貴方のいない 世界はいらない | ナノ
その職人、予感。


執事の朝は早い。
夜は誰より遅く仕事を終え、朝は誰より早く仕事を始める。
それが、屋敷を一切仕切る執事の勤めである。

「随分髪が伸びてきましたねぇ…」
いつも通り誰より早く起きた私は、鏡を見ながらそう呟く。
「…嗚呼、勝手に縮めてはいけないんでした。人間というのは、どうにも面倒だ。」
伸びた髪を耳にかけてから、私は上着を羽織った。

執事見習いの朝は遅い。
夜は誰より早く居眠りを始め、朝は誰より遅く起きる。
それが、屋敷を一切仕切る執事の補佐役の実状である。

「杏子、起きて下さい。」
そう言いながら、杏子を揺さぶる。
「‥‥‥ん〜‥‥‥‥‥」
杏子は未だ、夢の中だ。
(こんなときには、アレですね。)

「あ、あんなところにパンプキンパイが。」
そう、私が言った瞬間に、
「どこっ!」
杏子はガバッと起き上がった。
「おはようございます。」
私は杏子に挨拶をする。
「へ?‥‥‥えっ?えっ?」
まだ現状を把握出来ていない杏子は、キョロキョロと周りを見渡す。
(何回もこの手を使っていると思うのですが、何故こうも学習しないのでしょうか?)

まだキョロキョロと辺りを見渡している杏子に、
「ほら、いつまでも寝ていないで、さっさと着替えなさい。」
「‥‥‥は〜い‥‥」
しぶしぶといった感じで、杏子は手を上に上げて伸びをした。
「おはよう、セバスチャン。」
「おはようございます、杏子。」
そうして私は、本日二度目の挨拶をした。

まず始めに、使用人に一日の仕事の指示を出す。

「お早うございます、皆さん。」
「「おはようございまーす!」」
ファントムハイヴ家の使用人は、今日も元気だ。
「メイリンはリネンの準備を。」
「ハイ」
「フィニは庭の木の手入れを。」
「ハーイ」
「バルドは昼食の準備をお願いします。」
「ウース」
「杏子は私と一緒に、朝食の準備をしてください。」
「ほーい」
「タナカさんは、お茶でも飲んでて下さい。」
「ほっほっほっ」
「さ、分かったら早く持ち場へ行きなさい!ボサッとしない!」
私は手を叩き、使用人達を持ち場へと移動させる。

使用人達を送り出したら、次は当主の起床に備えて、目覚めの紅茶と朝食の準備を。

「で、私は何をすればいい?」
「それでは私は紅茶の準備をしますので、朝食の方をお願いします。」
「イエッサー!」
まぁ、杏子ですから任せても、そんな大失敗はしなガッシャーン!
音に驚いて、杏子の方を振り返ってみると、粉まみれになった杏子がいた。
「あー‥‥‥」
「なにをしてるんです?」
「えー‥‥‥っと」
「な・に・を・してるんです?」
「スコーン作ろうと小麦粉をボウルに入れたら、全部ひっくり返しちゃいました。」
そう、私の目を見ずに言う杏子。
(このバ…もとい、執事見習い。まったくどうして右手のひらを斬ってしまったんです。自分は左手だけだともはや、不器用とかそんなレベルではないことを知らないでしょうか?)

「ハァ‥‥‥まぁいいです。怪我をしているのに朝食を作らせようとした私が間違っていました。そこに座っていなさい。」
「はーい‥‥‥」

紅茶と朝食の準備ができたら、主人の部屋へと向かう。
「失礼します。」
「失礼しまーす。」
二回扉を叩いてから、扉を開ける。
坊ちゃんはまだ、ベッドの中。
「坊ちゃん、お早うございます。お目覚めの時間です。」
「シエル、今日は良い天気だよ。ほら、さっさと起きる!」
そう言いながら、杏子はカーテンを開ける。
坊ちゃんはようやくお目覚めのようだ。
「‥‥まぶ‥し‥」
「おはよう、シエル。」
「あぁ‥‥‥おはよう。」
くぁっと、杏子への挨拶の途中に欠伸をした坊ちゃん。
‥‥‥後で厳しく指導しなければ。

我が屋敷の主人、シエル・ファントムハイヴ伯爵は、12歳にして広大な領地を治める当主である。
それと同時に、玩具・製菓メーカー「ファントム社」の社長としての顔も持ち、狡賢いいえ、才能溢れる経営方法であっという間に「ファントム社」を巨大企業に成長させた。

坊ちゃんにティーカップと新聞を渡す。
「そういえば、バートン伯の養護院の子供達を、屋敷に招くことになった」
坊ちゃんはこちらをチラリととも見ずに言う。
「養護院の子供達を?」
どうして?と、言われずとも分かるほど興味津々な様子で訪ねてくる杏子。
「貴族の富は、社会に貢献する為にある。そのような英国のしきたりに従い、我がファントムハイヴ家も奉仕活動を行っているのですよ。」
「ふーん‥‥ボランティアってやつ?」
「そのようなものです。しかし坊ちゃんの場合、「親に何か買わせたいなら子供から、と言うしな。」ということです。」
「つまり、全てはファントム社のためって事か‥‥」
「ご名答。それで坊ちゃん、いつになさるのですか?」
「明日。」
(‥‥‥‥‥‥‥明日?)
「随分と急だねぇ、シエル。」
「あぁ、善は急げと言うだろう。」
そう杏子に言いながらも、明らかに私の方を見てニヤニヤと笑っている坊ちゃん。
(このガ…坊ちゃん。私に任せておけば、何でもかんでも何とかなると思っていませんか?いい加減、人?使いが荒すぎます。)
「了解致しました。では私は早速、明日の準備に取りかかります。行きますよ、杏子。」
「はいはーい!」

