貴方のいない 世界はいらない | ナノ
その職人、消沈。


主人はぐったりしていた。
理由は一つ。婚約者・エリザベス様の来訪だ。
「シエル〜?生きてる〜?」
「‥‥‥」
ツンツンとつついていたら、ガッと手を掴まれた。
どうやら、大丈夫なようだ。
「うんうん、生きてるのはわかったから、手を離してくれ。」
「‥‥‥」
「え?ちょっ!痛い!痛い痛い!」
無言で手に力を込められた。
ぶっちゃけシエルの細腕で握られても、そんなに痛くはなかったのだけど、シエルは私のそんな反応に満足したらしく、手を離してくれた。

起き上がったシエルに、ティーカップを渡し、それからセバスチャンの隣に向かう。
「ところで坊ちゃん、エリザベス様はダンスをご所望ですが、」
ピクッと、シエルのティーカップを持つ手が揺れる。
私は、セバスチャンの横のカートの上にあるケーキに気を取られる。
「私は拝見した事はございませんが…ダンスの教養はおありで?」
シエルは椅子をクルリと回し、セバスチャンに背を向ける。
私はカートの上にあったナイフで、ケーキを切る。
「…どうりで…」
私は切り分けたケーキを皿に盛り、早速フォークをケーキに突き刺そうとした。
「パーティーにお呼ばれしても、壁の華を決め込む訳ですね。」
フォークは虚しく空を切り、私は前のめりに倒れそうになる。
驚いて前を向くと、セバスチャンがシエルにケーキを突き出している所だった。
それは紛れもなく、私が切り分けたケーキだった。

「あー!!私のケーキ!」
「貴方のケーキではありません。」
「いやだって、それ切り分けたの私「お黙りなさい。」‥‥‥はい」
にっこりと笑いながら言われてしまい、私にはそれしか返す言葉が無かった。

「杏子、ダンスの経験は?」
ケーキを食べられなかったと、部屋の隅でいじけていると、セバスチャンにそう聞かれた。
「それに答えたら、ケーキ貰えますか?」
「返答次第です。」
「あります。一応いいとこのお嬢さんだったんで。ケーキは貰えますか?」
「それはちょうど良かった。」
「無視ですか?ケーキ貰えないんですか?」
「一曲お相手願えますか、お嬢様?」
「‥‥‥‥‥‥はい?」

それから私とセバスチャンは、部屋を移動し、部屋の中央に、シエルはその部屋の隅に立っていた。
「坊ちゃん、まず手本を見せますので、良く見ていてください。」
「ごめん、話の流れが読めないんだけど。どうしてセバスチャンと私が踊ろうとしてるの?」
そんな疑問に対して、
「後でケーキを食べさせてあげますから。」
セバスチャンがそう耳元で囁いて、
「やりましょう!さぁ、早く!」
即答した私。
不覚にも、餌付けされた気分だ。

それから、どこからからともなくワルツの音楽が聞こえてきて、私はセバスチャンに腰を引き寄せられた。
(ダンスなんて久しぶりだなぁ‥‥‥最後に踊ったのは‥‥いつだっけ?)
そんなことをぼんやり考えていたら、セバスチャンと目が合って、にこりと微笑みかけられた。
(そうだった、ダンス中は常に笑顔、楽しそうにしなきゃいけないんだ。)
それからセバスチャンに笑いかけ、
「セバスチャン、想像以上にダンスが上手いね。」
「杏子こそ、正直こんなに踊れるとは思いませんでした。」
「昔から、運動神経と記憶力だけはよかったもんで。」
「運動神経はともかく、記憶力とは意外ですね。」
「はっはっはー、ねぇそれどういう意味?」
「言葉のままです。」
そんな不毛な会話を続けていると、音楽が終了した。
それからどちらともなく体を離し、お辞儀をした。

「では、坊ちゃん。今見たように踊ってください。」
「あぁ、分かってる。」
その後、セバスチャンによるダンスレッスンが始まった。
ちなみに私は、足を踏まれるのが嫌なので、家庭教師役は丁重にお断りした。
だって、めちゃくちゃ痛いんだもん、あれ。
「曲が始まったら、まず左足から…」
そう言ってセバスチャンがリードするも、シエルの足は一直線に、セバスチャンの足の上へ。
(あぁ‥初っぱなから‥‥痛そう‥‥‥)
「次はナチュラルターン」
(うっわぁ‥‥なんか超ブルブルしてる)
「足を前へ滑らせる様に」
ガスッと、シエルの足がセバスチャンのすねの当たりを蹴る。
(シエルなりに一生懸命、足を前に出した結果なんだろうなぁ‥‥‥にしても、)
「ダンスの才能が皆無というか、壊滅的ですね、坊ちゃん。」
「いくら望んでも、そのレベルまでには達しないよ。」
ハァと二人同時にため息をつく。
「うるさい!相手役がデカすぎるんだ!」
私はセバスチャンの横に立ち、シエルの顔を覗き込む。
「いいですか坊ちゃん。ダンスはワルツに始まり、ワルツに終わる≠ニ言われる程です。格式高く、優雅に踊らねばなりません。」
セバスチャンがそういうと、シエルはムスッとした顔で横を向く。
拗ねた子供のようだ。
「ともかく――」
そう言って、セバスチャンがシエルの頬に手を伸ばす。
「まず、その仏頂面をなんとかしなさい」
セバスチャンがむにゅっとシエルの頬をつまみ、私もそれに便乗する。
「嘘でも楽しそうになさって下さい。」
「ほらシエル、笑って笑って!」
そう言ってシエルの頬で遊んでいると、
「離せ!」
なぜだかシエルが悲しげにそう叫んで、私たちの手を振り払ったから、私はなんだかビックリしてしまった。

「‥‥‥大体僕は…っ」
私はシエルの顔を覗き込んでいたから、シエルの顔は良く見えていて、そのシエルの顔は、なんだか今にも泣いてしまいそうな顔をしていて‥‥‥
「―――――…楽しそうに…」
先ほど叫んだのとは、別人かのようにシエルの声は小さくなって、
「楽しそうに笑う方法など…忘れた」
ほとんど消え入りそうな声でそう言ったから、私はもうなにも言えなかった。



(シエル‥‥‥)(はっ!お前なんて顔をしてるんだ?)(ちょ!ひど!)(ふん!お前がそんな顔しているのが悪い。)(‥‥この顔は生まれつきなんですけど)(そうか、残念だったな。)

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