貴方のいない 世界はいらない | ナノ
その職人、希薄。


『切り裂きジャック 再び現る!』
『被害者はアニー・チャップマン』
『またしても 娼婦が犠牲に』

「どういうことだ!?」
ばんっという机を叩く音が、部屋に響く。夜会から一夜明けた日の夜。シエルが見たのは、捕まえたはずの犯人の犯行記事だった。
「たった一人の容疑者が殺人不可能となると…模倣犯…否、最初から複数犯だった可能性もあるね。」
苛立ちを隠せないシエルとは対照的に、ゆったりと構える劉様。
「子爵はハズレだった、ってこと?」
苛立った声をあげ、記事から目を離すアンジェリーナ様。その顔は険しい。
「また振り出しだ…」
諦めたようにため息をつくと、シエルはこちらに目を向け、指示をとばした。
「もう一度絞り直す。セバスチャン、リストを。」
「かしこまりました。」

「ふぅ…」
がらんとしたキッチンで、私は一人ため息をつく。
「今日も疲れたなぁ。」
卵の殻を剥きながら、肩をぐるぐると回す。
セバスチャンがリスト制作に追われているので、私は明日の食事の準備と、長くなりそうな夜に備え、軽食を用意している。
「まぁ正直、セバスチャンの方が働いてるから、弱音は言ってられないけど。」
現在も、かなりのスピードで仕事をこなす同僚を思う。
「それに比べりゃ、これ位。」
そう言うと同時に、すべての卵の殻を剥き終える。
「よっし!これを潰し…」
「あ…あのぉ…」
「うわぁ!」
気合いを入れた瞬間話しかけられ、私は思わず悲鳴をあげる。
「も!申し訳ありませんんん!」
振り返るとそこには、ものすごい勢いで謝るグレルさんがいた。あと少し放っておいたら、土下座する雰囲気だ。
「いや、あの、グレルさん?大丈夫ですから、ね?ちょっと驚いちゃっただけで…」
「す…すみません…」
「それより、どうしたんですか?先ほど紅茶を持って行ったばかりだったと思うのですが。」
まだ申し訳なさそうなグレルさんに構わず、話題を変える。手に持ったティーカップとポットが目に入ったからだ。
「その…紅茶を淹れるのを失敗してしまって…」
「あぁ…」
たった数日ではあるが、グレルさんと一緒に働いて、彼が完璧に仕事をこなすところを見たことがない。私だって、まだまだ見習いの身ではあるが、彼よりも仕事が出来る自信があるくらいだ。
「それで、淹れ直してこいと。」
「は…はい…」
「なら、ちょうど良かった。いま、お湯が沸いたところですよ。」
よかったら、私が淹れましょうか、という申し出に、グレルさんは申し訳なさそうにティーカップとティーポットを差し出した。

ゴロゴロ…カッ!
「しっかし、ひどい雨ですね。」
出来上がった軽食のサンドウィッチと紅茶を携え、シエルたちのいる部屋へと向かう。
「ロ…ロンドンは、霧の街と呼ばれるくらいですから、雨も多いんです…」
「ほぉ。」
確かに、イギリスというと、どことなくじめっとしているようなイメージがある。決して、晴れ晴れとはしていない。
「幽霊のイメージが強いからか…」
「?…あ、こ…この部屋です。」
ぼそりと呟いた私に首を傾げながら、グレルさんがひとつの部屋を指さし、中へと入っていく。それとすれ違うように、シエルが中から出てきた。
「あれ、シエル?」
「少し休む。」
「そう。サンドウィッチ、ひとつ食べる?」
「………」
お皿を差し出すと、シエルは少し悩んで、クリームとフルーツの挟まった甘いサンドウィッチを選んだ。
「夜中にそんなの食べたら、太るよ。」
「作ったのは誰だ。」
「誰だ?…私か。」
シエルはフッと笑うと、私の横をすり抜け自室へ向かった。

「失礼します。」
控えめに声をかけ、部屋に入る。中ではなにやらアンジェリーナ様が真剣な話をしていた。
「あの子が一番辛かった時に、私は傍に居てあげられなかった。」
机の上に、そっとサンドウィッチを置くと、部屋の端に下がる。
「セバスチャン、杏子、」
窓の外の空を見ていたら、アンジェリーナ様に声をかけられ、私は視線を部屋へと向ける。
「どこの誰とも知れないアンタ達に頼むのもおかしいけど…どうか、あの子の傍を離れないで頂戴。」
祈るように紡がれた言葉に、私は居住まいを正す。
「道をはぐれて、独りで迷ってしまうことがないように。」
顔を伏せたアンジェリーナ様に、セバスチャンが跪く。私もそれに倣う。
「ええ…必ず、最期までお傍でお護りいたします。」
そうして部屋を去る。雨音が、より一層強くなった気がした。



(それより、その大量のサンドウィッチはどうするんです?)(んー…食べるか、私が。)(夜中にそんなもの食べたら、太りますよ。)(作ったのは誰だ。)(杏子でしょう。)(私か…)


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