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「ウソ……!」
それはこっちのセリフだ。
と、言う前に麻美がオレに抱き着いてきた。ポニーテールが大きく揺れる。
「大人のココだーーーーーーー!!!!」
何故かガキの姿の麻美が、オレの腰にタックルするような形で抱き着いてきた。いつもより大分見下ろさなきゃならねぇから首が怠い。
「やだーーー! 超超超超超超超超超超かっこいい!! 今何歳なの!? 身長何センチ!? 昨日晩ごはん何食べた!? 今一番好きなごはんなに!? 最近お休みの日は何してる!?」
うるせぇ。
いつもより声が甲高いこともあり頭に響きまくった。
「今18で、」
「じゅーはち!? えーー! 大人ーーー! あっ結婚できるね……!」
いちいちマジうるせぇな。辟易しながら質問をざっくばらんに返しつつ、部屋を見渡す。一体何なんだこの部屋は……。
怪訝に思った時だった。パッと電光掲示板が光る。
『5分間喋らずに黙っていないと出られない』
頭に一拍の空白が垂れ込んだ。
「ねぇ大人のココは何センチなの? 私はねぇ148センチだよーー! 今の、あっ今のココって私と同い年のココは147なんだよ!」
甲高い声でべらべらまくし立てているガキを見下ろす。コイツと、この落ち着きのないガキを、5分黙らせる。
族ひとつ潰す方がマシじゃね?
溜息混じりに「174」と答える。「きゃーーーー! おっきいーーーーー!」とはしゃがれた。
ガキの麻美は一瞬たりとも休むことなく喋り続けた。この部屋の脱出方法を理解しているにも拘わらず、べらべら喋り続けた。
今この瞬間も目をきらきらと輝かせながら、嬉々として喋る。
「今のココもかっこいいけど大人のココもかっこいいね! ねぇ大人の私はどうなってる? 綺麗で可愛いのはもちろん、お淑やかで優しいでしょ!」
……お淑やかで…………、優しい…………?
麻美が高すぎる自己評価を平気で口にした時、懐かしのあの曲が頭の中を流れた。
ズンッチャッチャーズンッチャッチャーズンッチャッチャーズンッチャッチャーいーつーのーことーだかーおもいだしてごーらーんー
あんなことー、
『アンタのこと、無茶苦茶に犯してやる!!』
こんなことー、
『ふざけんじゃねーーーーーー!!!!』
あーったーでしょーーー
『赤音さん≠ノはできなかったこと周りで消費するしかなくてウケる〜! あの女死んじゃったから、手ぇ出したくても出せないもんね!!』
お淑やかで、優しい。どうやら麻美とオレの間ではこの二つの単語に対する解釈が異なりすぎているらしい。それなりの年月を共に過ごしているのに麻美がお淑やかだったり優しかったりする記憶が一秒たりともねぇのも逆にすげえな。
…………つーか、
「オマエいい加減黙れって」
オレと麻美は床に座っていた。麻美はオレの腕に腕を組んでべたぁ……と密着している。タメの麻美よりも更にべたぁ……と密着していた。あれ以上ベタベタできんだなと謎の感慨を覚えながら、ガキの麻美を見下ろしながら言うと「ヤダ!」即答された。
「せっかく大人のココと喋れてるんだもん! もっとたくさん喋りたい! ね! もっと喋ろ!」
とうとう膝の上に乗ってきた。コレはタメの麻美もしたことがない。
「喋ってたら永遠にこの部屋から出られねぇんだケド」
「いいじゃん!」
「よくねぇよ。つかオマエだって帰らねぇとまずいんじゃねえの? 学校とかどうすんだよ」
「だからぁそんなん、」
麻美は不服そうに唇を尖らせたが、何やら思いついたらしい。ぱぁぁぁ……っと目を輝かせた。
「ココ、大人の私に会いたくてたまらないんだね!」
んなこと一言も言ってねえよ。向こう見ずとも言えるポジティブっぷりに辟易しているオレを差し置き、麻美はベラベラ捲し立てていく。
「わかるーー! 私も今のココに会いたいもん! 大人のココも大好きだけど今のココも大好きだし! てかやっぱ大人のココは大人だねー! 会いたいとか言ってくれるんだもん! 今のココは恥ずかしがり屋だからそーゆーの全然ないんだよねーー喋りかけてもふうんとかへえとかばっかでずーーっと恥ずかしがってんの!」
ガキの頃、麻美のことがアウトオブ眼中で喋りかけられてもろくに返事をしなかったことに対し、麻美は恥ずかしがり屋≠ニ捉えていたらしい。だからあんな毎日毎日休み時間の度話しかけてきたのか。すげーわ。すげーポジティブ。
「ねぇ! ココと私、どーゆー風に付き合ってんの?」
「どういう風って」
「まぁわかるけどー! ココがか弱い私を守ってくれてるんでしょ!」
か弱い……………………?
