、好きにしてもよいのだろう。
しかし一向に態度の変わらない彼女を思うと、命を奪うことはできても人間心まではどうにもできないんだと改めて知らしめられたことに悶々としてしまう。
今日もこじんまりとした花屋の前に降りる。

少しだけ頑張るか、と心に決めて店の光に向かって歩き出す。

ドアに手をかけるとちりんとベルがなるが、今日はオレンジのような黄色ぽんぽんとした花がドアに飾られている。
さすがに名前はわからない。
「いらっしゃいませ」
夏油は全く変わらないいつもの声を聞いて、笑顔で店の中に進んでいった。
冷たい空気が肌を冷やした。







「水族館とかって興味ないかな?来月の頭、お店の定休日に。」
花を選んでいる最中、夏油はだめ押しで聞いてみる。
今日はとりあえず前回の失敗をカバーするために押せ押せ精神で笑顔を振りまく。
とりあえず名前云々の前にプライベートで仲良くできればと気合を入れる。

「昼前に迎えに来るから、ダメ?」
あまたの女性を落とせるであろうしょんぼりとした顔を見せるがお堅い文章が返ってくる。
「大変申し訳ございません。現在業務中ですのでそういったお話はお受けできません。」

「…………んじゃあ、これもいれて。」
夏油はいつもの顔に戻しつつ指をさして店員に教えてもらったばかりの花を追加してもらうことにした。

花束を見て、いつも通りのやり取りを進める。
「じゃ、これでお願い。」
「かしこまりました。花束が出来上がるまで椅子に座ってお待ちください。」
店員は花々を持ってカウンターへ向かい、それを見て夏油は椅子に座る。

パチン、パチン。

鋏の小気味よい音が聴こえだして体の力を抜く。
最近は暑いので足元は特に音がしない。
いつもより眠たい気分にならない夏油は、胸の前で腕を組んだ。






ああ困った。
結局今日も進展がない。
先月のことを思ってもう少し当たって砕けるべきか、これ以上断られるのもダメージがでかい、と頭を切り替えて別の作戦を考える。

しかしすでに買い物が終わって手元にはグラジオラスの花束。
次回の花も相談し終わり、もう閉店間際まで迫っていた。
財布はしまったし、いつもの予約の紙ももらった。
話題もない。
もはや勢いで行くしかないと決心し、店員の前に向かう。

「……」
何か察したのか、店員が声をかけてくる。
「お客様どうかなさいましたか。」

オレンジと黄緑が揺れる。
じっとまっすぐな目に射抜かれて決心が鈍った。
「いや、あの……」

ええいままよ。

「…私のこと……傑って呼んでみてくれない?……一度でいいから。」
本当はこれから呼んで、と言いたかったのだがなぜか躊躇してしまった。
「大変申し訳ございません。業務中ですのでそういったご要望にはお答えできかねます。」
間髪を入れずに淡々と返された言葉に返す言葉がなかった。

「……そっか。」
今日もダメだったか、と心の中でため息をつく。

とりあえず次回また何か考えようと笑顔で店員に向き直る。
「困らせてごめんね。今日もお花選んでくれてありがとう。」
そういって、出入り口に向かった。



「ありがとうございました。」
今日も彼女の声を背に店を出た。


しかし後ろからちりんとベルがなる音と、彼女の声が聞こえた。



「傑さん。来月頭の定休日、心よりお待ちしております。」
いつもより声が柔らかい気がした。



「……えっ………えっ?!」
定休日?誘ったやつ?というか名前????と混乱した夏油は花の入った紙袋を落としながら振り返る。

花屋のドアは音を立てて閉まった。
想定よりでかい爆弾を落とされ夏油は、放心したまましまったドアを見て落とした紙袋をゆっくりと拾い上げた。

時刻は8時を過ぎていた。


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