まどろみの花屋

夏油は思考が止まったままだった。
数分たったのではないかというくらい時間の感覚がなく、ただただ夏油は店員の目がそらせなかった。
実際は数秒もたっていない。

目の前の店員がゆっくりと目玉を左上に揺らし、すぐにまっすぐ前を見直して口を開く。
「……大変申し訳ないのですが、当店には冬咲の向日葵は置いておりません。数日お時間をいただければ、取り寄せることは可能です。」
こちらには興味がなさそうな、淡々とした口調で動く口が視界内で見える。

「え、あ……そうですか。」
思考が戻ってきた。
私は何を言っているのだろう、向日葵じゃなくて、美々子や菜々子に花を買おうとしているのにと思い直した。

「………」
無言が続く。
夏油は目線を少し下にずらし、ようやっと言いたいことが口から出た。
「……ではこれをお願いしてもよいですか。似たようなものがもう一つ欲しいのですが。」
そういってにこりとでも付きそうな笑顔で手に持っていた花を店員に渡す。

店員はまじまじと渡された花を見て、今度は視線を左下に寄せる。
そしてまたこちらをじっと見ながら返事をする。
「かしこまりました。10分ほどお時間いただいてもよろしいでしょうか。」
「構いません。」
今度は間を置くことなく言葉はすんなりと出た。

「店内に椅子がありますので、座ってお待ちください。」
店員はすっと手のひらを前に差し出し、夏油の斜め後ろにある椅子をさした。

「ありがとうございます。」
夏油は椅子に向かい、座った。
急に暖房の温かい風が足元に当たった。
先ほどの店員がスイッチを入れてくれたのだろうか。
すぐに足元は温まった。

カウンターを見ると店員が渡した花をカウンターに置き、近くにあった黒縁の眼鏡をかけているのが見えた。
夏油は店員の動きを目で追った。
カウンターから出て花束と同じ花を素早く選別していく。
たまに手を止めて花を確認している。

軽やかに動く店員の服装に目が行く。
白めのベージュで硬そうな素材のエプロン、腰にはホルダーのようなものを付けていて文房具のようなものが見える。
七分袖のタートルネックと足首が見える長さのサブリナパンツ。
なんだか全体的に中途半端な長さの服装だ。

揃った花々と、夏油が渡した花を両手に夏油の座っている椅子前にしゃがみ、差し出す。

「同じ花で揃えました。こちらでよろしいでしょうか。」
淡々とした声ではあるがとても丁寧に話す人だ。
動作もとても丁寧だ。
店員はまっすぐこちらを見ているのだろうが眼鏡が薄く光を反射し、あの色は見えなかった。

夏油は目の前の花々を交互に見て、ほとんど同じように思い答えた。
「はい、お願いします。」
店員はその声を聴き、「かしこまりました。」と一言言ってカウンターへと戻っていた。


そのあとすぐにパチン、パチンとあの一定間隔の鋏の音が聞こえてくる。
暖房の風の音が聞こえる。
たまに水の音が聞こえる。
暖房のおかげで温かい。
座っている椅子はもちもちとした感触で、体は壁の角に預けていた。
夏油はなんだか心地よく思えた。


体に入っていた力が抜けていくのを感じ、目をつぶる。
寝てしまいそうだ。
多分起こしてくれるだろうと、小さく息を吐く。

意識はまどろみの世界に消えた。








「……お客様、ご用意ができました。」
声が聞こえる。
もう少し眠っていたいとぼんやり思いその声を無視した。

「……お客様、ご用意ができました。」
また少し時間をおいてから声が聞こえてきた。
あともう少し。

「……お客様、ご用意ができました。」
また声が聞こえてきた。
まだ眠っていたいが、起きなくてはいけない気がしてうっすらと目を開けた。
夏油の前にピンクとオレンジの花が見える。
そして、そこに店員がいることにも気が付いた。

「?!……うわっ」
夏油は驚いて椅子を立ち、そこから素早く2mほど距離をとった。

店員は驚きもせず、移動した夏油を見ている。
椅子の前で両ひざを床につけて、上半身だけこちらを向いている。
両手に夏油が頼んだ花が握られていた。
店内の時計をみて、あれから30分経っていることがうかがえる。
心臓が通常より早く動いているのは感じ、店で寝てしまうとは思っていなかったため思考がまとまるまでに少し時間がかかった。