麻美から最も程遠い単語で自身を形容されて、思考回路が一時停止した。コイツの自己評価どうなってんだ、マジで。
オレの記憶の限り、麻美がか弱かった瞬間は一瞬たりともない。
リンチに遭っているところに現れた麻美の形相は凄まじかった。重力に逆らうように目を釣り上げ、怒りに滾り、阿修羅のような闘気を纏いながら、男の股間を蹴り倒していた。
全然か弱くなかった。無茶苦茶でヤバかった。
『私からココを奪おうとする奴は、全員殺す!!!!!!』
「健気で一途でか弱い私に毎日キュンキュンしてるんでしょ! そーでしょ!」
「ぶっ」
全員殺すと息巻いていた麻美を思い出しているところに、認識のズレが激しすぎる自己評価を得意げに口にされたらもう駄目だった。こらえきれず噴き出し、そのままゲラゲラ笑う。
「ははっ、あははっ、か弱いって……! はは、あははは!! はーーークッソウケる……!」
眦に浮かんだ涙を拭うと、目の前の景色が晴れた。きょとんとしている麻美が出てくる。麻美は不思議そうにオレをまじまじと眺めていた。
「なに、どした」
尋ねると、麻美は視線を下に向けた。
「……ココが、私と一緒にいてそんな笑ってんの初めてだから、なんか、」
そこまで言うと、麻美はオレから目を逸らして、キュッと唇を結んだ。しいん、と静寂が降りる。
麻美は照れていた。
照れているから黙っている。好都合だ。このまま5分経てばオレは晴れてこの部屋から出られる。ガキの麻美から解放される。いいことづくめだ。
俯いていた麻美は躊躇いがちに、きっと本人的には盗み見の要領でオレを見つめてきた。オレはずっと麻美を直視していたため、ばちんと視線がぶつかる。びくっと肩を跳ねさせて狼狽えている麻美が滑稽で、笑った。
このまま黙らせた方が得策だとわかっているのに、ガキ染みた好奇心が滲み出る。麻美がガキであろうがタメであろうが、麻美といるとオレはいつもこうだ。
「どした?」
どうしようもなく、困らせてやりたくなる。
茹蛸みたいに真っ赤な頬に、触れてみた。
――ガツンッ!!!!
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ってぇえぇ……! 何すんだよ!!!」
視界の中で星が舞っていた。じんじんと痺れるような痛みを訴えている額を抑えながら麻美を詰ると恒例の「だって!!」が返ってきた。
「だってココおかしい!! なんか、なんか変!! ココは、いつものココは、返事が『ふうん』か『へぇ』じゃん!! なのに、なんか、なんか、だって、そん――、」
額を腫らしている麻美はべらべらとまくし立てると、電源が切れるようにふっと意識を途絶えさせた。後頭部から倒れかけたので慌てて背中に手を回す。今よりも小さく細い体がオレの腕の中で伸びきっていた。気絶していた。
……あー……つまり。
ガキの頃、オレは赤音さん以外の女に興味がなかった。麻美の事なんて軽蔑していたし、アウトオブ眼中だった。毎日毎日すげない態度を取っていた。
「キャパオーバーっつーことね……」
腕の中で白目を剥いている麻美を見下ろしながら、溜息を吐く。ま、黙ってくれたからいいんだケド。『5分間喋らずに黙っていないと出られない』の電光掲示板をちらっと見てから、麻美を見下ろす。べらべら回っていた口はようやく動きを止めていた。そう。これでやっと解放される。やっと。やっと。やっと。
「ふがっ」
解放感と呼ぶには満足感に乏しい何かが、胸の中を漂っている。ムカついたから、麻美の鼻をとりあえずつまんだ。