ひとつの部屋、ふたつの音




「無防備だな」

久方ぶりに戻った我が家。と言うべきよりは単なる隠れ家の一つに過ぎないのだが、その隠住処に何故か一匹のネズミが住み着いていた。
否、それはもう随分と前からのことだったのだけれど、多忙の日々に少々忘れかけていた存在。

「…アラウディ、起きて」

リビングの中央に無雑に置かれたソファに横たわり、読みかけの本を落としそうになりながら眠るミルクティー色の髪を撫でる。
部屋に通じるドアを始め、窓すらもは閉め切られていて(家業の都合上、致し方ないことの一つでは有る)、室温が異常に高い。古びた扇風機が音を立てて羽を廻す中、よく眠れるものだと呆れながら、雲雀は身じろぎ一つしない彼に向かってもう一度声を掛けた。

「ねぇ、アラウディ…起きなよ、ねぇ」

よく見ると、彼は珍しくラフな姿をしている。普段ならスーツと決め込み、暑い日でも頑なに手放さないそれを脱いでいたのだ。
流石にこの暑さにはポリシーも白旗を挙げ、浴衣を羽織っただけと言う珍しい姿を晒していた。柄は見覚えのある自分のそれ、衣服類はまとめて仕舞ってある為、適当に引っ張り出してきたと言うところだろう。
帯の締め方もわかないが故のはだけようには誉めるほかない。

「ん…、」

眠そうに重たい目蓋がうっすらと開かれる。
そのぼんやりとした視界に自分が映されると、「なんだ、お前か」と言わんばかりにまた目を閉じて眠ろうとするアラウディの様子から具合が悪いわけではなさそうだった。
ただ、いつもなら髪に触れただけでも怒る癖に、今日は怒らない。長年ろくな休日も味わっていない彼のことだ。疲れてる証拠、と言う事だろう。

「…どうせ食事も摂ってないんだろう、起きなよ。何か作ってあげる」
「……必要ない」

言いながら、雲雀は撫でる手を止めなかった。
色素の薄い細糸はするすると指を滑る。それを心地良く思いながら肘掛けにそっと腰を下ろし、顔色を窺う。
いつも何処か血の気が薄いような、少し青みを帯びているような気がするのだが、今に至っては少し酷いような気がする。気のせいではなさそうで、雲雀はぺちっと頬を叩いた。

「…夏バテ、なんじゃないの」
「誰が」
「あなたに決まってる」
「そんなものヤワな奴がなるんだ」
「ヤワってあなたの事を言うんだと思ってたよ」
「……どっちでもいいから、寝かせろ…」
「ダメ。ちゃんと栄養有る物食べてた?…訳ないよね。ちょっと待ってて」
「要らないって――…ッ、」

途中まで声を上げて立ち上がろうとした時、下肢に入るはずの力が入らずにアラウディは前方へと倒れかけたのだ。

「…ほらね、だから言ってる」

雲雀が彼の隣に居たから支えられ、アラウディは倒れずに済んだのだが、もし居なかった時を思うと少しだけぞっとした。
ここまでだらしのない大人が居ていいのだろうか。その点は置いておいても、食事くらいはするべきだと雲雀は常々思っていた。
お節介のように食事を用意しておけば、渋々ではあるが食べてくれる。とは言え、簡単な軽食しか食べようとしないけれど。
それでも何も食べないよりはマシだと思っている。本当にどういう体の構造をしているのか、見てみたいものだ。



「じゃあ、作ってくるから大人しく寝てなよ」

ソファではなくベッドに場所を移し、アラウディを大人しく寝かせた。倒れかけたことで随分と素直に動いてくれ、今は安静している。
雲雀は久しぶりに料理をすることになった。それに関しては別に良かった。料理自体嫌いでは無かったから。だからと言って得意でも無かったけれど。
いざ作ろうとキッチンに着いて見えた其処の惨状に言葉をなくしたと言うか、居たたまれなくなったというか、同情というか。
自分で何かをしようとした形跡がある。以前も同じような光景を見た気がするが、やはり同じようにぐちゃぐちゃになったキッチンが雲雀の目の前に広がっていた。
それは紛れもなく戦場。料理とアラウディが格闘した形跡があったのだ。

「…頑張った所は褒めるけどね…結果何も食べてないようじゃ意味が無いね」

そう一人ごちた雲雀は久方ぶりの料理に専念した。
そして出来上がったご飯だったが、それを食べて貰えるのは数時間後の話。
運んでいった先で安堵の寝息を立てているのはアラウディ。殺気立てずに眠れると言う時間がどれ程、体が休まるかなど同業者である雲雀が分からない訳がなかった。

「…仕方ない人だね、全く…」

ベッド脇のテーブルに運んできたトレーを置き、そっと隣に腰掛けた。
怠そうに顔色は悪かったが、寝顔からうっすらと零れる微笑みはきっと雲雀にだけ向けられた安心の証。アラウディの体調不良の原因はここ数週間の暑さによる夏ばて気味だった体に加えて、睡眠不足が祟ったのだろう。
このような事態に限っては一人じゃなくて良かった、とそう思えるのだから不思 議な物だ。
雲雀の休暇はまだ始まったばかり。暫くは此処に滞在しようと決めたのは、紛れもなく気に掛ける彼が居るから。

「おやすみ…、アラウディ――」

二人きりで過ごす長い夜の始まりを告げる口付けは、アラウディには秘密のキスだった。
そして雲雀も久しぶりに彼の横で眠ろうと横たわる。そっと抱き締めた腕の中、アラウディの安堵の表情が深まったことは言うまでもない。





ひとつの部屋、ふたつの音




「ふたりぐらし」の二人。ヒバアラと言い張るよ…! (2011.8.16)


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