貴方のいない 世界はいらない | ナノ
その職人、寸前。

もう夜も遅いというのに、雨が屋敷を叩く音は止みそうもない。
「…どうだ。」
作ったサンドウィッチをとりあえずキッチンに置き、やって来たシエルの寝室で、この屋敷の主は疲れたようにベッドに寝転んでいた。
「何度シュミレーションしても、子爵以外に一連の事件に関われる人間はいませんね。」
セバスチャンがリストをめくりそう言う。私はキッチンに寄ったついでに入れたホットミルクをサイドテーブルにのせる。
「調査条件を変えるしかないのか?」
いらだたしげに髪を掻き揚げるシエル。
「昨日の事件に子爵は関われないしねぇ。」」
「そうですね。子爵邸にいた人間には不可能です。」
「とりあえず明日は―――」
髪を掻き揚げた手が、ぴたりと止まる。見開かれた瞳は、驚愕の色に染まっている。
「…セバスチャン……まさか…」
セバスチャンが妖しく笑う。
「何度も言っているでしょう。私は嘘をつきません、と。」
セバスチャンがシエルに近づき、手を差し出す。
「私は貴方の『力』であり『手足』であり『駒』…全てを決め選び取るのは自分だと。その為の『力』になれと。『あの日』、貴方がそう仰ったのです。私はあくまで『執事』。出すぎた意見など申しません。」
シエルの前に跪くセバスチャン。
「ご主人様に命ぜられた事、聞かれた事だけを忠実に。」
「あそこにいた人間には不可能なんだな。」
「ええ、そうです。」
悔しげに歯を食いしばるシエル。
「そういうことか…貴様…」
シエルの鋭い視線を笑みで躱して、セバスチャンが立ち上がる。
「貴方の命令一つで、私は貴方の『駒』となり『剣』となる。」
セバスチャンの投げ上げたリストが、宙を舞い二人に降る。シエルが眼帯を外し、隠れていた瞳が露わになる。
「さぁ…王手を、ご主人様。」


○●○


「昨日は私抜きで、二人で盛り上がっちゃって。途中から私の存在忘れてたでしょ。」
「五月蠅い。お前にもちゃんと説明したんだからいいだろう。」
ロンドンの夜は寒い。私とシエルとセバスチャンは、貧民街の路地裏にやってきていた。
「…寒い…」
「いくら貧民街でいつものお召し物が目立つとはいえ、やはりその服ではお寒いでしょう。一雨来そうですし。」
薄着で凍えるシエルに貸そうと、となりに立つセバスチャンがコートを脱ぎ掛けたが、それを目立つからと制したシエル。私は着こんでいたカーディガンを脱ぎ、シエルに着させる。袖が長く、何度か折った。少々不格好だが、無いよりましだろう。寒そうなシエルをこのままの格好でいさせるのは、さすがに良心がとがめる。
「ここに張っていれば、必ず奴は来るんだな。」
「えぇ、入り口はあそこしかありませんし、唯一の通り道もここだけですから。」
「次に狙われるのは、あの長屋に住むメアリー・ケリーで間違いないな?」
シエルが壁の陰から入り口を覗き込む。扉の隣の窓から、うすぼんやりと光が漏れていた。
「えぇ。間違いないと、何度もお伝えしているはずですが?」
呆れたように答えるセバスチャン。私は話も聞かず、路地裏の暗がりに目を凝らした。
「確かに…殺された娼婦たちには「臓器が無い」以外にも「共通点」があった。だが、奴が殺す必要性はどこにある?それに僕は…」
暗がりから現れたものが何か分かった途端、私とセバスチャンは目を合わせ、それだけで会話を交わした。私は左、セバスチャンは右から猫を挟み込み、捕獲することに成功した。その間わずか5秒足らず。もちろんシエルの話を聞いているはずもない。
「可愛いねぇ。どこから来たの?」
のどを撫でれば、ゴロゴロと鳴く猫。大きな瞳が私たちを見つめる。
「…おい!聞いてるのかお前ら!」
「あ、すみません。」
「あまりにも可愛かったもんだから、つい。」
振り返ると、シエルが起こったように仁王立ちをしている。
「飼わないからな!戻しなさい!」
「はーい。せっかく捕まえたのに…」
セバスチャンが猫を離す。見事に地面に着地した猫は、尻尾をゆらゆらと揺らし、また暗闇へと消えていった。
「ったく…」
壁に身を預け、ため息をつくシエル。
「あの子、こっそり連れて帰れないかな。」
「奇遇ですね。私も同じことを考えていました。杏子、同罪ですよ。」
シエルに隠れ、こそこそと会話を交わす。話題はもちろん、先ほど逃がした猫の事だ。
「じゃあ、この一件が終わったら探しに行くってことで。」
「もちろん、主人には内緒で。」
にやりと笑ってがっちりとお互いの手を握った。その時、
「ギャアアアアァ!!!!!」
袋小路のはずの部屋の中から、耳を覆いたくなるほどの悲鳴が響いた。
「なっ!?誰も部屋にはっ…」
「行きましょう!」
悲鳴が聞こえたそのドアに向かい走る。たどり着いたシエルが扉を開けた、その先には…
「いけません!」
血の海が広がっていた。急いでシエルの目を覆うセバスチャン。その甲斐むなしく嘔吐するシエル。鉄の生臭いにおいが、私たちを襲う。逃れるように、セバスチャンはシエルを扉の前から離した。開け放たれた扉の奥から、ビシャビシャと血の海を歩く靴音が聞こえてくる。
「随分と派手に散らかしましたね、“切り裂きジャック”―――いや、グレル・サトクリフ。」
扉から現れたのは、髪の毛までを返り血で真っ赤に染めた執事だった。


(ようやくお出まし、ってわけね。)(いくら杏子が強いと言えど、あれを相手にしてはいけません。坊ちゃんを守っていてください。)(もちろん、分かってるよ。私もさすがに、自分の力量ぐらいわかるもの。)(賢明な判断です。)(一回だけ喧嘩売ってもいい?)(杏子?)(はいはい)

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