「……え、あ、すみません。寝てました。」
たどたどしく声を出した夏油に対して、店員が立ち上がり口を開く。

「大変申し訳ありません。花をまとめるのに時間かかってしまいました。お時間は大丈夫ですか。」
そして花を持った両手を下におろし、頭を下げた。
抑揚のあまりない店員の言葉を頭で反芻して、ゆっくり口を開く。
「いえ……大丈夫です。お会計お願いします。」



その後カウンターに行き、お花の代金を払った。
紙袋に入れてもらった花を受け取った。
「……ありがとうございました。」
財布をしまい、その花の入った紙袋を左手に持ち替えたとき、店員がこちらをじっと見て言った。

「向日葵はどうしますか。」
「……え?」
店員は目玉をゆっくりと左上に揺らし、すぐに元に戻す。

「向日葵を一輪、お取り寄せしたほうがよろしいでしょうか。……遅くとも3日後くらいには当店に取り寄せが可能ですが、ご予約していかれますか。」

そういえば初めに向日葵が欲しいと言ってしまったのだったと、夏油は思い出した。
欲しくて言ったわけではないし、何でそんなことを言ったのかわからないがどうしたものかと悩んだ。

「……1か月後とかに予約できますか?」
悩んだ末に、予約してしまった。





「こちらにお名前と電話番号、受取日をご記入下さい。」
店員にカウンターで下側がちぎれるようになっているメモとボールペンを手渡された。

夏油はボールペンを手に「夏油傑」と書こうとして、戸惑う。
夏油、という名前が比較的に珍しい気がする。
信者の猿どもには夏油の名で崇拝されているものの、外でその名を名乗ったことがなかったことを思い出し書く手が止まる。
普段はこんなこと気にも留めないというのに。

「……」

それを見て、店員が言ったのだ。
「……お名前欄はイニシャルやニックネームなどお客様と当店がわかるものであればどういったものでもお引き受けしております。」
気を使わせてしまったと思いつつありがたかった。
こいつだって無能な猿の一匹だというのになんでそういうことを思ったのかはわからなかったが、確かにそう思った。

「……ありがとうございます。」
お礼を言って、ペンですらすらと「五条悟」と書いた。
親友だった男の名前なら忘れないだろうと思ったし、こんなところにピンポイントで花を買いにくる男でもないだろうという確信があった。


また手は止まる。
電話番号、いつもならコートの胸ポケットにあるであろう携帯の番号を書くのだが、なんとなく店員をちらりと見てしまった。
眼鏡には光が反射せず、ガラスの向こう側に向日葵の色が見える。
夏油はドキリとした。
目が離せなくなる。
なんだか余計に書けなくなってしまった。
この店員の目を見ると、嘘をつくのがはばかられた。

「……あの、必ず取りに来るので空欄ではだめでしょうか?」
困った顔の夏油を見て察してくれたのか、店員は「承知いたしました。」と言ってくれた。
そのことにほっとして、受取日を一か月後の今日の日付として渡した。
店的にはよくないだろうに。

ボールペンをとり、店員は下側に「五条悟」と書いた。
店員の書いた文字はきれいな文字というより読みやすい字であった。
予約の番号とその名前が書かれた箇所がぷちぷちとちぎられ、すっとカウンターを滑らして前に出された。
「代金については商品のお受け取り時にお願いいたします。」
「ありがとうございます。必ず取りに来ます。」

そういって、もう一度財布を出してお札をしまうポケットに予約の紙をしまい込んだ。
夏油は踵を返し、出入り口から店を出ていった。
ドアのベルがちりんと鳴った。

「ありがとうございました。」
もう一度ちりんというドアの音と主に後ろから声が聞こえた。

白息は来る前より白い気がした夏油は、花屋から離れたところから呪霊に乗って帰路についた。







夏油が花の入った紙袋を手に家に着くと美々子や菜々子が出迎えてくれた。
「「おかえりなさい夏油様!」」
笑顔がまぶしい。
30分寝たからか頭の疲れはなかったが、二人の笑顔を見てなんとなく疲れが吹っ飛んだ気がした。

夏油は持っている紙袋に気が付いたようで、二人が紙袋をじっと見つめてきたので、中にあるアレンジメントの花を1つずつ手渡すとキャッキャと喜びながら走っていった。

「ああ、まったく転ばないようにね」
夏油はその様子をみて、買ってよかったと微笑ましく思った。
そして、少しだけ先ほど寄った花屋のことを思いした。


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