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ゴディバとリンツとモロゾフとピエールマルコリーニは美味い。マジで美味い。マジのマジで美味い。上質な舌触りに滑らかなくちどけは素人には絶対作れない代物だ。他の奴等からだったら普通に喜んだ。
けど麻美からだと貰った瞬間、心が落胆で少し沈んだ。今年はちげえんだ。そんなことを思った。
オレを思ってこその高級チョコなんだろう。そりゃ素人よりプロが作ったモンの方が断然美味い。でもオレは麻美の手作りの方を欲している。高級チョコよりも素人の作ったモンを欲しがるなんて酔狂な思考回路に至る理由は、ひとつしかない。
『麻美の手作りが欲しい』
………………言えるか。
俯きながら、息を吐く。数年かけて馬鹿にしてきた女の手作りチョコの方が高級チョコよりも価値があるモンに思えるとか面白過ぎんだろ。どの面さげて言えんだよ。
……まぁ美味いし、いっか。バイトもしていない麻美が二万も注ぎこんでくれたんだ。ありがたく受け取るのが筋だろう。
用事が予定よりもはやく終わったオレは、そんな風に思いながらイヌピーとドラケンの店に向かった。
するとそこには、ドラケンに楽しそうにチョコを渡している麻美がいた。
ロフトで売られているような透明の袋の中には、素人巻丸出しの菓子が入っている。
ドラケンには手作りをやっていた。
それだけの事実がオレの頭を熱く煮立たせた。
「はぁーーーーー……」
鉛をはらんだようなデカいため息をつきながらベッドに寝転んで今日の出来事を振り返る。何度振り返っても今日のことはオレに非があった。だから謝る必要がある訳だが……
『麻美がドラケンには手作りやってんのがムカついてキレた。ごめん』
……クソだっせぇ……。
他の奴がやってたら『ガキかよ』と鼻で笑い飛ばしている。だがやってるのはオレ自身な訳で鼻で笑ったらただオレに返ってくるだけ。自傷癖などない。はぁーーーにしてもマジでダセェ。何度か目のデカいため息の後、決意が胸の中に静かに宿った。
…………謝ることは謝る。でもキレた理由は伏せる。
今日のやらかしは、3月14日で挽回する。
決意を胸に、ケータイに手を伸ばした。
◆
ココから理不尽な怒りをぶつけられた後、私達は、
――特に喧嘩をしなかった。
ドラケン君とご飯を食べた後も怒りは消えず『意味わかんない意味わかんない意味わかんないぃいいぃ!!』とベッドでじたばた暴れているとココから電話がかかってきた。ココを詰ろうと憤然と電話に出たらなんと開口一番謝られた。衝撃のあまり怒りが鎮火する。なんと対面でも謝られた。でも、怒った理由は言ってくれなかった。『なんで? なんで? ねぇなーんーでーむぐっ』なんでとひたすら言い募っていたらキスで思考を溶かされ有耶無耶にされ――というのを何回か繰り返しているうちに、3月14日を迎えた。
ココはおかしかった。
「麻美今日のワンピ似合ってんじゃん。可愛い」
誰………………?
