貴方のいない 世界はいらない | ナノ
その職人、演奏。


「‥‥‥‥‥‥なんじゃこりゃ‥‥‥」
そんな言葉が飛び出たのは、セバスチャンに首筋を噛まれ、セバスチャンに長い黒髪のウィッグをかぶらされ、セバスチャンの手を借りて庭までやってきた時だった。
(イギリスだよね!ここ、イギリスだよね!?)
そう疑いたくなるのも、無理はない。
なぜなら眼前に広がる風景が、紛うことなき日本庭園だったからだ。

「これ、セバスチャンがやったの?」
「ええ。」
「凄くキレイ‥‥‥でも、」
「?」
「あやめなんて良くあったね。まだ時期じゃないだろうに。」
う〜ん‥‥‥なんでだ?
私が日本に居たときとは、季節が違う‥‥‥とか?
あっちでは8月だったけど、あやめは4月5月のものだから、ここはそれぐらいなのかも。
うん、きっとそうだな。

「それでセバスチャン、私にこんな格好させて、何をさせようって言うの?」
「もうすぐ見えてきますよ。」
「?」
そういってセバスチャンが指差す方向をみると、
「琴?」
テーブルの向こう側に雛壇が設置され、そこに敷かれた赤い絨毯の上に、琴が堂々と置かれていた。

「懐かしい‥‥‥」
痛む足を引きずり、琴の前に座ると、途端に記憶が蘇ってくる。
(琴を教えてくれたのはおばあちゃんだったっけ。言われたとおりに弾けなくて、よく怒られてたなぁ‥‥‥)
それでも琴は大好きだった。
いつも怒るおばあちゃんも、琴を奏でる音はとても綺麗で憧れた。
そんなおばあちゃんも、大好きだった。

「琴爪は?」
「こちらに。」
そういって差し出された琴爪を指につけながら、隣にいるセバスチャンに聞く。
「なんでこんなものが、イギリスにあるの?」
「日本の品々は、とても希少ですが美しいものばかり。それ故に、コレクターも多いのですよ。」
「なるほど〜。でも、琴を演奏しようとして買う人は‥‥‥」
「いませんね。買った当初少しは触るのでしょうが、すぐに鑑賞用になります。」
「勿体無い!あんなに綺麗な音がするのに‥‥‥」
そうして私は琴を弾き始めた。
優雅で、凛としていて、それでいて悲しみを含んだ音色。
(どこに行っても変わらないものって、あるんだなぁ‥‥‥)
そんなことをしみじみ思っていた。

弾き終えた瞬間、どこからか拍手が聞こえた。
「すばらしい!この国で日本文化にふれられるとは‥‥‥感激だよ、シエル。」
‥‥‥誰だこの人?

「あぁ、失礼。自己紹介が遅れてしまったな。私のことは、クラウスと呼んでくれ。」
「はぁ‥‥‥」
おっと、テンションに押されておざなりな回答をしちまったぜ。
「はじめまして、こんにちは。私は白岡杏子と言います。日本生まれの日本育ち、根っからの日本人です。」
そこまで言うと、クラウスさんは驚いた顔をして、
「根っからの日本人の割に、英語が堪能なんだな。私も日本人には何人も会ったが、ここまでではなかった。」
英国で長いのかという質問をされたけど、セバスチャンが上手くかわしてくれた。
あんまり喋ると、私が余計なことを言ってしまうかもしれないから、と言うことらしい。
強く否定できないのが悔しい‥‥‥

それから食事会は、なんの問題も無く進んで(途中なにやらセバスチャンが力説してたけど‥‥‥)、食事が始まった。

セバスチャンがメイド服の子になにやら耳打ちすると、その子は真っ赤になった。
(あのイケメンにあんなに顔近づけられればなぁ‥‥‥私でもああなる。)
真っ赤になったその子は、ふらふらしながらワインを注ぎに向かった。
(‥‥‥私でもああはならない、多分。というかあの子明らかに、注ぐ場所間違ってないか?)
私は雛壇の上で、二人を真横から見ていたから、グラスの位置が良く見えた。
(明らかに右に寄り過ぎなような‥‥‥うぉぉ!零れてる!零れてますよ!)

その瞬間、
「え?」
今まで見えていた白いテーブルクロスはなくなり、よく磨かれた木製のテーブルが現れた。

(杏子、演奏中はなにがあっても心を乱してはいけないよ。その心の乱れが音に乗って、聴いている人達に伝わってしまうから。)

おばあちゃんの言葉が、頭の中で聞こえた。
おばあちゃんが良く言っていたことだ。

(そうだった‥‥‥私は今演奏中だったんだ。大丈夫驚かない‥‥‥平常心平常心‥‥‥‥‥って、無理っ!)
残念ながら杏子は、分からないことは、放っては置けない性格だった。



(あれ?セバスチャンが汚れたテーブルクロスを持ってる)(もしや隠し芸の王道、テーブルクロス引きをやったとか?)(というか、私はいつまで弾いてればいいんだろ?)(そろそろ指痛い‥‥‥)(お腹‥‥すいた‥‥)

prev next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -