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「ところでさ、名前は何してるの?」

「就職するためのインターンみたいな」

「へえ、どんな?」

「うーん……公務員みたいな」

「そうなんだ、俺は大学生だけどね」

「じゃあこの辺の大学に通ってるの?」

「いや、ロンドンの」

「遠くない?」

「でも、家賃安いし」

「確かに、そっか」

「名前だってロンドンで働いてるんだろ?」


ベーカリーでパンを買った後、そこでハイサヨナラとはいかなかった。だって同じフラットだし。紙の袋に入ったパンはおいしそうな匂いだし、ほのかに温かい。夜なのに焼き立てなんてありがたい。イアンと話す内容は職場で話す血なまぐさい内容とは全然違うし、まるで普通の人みたいだ。……いや、別に私だって普通の人なんだけど。魔女だってくらいで。魔女なんてイギリスにいっぱいいるし、日本にだっている。イアンは多分マグルで、魔女の存在なんて知らないんだろうし信じてないんだろうな。


「卒業したのはどこの学校なの?」

「んースコットランドに近いところ」

「へえ、日本人は結構いるの?」

「いや、いないかな」

「そっか、確かに俺の学校にもほぼいなかったな」


早くフラットについてほしい。早く一人になりたい。自分一人で歩く方が早く歩ける気がしてきた。駅から歩いて25分のフラットにいっそ姿あらわしをしてしまいたい。今、駅に忘れ物をしてきたとか話したら大丈夫なのかな……、いや、わざとらしいか。……ていうか、何でここまでいやなんだろう。イアンが悪い人だなんて全然思ってない。ただ、今日は疲れたし、誰とも話したくない気分。ヘレナに言われた言葉がぐるぐる回ってるし、明日だって仕事だ。それに、イアンと話してると、なんだか、


「どうした?黙っちゃって。着いたけど」

「え、あ、うん」


顔を上げると確かにフラットに着いていた。パンを抱え直して、鍵を出そうとしたけど、ポケットには鍵の感触がない。………もしかして、最近鍵使ってないから忘れちゃった?杖で一発だし、むしろ鍵で入ったら怖いから魔法を使ってた。


「鍵ない?」

「あ、あるよ」

「嘘でしょ、そんな顔してないよ」

「嘘なんか」

「よければ、俺の家来る?」

「………え?」


イアンはにやっと笑って私を見た。「俺の家が嫌ならパブとかでもいいよ」とか、違う。そういうことじゃない。イアンの家とかパブとかそういうことじゃないんだよ。ぐるぐると否定する言葉を伝えようとしても出てこなくて、イアンは私を見続ける。ちょっと、まって。本当に、意味が分からない。それを言いたくてあのカフェスタンドで声をかけてきたの?同じフラットに住んでるっていうのも本当?全部が全部意味が分からなくなってきて、私は黙ってしまう。


「困らせた?」

「………えっと」

「名前ってうぶなんだな」


この人に言われる筋合いはない気がする。今日初めて話したのに。……イアンは私のことに気付いていたのかもしれないけど。ていうか、私はそんなにうぶなのかな。笑って誤魔化すのがどんどん苦痛になってきて、もう本当早く立ち去りたい。


「ごめん、明日も仕事だから」

「そっか。じゃあまた今度」


今度って本気かな。うんともいやとも言えない変な声を出して、私は階段を駆け上った。イアンがどの階に住んでるのかも知らないけど、とりあえず離れたかった。イアンがどんな人なのかも知らないけど、フラットに着くまでに感じた違和感は拭えなくて、杖を大っぴらに出しながらさっさと家のドアを開けて隙間を通り抜けた。抱えたパンは温かいうちに食べたほうが絶対美味しいのはわかってるけど、食べる気がしなくてテーブルに置く。何なんだろう、本当。脱いだ靴は放り出して、杖はソファに投げる。何なんだろう、本当。もう一度考えた。どうしようもなく、ブラックに会いたかった。



20170312
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