私から『今日の服どうー? 私可愛い? 可愛いよね? ね? ね???』と詰め寄って捨て鉢気味の『かわいーかわいー』を引き出したことはあるけど自発的に『可愛い』を言われたのは今日が初めてだ。『オマエ顔はいいもんな』と淡々と言われたことはあるけどあれは『今日天気いいな』と同じ類。事実を述べているだけで何の感情も籠っていない。
というわけで、私は戸惑いまくった。もはや恐怖心すら覚えていた。
「え……なに……頭打った……?」
ココの上がっている口角が一瞬ぴくりと痙攣したのは私の目の錯覚だろうか。
「打ってねぇよ。ほら、行こうぜ」
「いやなんかおかし、」
怪訝を露に言い募ったら、ココに恋人繋ぎで手を握られた。指が絡まり合うこの繋ぎ方は何回しても私を強く掻き乱し、胸の内を甘ったるい何かが炭酸水のようにしゅわしゅわと満たしていった。自分がココを好きすぎて嫌になる。
ココが……おかしい………………。
付き合いたての頃も普通に彼氏≠オてくれるココに戸惑った。けど今は普通に彼氏≠カゃない。優しい彼氏≠セ。今のココは私にとにかく優しかった。甘かった。普通に彼氏≠超えていた。多分ココ的に馬鹿な事を言っても小馬鹿にしない。どうせ馬鹿にされるだろうなと思いながらも『ココー、あーんして』とココのアイスをねだったらスプーンですくって食べさせてくれた。目を点にする私にココは『美味い?』と優しく微笑む。
………………ココが………………おかしい……………………。
お土産売り場でダイオウグソクムシのぬいぐるみと睨めっこしながら、今日の優しすぎるココについて振り返った。
まだ『今日のココはおかしい』と今ほど強い確信を持っていなかったデート序盤、暗がりの中、私達は水槽の中で優雅に泳いでいる魚の群れを眺めていた。
でも私の頭の中は全く優雅じゃない。煩悩を極めていた。
……今日こそは絶対やってやる……!
ココと私は経験値とか思いの差により私ばかり振り回されている。私に腕を絡まれても抱きつかれてもココは平然と澄まし顔なのがその証拠だ。
いつも私ばかり振り回されるのは癪すぎるので暗闇に乗じてキスのひとつをしてやろうと意気込んでいた。
バレンタインで痛感した。私ばかり振り回されている。
私だって振り回したい。
掻き乱したい。
私のことで頭をいっぱいにしてやりたい。
きょろきょろと辺りを見渡し、キスできるタイミングかどうか探る。よし子どもはいないな……。子どもに目ざとく見つけられたら『うわキスしてた!』『キース! キース!』と囃し立てられる可能性が高い。大人はまぁ良い。もし見られたとしてもしっとりと静かな暗がりでロマンチックなことをしたくなる気分をきっとわかってくれるだろう。というかわかれ。ぐっと拳を握って気合を入れる。
どくんどくんとうるさい心臓を感じながら、水槽のクラゲを眺めているココのシャツを引っ張った。
ココの意識が私に完璧に向かうその前に、目を閉じる。
一秒後、私とココの口はくっついてい――、
――て、
あれ?
目を開けると、私の視線の先で、ココが目をぱちくりと瞬かせていた。
ココと私の口はくっついていなかった。
私の口は届いていなかった。
届かなかった。
いつもより遠くにココの顔がある。あ、そうか、今日は下ろしたてのブーツを履いていた。私がいつも好んで履いている靴よりもヒールが低いからいつもより身長差が広がって、だからキスを失敗し、
あぁあああぁあああぁあああああぁあああああああ!!!!!
大声をあげながら水族館を走り回りたくなった。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 絶対馬鹿にされる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 死ぬ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜死なないけど!!! ココと結婚するまでいや結婚した後も生きるけど!!! でも、でも、あああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
常日頃から私を馬鹿にしているココのことだ。今日はなんか優しいけど流石にコレは馬鹿にするだろう。私自身も馬鹿だと思う。失敗って、失敗って失敗って失敗ってああああああもう無理無理無理無理死ぬ死ぬいや死なないけどでも死ぬ死――、
――ぬ?