(さて、ここからが私の仕事の本番です。)(いやいや私の仕事の本番でもあるからね、セバスチャン。)(あなたは今回役立たずなんですから、黙っていなさい。)(ひっでぇ!さっき『行きますよ』って言って、2人で仕事する雰囲気バリバリ出してたくせに!)(私は手伝って欲しいなど、一言も言っていませんが?)(‥‥‥)


そんな感じで厨房を追い出された私は、ブラブラと屋敷を出て、庭へと向かっていた。
(このあいだフィニに庭の場所聞いたんだよね〜)
私は一度も(正常な状態の)庭を見たことが無かったのだ。
「前みたのは、完璧な日本庭園だったからなぁ。イギリスのしかも名門貴族の庭って、なかなか見れるものじゃないし、見てみたかったんだよね。」
そんな一人言を呟いていると、
「ギャー!」
「メイリン?!」
突然メイリンの叫び声が聞こえて、身構えたが、
「‥‥‥考えてみると、いつもの事だな。」
そんな結論に至った。
(きっとまた、なんかに失敗したんだろうな。まぁ、セバスチャンがいるから大丈夫でしょ。)
また少し歩くと、ドカーン!と大きな爆発音がして、私はまた身構えた。が、
「ぶっちゃけ、いつものことだな。」
と、軽く流した。
(普通は悲鳴とか爆発音とかって、滅多に聞かないもんだけどなぁ。慣れすぎだな、私。)
ちょっとだけ、遠い目になった。

「そこの角を曲がれば、もう庭だ!」
そう、あと少し、もう少しで見てみたかった庭が見れる‥‥‥はずだった。
「え‥‥‥‥‥?」
角を曲がって見えたのは、想像していたものとは全く違うものだった。
(なんか‥‥‥茶色い‥‥‥‥)
木の葉っぱは全て刈り取られ、芝生は見事に枯れている。
「なにこれ、イジメ?」

期待を砕かれた私は、とりあえず庭(だったと思しきもの)を歩いてみた。
「びっくりするぐらい、なんもないなって‥‥‥‥!!!!」
私はその場で固まり、そして無意識のうちに息を止めていた。
(ウ‥‥‥ウサギ!生ウサギ!)
そう、私の視線の先には、真っ白な毛を持ったウサギがいたのだ。
(慎重に‥‥‥そーっと‥‥)
と、足音をたてないようにウサギに近づいてゆく。
しかし、ウサギは異常なまでの私の視線に気づいたらしい。
ピョコっとこちらを振り返り、そして2人(?)で固まった。
「‥‥こ‥‥こんにちは‥‥」
とりあえず挨拶をしてみた。
ら、
「あっ!!」
ダッシュで逃げられた。

「こっちに来たと思うんだけどなぁ‥‥‥つか、どこだ?ここ?」
いつの間にか、屋敷の裏側まで来てしまったようだ。
「ん〜‥‥いないみたいだ『バァン!』!?」
とっさに花壇の裏に隠れた私。
ゆっくりと音のしたほうを覗いてみると、
(セバスチャン?なら隠れる必要ないじゃん。)
そう思って声をかけようとした時、
「ほらほら、そんなに慌てなくても、たくさんありますから。」
セバスチャンの声が聞こえて、私は急いでもう一度花壇に隠れた。
(誰か‥‥‥いるの?)
さっきまで、あそこには誰も居なかったはず。
でもセバスチャンは誰かに声をかけた。
いつもとはちがう、言うならばそう、愛しいものに語りかけるような声色で。
(愛しいもの‥‥‥‥‥愛しい‥‥‥人?)
そう考えた瞬間に、私の心臓は速く速く脈打ち始めて、でもそれは決して気持ちの良いものではなくて、
(この気持ちはなんだろう?この、嫌な気持ちはなんだろう?)
そんな事を考えているうちに、
「嗚呼…貴女の手はやわらかいですね…」
また、セバスチャンの声が聞こえて、
「!!」
(‥‥‥‥聞きたく‥ない‥‥)
「いつまでもこうしていたい…」
私は耐えきれなくなって、手で耳を塞いだ。

しばらくして、
「いなくなった‥‥‥かな?」
ゆっくりと花壇の影から立ち上がり、私はその屋敷の裏の扉の前にあった階段に腰掛けた。
さっきの嫌な気持ちは、随分と薄まってきている。
でも、
「なんだったんだろ?」
この胸にあるその気持ちの意味を、私は知ることが出来なかった。



(杏子、こんな所にいたんですか。)(お、セバスチャン。ちょっとウサギを追いかけてたら、ここまで来てた。)(飼いませんよ。)(な‥‥‥ま、まだなんも言ってないし!)(そのウサギを捕まえていたら、杏子は必ずそう言ったでしょ?)(うっ‥‥‥否定は‥‥しないけどっ!)

prev next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -