僕の推しとの出会い

夜も明るい都会に聳える高層マンションの一つの最上階、滅多にそこに帰ることはない家主が手慣れたようにセキュリティ抜群のオートロックを解錠し、慌ただしげに帰宅した。
家に帰る時間もほとんどないので散らかることもなく出掛けた時と寸分変わらない、ほどほどに整理整頓されたリビングの、ダイニングテーブルに置かれたリモコンを急いで引っ掴んだ。



「やばいやばい、始まっちゃう」



久しぶりに起動されたテレビは少しの沈黙ののち、映像を映し出す。可愛い女の子や凛々しい顔つきの少年たちが『今なら10連ガチャ無料実施中♪』とスマホゲームアプリのCMをしているところだった。


「はーー急いでよかったー間に合ったよ。やっぱりリアタイで見るに限るね」



まだ自分の待望の番組が始まっていないことに安堵し、リモコンをソファの前にあるローテーブルに置き直す。冷蔵庫を開け、キンキンに冷えたミネラルウォータを取り出しカキッと音を立てて開栓した。



〜♪



そうこうしているうちに馴染みの音楽が聞こえてきた。浮き足立った男ー五条悟はテレビの前を陣取る質の良いソファに腰掛け、普段なら他人に見せつけるかのように組む長い足を、今日ばかりは大きく開いて膝に肘をつかせ指を組み前傾姿勢をとるーーー所謂ゲンドウポーズである。何十回と見たオープニングムービーが、待ちに待った推しを映し出す。



「今日も可愛いなァ。なまえちゃん」



そう、天下の最強男五条悟は、深夜アニメにハマっていたのである。



この奇妙な、信じ難い光景は凡そ1年前まで遡る。
祓っても祓っても呪霊は日本中に湧く。日本にいる特級呪術師は3人。1人は海外でぷらぷら、もう1人は呪詛師として袂を分けてしまった。つまりは稼働できるものは己ただ1人。空いた時間にただ寝るだけための部屋となりつつあった都内のマンションの一室。呪霊を祓うことは大した労力足りえなくても全国津々浦々動き回り続けるのは疲労が少しづつ溜まっても仕方がない。久しぶりの我が家に帰ってきた時間は日付の変わった丑三つ時で、なんとなくつけたテレビの向こう側、たまたま放送していたアニメで運命の出会いを果たしてしまったのである。チャンネルを変更するのも億劫で、とりあえず流したまま洗濯機を回すことにした。BGMのようにアニメの会話が耳に入ってくる。どうやら詐欺師集団のアニメらしい。悪党をターゲットにした信用詐欺師のようだ。軽い会話のテンポ、鮮やかに進む詐欺手口が耳に入ってくる。数年前にも似たような設定のドラマがあったなあと思わず興味が湧いてしまい、たまにはアニメでも見てみるか、とテレビに目をやった瞬間だった。




『今日もお宝いっただき



1億ドルよおー!と声高らかに酒の入った盃を片手に仲間たちと乾杯している、女性。輝かんばかりの笑顔に鈴のような可愛らしい声。五条家の大画面液晶に映し出される画面いっぱいの女性の姿にドクン、心臓が嫌に大きな音を立てたような気がした。
細いウエストから美しいカーブを描くライン。それにピタッと沿ったタイトなスカートから流れるような美しい脚はもちろん、デコルテを全面に出したトップスから溢れんばかりのおっぱい。けしからん。
詐欺に成功した報酬か、大きな宝石のついた指輪をはめて鮮やかな口紅の乗った唇でキスを送っている。え?かわい。指輪になりたい。
BGMが流れてエピローグがはじまる。



「うそ?もう終わり?」



番組表を確認すると今日が最終回だった。ポケットに入ったスマホを取り出し、番組名を検索する。
何名かの男女がワンチームとしてターゲットを詐欺に落とし込んでいく話のようで、お目当ての女の子はメインヒロインではないものの、主人公の仲間のうちの1人でこちらに向かって画面越しにウインクをしている。うん、可愛い。圧倒的好み。
『なまえ』
キャラクター設定をすらすら読み込んでいく。やっぱり可愛い。だのにもう最終回だったなんてあんまりだ。もう彼女には会えないのだろうか。公式ページから離れて検索エンジン画面をスクロールすると、最近流行りのサブスクリプション動画サイトが目に入る。どうやら独占配信を行っているらしい。考える間もなく会員登録をした。もちろん高画質モードだ。明日の仕事は何時からだっただろう。とりあえず1話だけ見てみる。面白い。流れるように次話へ。面白い。あ、なまえちゃん出てきた、可愛い!






「ご、五条さん?だ、大丈夫でしょうか」
「うるさいよ伊地知ィ!僕今アニメ見てんの!わかる?!さっさと目的地行けよオマエは!」




気づけば朝だった。ノンストップで1クールが終了した。任務に向かうため迎えに来た伊地知の鳴らすインターフォンの音で正気に戻った。
とりあえずシャワーだけ浴びて、いつの間にか乾燥まで終わって動きを止めていたドラム式の洗濯機を開け、いつもの服を取り出す。テレビを消し、スマホの中に入れた動画アプリを起動させる。続きを再生しながら玄関の扉を開け、画面から視線を離すことなくエレベーターに乗る。チン、とエレベーターが開くと視界の端に伊地知が車の後部座席の扉を開けて待っているのが見える。いつもなら軽口を言って伊地知を困らせて楽しむけど、スマホの画面から意識をそらすわけにはいかなかったので無言で乗り込んだ。いつも以上にオロオロする伊地知にさっさと出発するよう指示すればエンジンの起動する音とともにゆるやかに車が出発した。




「つ、つきました。人里も離れているので帳は不要かとー」




目的の山間地に車は停車し、運転手は後部座席に座る男に話しかけながら振り返る。そこに広がる光景に伊地知の脳は処理落ちしてしまった。なぜならあの、あの、あの五条悟が涙を流しながらスマホを拝んでいたからである。
白い包帯のような目隠しがびしょびしょに濡れている。



「なまえちゃんなんて一途なの…尊みがすぎる!僕が幸せにしてやりたいッッッ!!!!!」



車内に絶叫が響き渡った。ドン引きである。伊地知には今までどんな五条にも胃に穴を開ける気持ちを抱きながらうまく付き合ってきたと自負している節があった。だが今回ばかりはどう声をかけていいのかもわからない。彼の理解の範疇を超えていた。まさかあの男が涙を流し、他人の幸せを願っているなんて、それなんて天変地異?と言いたいところだー声にはもちろん出さないが。



「ご、五条さん…」



はらはらと涙を流す五条。ここに到着するまで片時も視線を外すことのなかったスマホを車のシートに置いた。「無理。なまえちゃんしか勝たん…」
見たことのない五条の姿に伊地知は言葉を失った。ど、どうすれば…なんと声をかけるべきか逡巡していれば、五条は突然「なまえちゃんの死んだ男よりいい男になって迎えに行ってあげるからね…幸せにするからね……」と呟くや否や、後部座席は既にもぬけの殻だった。どこいった?!と慌てて車から飛び出す伊地知。数秒後に少し離れた場所から轟音が聞こえてきた。あ、ちゃんと仕事はしてくれるんだ、と伊地知は嘆息した。



「おわったーすぐ高専向かってー。一年の稽古つけないとね」



車から消えて再び姿を表すまで1分かかっただろうか、伊地知は、考えることをやめた。







prev next