恥ずかしさで瀕死状態になっていると不意に影が降ってきた。何かを思う暇もなく顎を持ち上げられて、一瞬くちびるを何かが掠めていった。
何度か感じたことのある感触を私は知っている。
いつもの如く体が火照って、胸がいっぱいになった。
『麻美、ここもういい?』
『……………………』
『おい、麻美。次行きてぇんだけど、いい?』
古いパソコンのような処理速度でこくりと頷くと、ココは『じゃ、行こうぜ』と私の手をゆるやかに引いて次のコーナーへと向かった。
私の馬鹿で恥ずかしすぎる行動を一回も馬鹿にしなかった。
…………しかも。
まだほのかに熱が残っているような気がして、くちびるを合わせた。
……………………頭を殴られた衝撃で殴られた事を忘れてるんじゃ…………。
ココに恨みを持っている人間は多い。容疑者は今の顔見知りにもいる。三ツ谷君と花垣君とツーブロとロン毛だ。私の誘いを断ったクリスマスに柴と乾と仲良く三人でだまし討ちをしたらしい。ツーブロとロン毛をだまし討ちにするのはいいとして三ツ谷君と花垣君はやめてほしかった。まぁでもココがだまし討ちしたいのならしょうがないよね……。うーん、容疑者はとりま四人か……。
ダイオウグソクムシを抱き潰しながら理路整然とした思考回路で推理していると、
「なに、それ欲しいのかよ?」
ココに横から覗き込まれて、心臓が跳ね上がった。考え事真っ只中のココは心臓に悪くすぐに反応できずにいると、ココは更に言葉を重ねてきた。
「……ダイオウグソクムシ……? へぇえ…………普段の趣味と全然ちげぇな……。買ってやろっか?」
…………また。
私と同い年(なんなら私より誕生月は遅いくせに)なのに既に私より遥かにお金を稼いでいるココはお金を遣う事に抵抗がなく、軽い調子ですぐこういうことを言う。デート相手が他の男だったら聞かれなくても買わせるし自分の財布なんて出さないけどココは唯一の例外だ。お金にものを言わせてほしくない。私はココとならサイゼの間違い探しを延々と続けられるし公園で喋ってるだけでもいい。いやこれは嘘いちゃつきたい。
というわけで、ココからしたら端金かもしれないけど軽はずみにお金を持ち出してくるココにイラッとした。険のある声が出る。
「べ、つにい――」
らない、と言う前に閃きが宿った。
今日は3月14日。ホワイトデー。
ココは今、私にお返しを返そうとしてるんじゃ……!?
「いっいる! いるいるいる! 私これ超欲しいー! やばーい足の数多すぎてかわいーーー!」
「………………わっかんねぇ…………」
ココは引き気味に笑いながら、私からぬいぐるみを取った。そしてレジに持って行った。
私のホワイトデーのお返しを買っている背中を見ていると、鼻の奥がつんと尖った。
クリスマスもプレゼントを貰った。あの時も嬉しくて鼻の奥がつんと尖った。けどホワイトデーのお返しはまるで今までの何かが報われたような気持ちもあった。
「ココ」
お会計を済ませたココに、両手を差し出す。私のダイオウグソクムシを渡してほしかった。
「いいよ、オレ持つ」
「ダメ! 私が持つ! 私のダイオウグソクムシだもん! 私から離れるの禁止! ダイオウグソクムシは誰にも渡さない!!」
「なんかイヌピーが松野から借りた漫画の男みたいなこと言ってんな……。そこまで言うならはいドーゾ」
不可解そうな顔のココからダイオウグソクムシのぬいぐるみを受け取って袋から出して、ぎゅっと抱く。ハイチュウでもキシリトールでもない、消えないプレゼントだった。ハイチュウもキシリトールもその時たまたま持ってたお菓子を渡されたけど今日のは違う。ココがホワイトデー用のプレゼントとして見繕ってくれたものだ。
腕の中のダイオウグソクムシをまじまじと見つめる。全然可愛くない。お父さんが買ってくれたミニーちゃんの特注のぬいぐるみの方が可愛い。というか私はもうぬいぐるみで喜ぶ歳じゃない。もしココ以外の男がデートでぬいぐるみを渡してきたら『は? 普通アクセか服かカバンでしょ?』と不機嫌になる。
でも、ココだから。
視界がじわりと滲んでいった。
胸の中が多幸感で溢れかえる。息が苦しくなった。
「……ありがとう」
ダイオウグソクムシを抱きしめながらお礼をつぶやく。少し涙声になっていた。ココは一拍間を置いてから「大袈裟」とからかうように言ってきた。いつものココに戻っていた。
