聞こえない、何も聞こえない







「…おい」

珍しく気配も消さずに近寄ってきた一匹の野良犬がドアの前で吠えていた。
書斎机で沢山の本や書類に向かったままの雲雀は、一瞬も視線を逸らさない。まるで珍客に気付いていないと言うように無反応を続け、気が付いている癖に手元の作業を止めようとはしなかった。
いつだって仕事優先はお互い様、長い付き合いになるのだから彼もそれを解かっている筈なのだけれど。
そんな長年の間に雲雀は一つだけ理解した事がある。彼のこの吠え方、基いこの声質の時は関わらない方が吉であると言う事を。

「おい、返事くらいしろ」

それでも無視を続ける雲雀。山積みの書類の片付けに大忙しの様子は眼に見えて解かるはずなのだが、一向に声を掛けることを止めない辺り、何か重要な案件でもあると言うのだろうか。
日常が騒がしくなってから十年。アルコバレーノのリボーンから直々に戦闘力やマフィアとしての云々を教わり、その下で実力をつけていったのは雲雀からの頼みだったと聞く。元より雲雀がリボーンを慕っていた傾向にあった事は周知の事実で、それ以上の関係であるかは定かではないが関係はまずまず良好のようだった。
それを他人から聞かされた所でアラウディが何かを思うこともなければ、雲雀とどういう関係を持ちたいとも思ってなどいない。
ただ、これが雲雀にとって弱みとなるならば、その点は消すべきであるという考えは昔から変わらない。生まれた時からマフィアや政府の薄汚れた中で育ってきたアラウディにとっては、身を護る術は最大限に行っておくべきだと、それがこの裏社会を生きるのならしなくてはならない絶対的条件のようなもの。色恋方面など身を滅ぼす感情でしかないのだから。


「聞こえてるんだろ、恭弥――、」

そして雲雀は晴れてマフィアとなった。
管轄する地域を貰い、その地を裏で牛耳る。仕事は容易くもない、命を狙われる日々ばかりだ。けれどそんな日々も楽しいとさえ感じるくらいには大分慣れた頃合いだった。
元々の戦闘能力や統率力が物を言い、手ずから事業を始めたり、管轄地域を増やしていったりと、中々様になっていたことは言うまでもなかった。


向いていたんだろうな。


ある種の諦めにも似た感情でマフィア仕事をこなす中、所謂先輩に当たる存在、今はそのアラウディが雲雀の上司だった。
ドアに寄りかかるようにして腕を組んだアラウディの痺れが切れるのも間近だった。表情は一変して動かないが、たった一言の声色で機嫌が分かるほどに二人の距離は割と近い。

「仕事中」

返事の代わりの一言。イントネーションをつけない言葉はこうも冷ややかなものなのか。とは言え元々ではあるのだけれど。

「仕事中なのはお前だけじゃない」
「今誰がどう見ても邪魔しているのはあなただよ」
「お前が話を聞けばとっくに済んだ話だ」
「…じゃあ聞くよ。なに」
「お前な…」
「話を聞けって言ったのはあなたじゃない」

書類をパラパラと捲り、仕事の手を休めない雲雀と一瞬だけ視線がかち合う。言わずもがな邪魔者扱いをする瞳は揺るぐ事は無く、見ているだけで楽しかった。
預かった言付けさえなければ、もっと別の楽しみを味わえたのかもしれない。
そう思うと胸中穏やかではないが、縦社会を突き破るわけには行かない。流石のアラウディでさえ、立場を弁えざるを得ないその存在――、


「リボーンが、お前を呼んでる。今日から一週間お前と出張だそうだよ」
「! …そう、わかった」

それは面白いくらいに豹変した。雲雀が慕う彼の名を聞いた途端に態度が一変、続けていた仕事もぱたりと手を止め、すぐさまその出張とやらの準備を始める。
その姿は揚々としていて、何故かアラウディは歯噛みしていた。
その意味など、アラウディ自身すら理解しかねる。けれど、それは紛れもない小さな芽生え。

「僕をわざわざ使うなんて良い度胸してるよ」
「それは伝えておく。言付けくらいなら他の奴を使って、ってね」
「…お前、あの連中らがどういう存在か分かってるのか?」
「どうって? …別にあなたが思うような事は何もないよ、仕事なんだし」
「向こうはどうかな」
「あの人は…あなたよりは大人だよ」
「……フン、まあいいさ。精々殺されないように気をつけな」



「それは、あなたに…でしょう?」


何かを確信してニヤリと笑むのは雲雀。その眼が告げる言葉を、今は無視をせざるを得ない。
そう、色恋感情など禁忌に近い。
まるで罪を犯しているような背徳感を少しだけ感じていたのは、アラウディの方。否、雲雀も同じなのかもしれないが。
呼びかける言葉が麻薬のような中毒性を生み、二人の間に纏わりついて離れなかった。それはもう十年間、二人はこの感情を蔑ろにし続けてきた。そうするしか選択肢が無かった。

聞かなければいい。
気付かなければいい。
受け止めなければいい。

それでも溢れるのならば、違う何かと置き換えてしまえばいい。
二人の結論は、いつだって同じだった。


「言ってる意味が解からないな」
「大丈夫、僕は死なないし、誰かに殺される気もない」
「ガキが偉そうに物を語るな。大した仕事もした事がないくせに」
「そうだね、あなたよりは数もこなせてないし、この世界ではまだ半人前かもしれない。…けど、あなたのそれはこどものやきも―ッ」


雲雀の言葉は飛んできた置き時計で遮られた。


「言い忘れていたけど、彼が言ってた約束の時間はとっくに過ぎてるよ」
「なっ、」
「僕に物を言いたいならあと十年は黙って仕事しな」
「…帰ったら覚えてて」
「ああ、思う存分に殺してやるからさっさと行って帰って来い」
「ふふ…、じゃあ行って来る」


見せられた雲雀の微笑みの真意、それは幼い頃から楽しみにしていたアラウディとの手合わせを漸く受け入れてもらえた喜びからか。それとも別の――。


トランクケースに詰め込んだ最低限の私物を持って雲雀は部屋を後にした。足取りはどこか軽やかで、これから向かう戦場のような場所を楽しみにしているからではなさそうだった。

どっちが子どもなんだか。

その後姿を見届けていたアラウディは苦笑を零した。
出会った当初から十年、あれから随分と大人びた容姿となった雲雀とアラウディが実際に手合わせをした事は無かった。なるべく別の理由を告げて他人に任せてきた。
それは裏社会で生きる人間だからと言ってしまえばそれまでのことだが、己の戦術を雲雀には教えたくなかった。雲雀にだけは自分の様な戦闘スタイル、何よりも政府の犬のような人生だけは歩いて欲しくなかったのだ。
少なからずもアラウディが雲雀に想っていた親心の様な感情は、雲雀が想う以上にもっと温かく優しい心情。




――燻るこの感情を、どう隠そうか。




彼が背負う楽しみの代償は大きな恋慕となって身を滅ぼし始めるのだが、それはもう少し後の話。





聞こえない、何も聞こえない。



聞こえない。感情が歩み寄る音など、何も聞こえない。聞こえない、何も聞こえない。(11.8.17)


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