死の儀式

ずるりと垂れ下がる腕が不意にドフラミンゴの肌を撫でた。
意識など疾うに無い、光らないその目は死んだ様でも
彼女の表情は充足に染まっていた。

抱き潰して気絶させた訳ではないことは分かっていても、
罪悪感を抱かずにはいられない。

殊更、このフィオナのこととなれば。

興奮剤、痛覚遮断、向精神薬といったところか
それらは彼女も知らない、彼も知らない
人間でも人魚ですらない生き物にフィオナを変えた。

先ほどまで嬌声を上げていた彼女ももの言わぬ人形のように
なり、ドフラミンゴも興奮した振りを止めた。



ドアの外ではボンクレーが待機している。
ドフラミンゴが唯一彼に与えた権限は、ドアの外までの立ち入りだった。

情けなくも、ドフラミンゴはそれが正解だと感じた。

今後、有事の際にフィオナを助けられるのが
ボンクレーだけだと感じていた。




フィオナの魂の抜け殻を置き去りに、ドフラミンゴは手早く
ローブを羽織ると、部屋をあとにした。


「ドフィ、」
「洗っとけ」


ドフラミンゴがボンクレーと言葉を交わすことは皆無に等しく
それは単に、言葉に詰まるよう問いかけから逃げるためであった。

もう何ヶ月も住んだ屋敷だというのに、彼は行く先を悟られぬよう
家中でも逃げるように生活をしていた。




「めずらしく手ェ焼いてるようだな」




ドフラミンゴは夜風の心地よいバルコニーで、休息を妨げる青い煙に眉を顰めた。



「死にてぇのか、鰐野郎」

「おいおい、かつての同士が電話ひとつ取らねェ。
 便りもよこさねェってのに、心配の一つもさせちゃくれねェのか」

「俺がいつ、そんな女々しい真似をした」

「これからすればいいのさ」

雲掛かった満月を背に、クロコダイルは振り返ると
不気味な笑みを浮かべ、ドフラミンゴに詰め寄った。

「今からでも遅くねェ、手放して楽になりゃあいいだろ。
 何が目的だ、お前は一体何をするつもりなんだ、あの女と」


素直に答えるほど、ドフラミンゴの心中は穏やかではなかった。
また、言ったところで何が解決するわけでも、クロコダイルが
納得するわけでもなかった。

根拠のない自尊心が、その土台を崩し始めたとしても
ドフラミンゴは差し伸べられた手から逃れる他なかった。
その手が増えて行くのを感じる度、苛立つだけだ。

「出て行け、ヴェガスには二度と来るなと言ったはずだ。
 協定を破って死んでも、文句は言えねえなァ、鰐野郎」

「そうだな。
 来月、鷹の眼が来る」

「興味ねェな」

「そうか」


ジョーカーの終わりを確認できて満足だ、そう言いたげに言葉半ばで
クロコダイルはコツコツを音を立てて、その場から立ち去った。




眠る夢を見ているわけではない。
虚ろに空っぽのベッドを眺め、明けた雲の間から刺す
月の明かりさえも眩しく感じ、フィオナは奪われた視界から
愛しい彼の姿を探しているようだった。


少しだけ開けたドアから覗き込むボンクレーは、深いため息をつくと
足音に気を使いながら部屋へと入った。


「大丈夫、とか、聞かないで。私は大丈夫だから」

「お水?」

「分かってるなら、さっさと寄越しなさいよ」

制御できない手の震えを押さえながら、水のボトルを受け取りながら
フィオナの強烈な眼光が天蓋を刺していた。
倒れ込み、飲もうにも手が、身体が言うことをきかない。
獣の様に、そこにあるはずの水にすがる彼女の姿は到底美しいとは
表現できなかった。

ボンクレーはベッドに座りこみ、ボトルを取り上げ
フィオナの口に水を注ぎ込みながら軽蔑の眼差しを向けていた。


「こんなこと続けてたら、あんた死ぬわよ」

「ええ、死にそう」


肌をさらけ出していることにも恥じらいを持たず
フィオナは少し笑った。
仰向けに浅い呼吸を続ける痛ましい姿に、ボンクレーは既に
同情の念も抱けなかった。
しかし、その姿を誰が間違っていると言えるだろうか。

その結果を、誰も知ることはないのだ。

人との関係なんて、どんな前例だって当てはまらない、
水の様に絶えずその形を変えていくものだ。

ただ賢者のように、肯定も否定もしない、
そうすることにより自分とフィオナとの関係にも
不和をもたらさぬことが、互いの為だと考えた。


今夜もこの子は眠れないだろう。


「他に必要なものは?」

「聞いて、ボン」

「……なあに」

「とても、気持ちよかった」



ボンクレーは優しく頷き、彼女の髪を撫でた。
豊かなブロンドが何本も、何本も抜け落ちる様を眺めながら
それでもこの家は安全で平和なんだと、彼女にわかって欲しかった。

死の儀式のような行為に、幸せを見いだして欲しくなかった。



泣くのは、田舎に帰ってからにしようと
そう思った。




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