ダイオウグソクムシがホワイトデーのプレゼントだと思っていたらなんとホテルの中にあるレストランで高いお肉まで奢ってくれた。他の男だったら『私とごはん食べれるんだから当然』としか思わないけど、相手はココだ。またお金に物を言わせようとしてるのかと疑っていたら「ホワイトデーのお返し」と言われた。
「え。ダイオウグソクムシじゃないの?」
「な訳ねぇだろ。オマエはオレを何だと思ってんだよ。んなので終わらせるような男じゃねえ」
ココはプライドが傷ついたようで若干苛立っていた。けどまたすぐ今日の笑顔に戻った。
昔はキシリトールとハイチュウだったのになぁ……。
お酒を呑んだような足取りで店から出る。お腹だけじゃなく胸もいっぱいだった。
『オマエと過ごすのは三十分が限度』
昔、ココは私に一瞥もくれずケータイを操作しながらそう言った。
今は一日中一緒にいてくれる。
「……ココ〜〜〜」
「ん」
嬉しくて心臓がむずむずしてココの腕に腕を絡めた。絡めたというか母親の背中にしがみつくコアラのようにココの腕にしがみついた。いつもならべりっと引き剥がされるけど今日のココは引き剥がさないでくれる。いつもと違って優しいココに激しく違和感を覚えるけどもうなんでもいいや。
ふかふかの絨毯の上を、ココにくっつきながら歩いていく。そろそろ帰る頃合いだ。
ココはエレベーターの前に立った。けど間違えて上に行くボタンを押している。
「ココ、間違えてる。下だよ」
下向きの三角ボタンを押そうとしたら手を掴まれて阻まれた。
「間違えてねぇよ」
ココはしれっと言いながら手の指を絡ませた。
――え。
目を最大限に見張らせて、ココを凝視する。ココは澄まし顔だった。
私が茫然としている間にエレベーターは上がる。止まる。私はココに誘導される。
ココがドアを開けた先には綺麗な部屋が広がっていた。昔家族旅行で泊まったホテルの部屋よりも豪華だった。夜景にシックな色調のベッドがよく似合って………………、
「麻美? 疲れた?」
「――へっ、あっ、いや、べ、つに」
「そ」
今までほとんどココに邪険に扱われていた私は気遣われるとしどろもどろになる。よくわからないまま部屋に入る。背後のドアの閉まる音がやけに耳に強く残った。
ココの家に上がり込む気満々だったから泊まるのは全然いいんだけど理由がわからない。クリスマスでも私の誕生日でもない。今日って何か………………………………………
…………………………………………ホワイト…………デー…………?
不意に小四のホワイトデーが記憶の底から浮かび上がる。はやく乾と帰りたがっているココを捕まえて『ねぇねぇ今日3月14日だよぉ、何の日でしょうか〜?』と問いかけた。
『これでいいだろ』
ココは鬱陶しそうに私を見ると、ポケットからハイチュウを取り出し真顔で渡してきた。そしてくるりと踵を返し去っていく。いそいそとした足取りだった。乾に『喜んでくれるかな……』と話しかけていた。
ココからハイチュウを貰った私はひとり残される。ココから初めてプレゼントされた喜びに胸がいっぱいになっていた。掌の中のハイチュウを両手で包んでしまいこむように胸元に寄せた。
周りからの煽てによりココも私のことが好きもしくは気になっているはずと思い込んでいた私は、ココが好きなのは赤音さん≠ニいう真実を目の当たりにしたことで、ココの私への対応がいかに素っ気なかったかを思い知った。付き合うようになった後も、私の気持ちにくらべればココの私への気持ちは遥かに劣る。だからホワイトデーのお返しは当然水族館デートととダイオウグソクムシとお肉で終わりだと踏んでいたら、
「何突っ立ってんだよ。座れば?」
ココは普通にベッドに腰を下ろしていた。私の五億分の一も緊張していない。なんかムカついたからどさっと乱暴に座りこんでやった。なんで慣れてるのか理由を薄々察せるのが腹立たしい。私なんか家族か友達と健全な理由で泊まったことしかないのに。ムカつくムカつくムカつくムカつく!
「麻美」
「な――」
なにとつっけんどんに言おうとした口が固まった。
ココが私を抱きしめようとしていた。
正しく言うと、抱きしめようとしているような体勢になっていた。
ココの手が私のうなじに回っていた。首を締められた時の殺意と獰猛さは全くない。うなじにココの指先が優しく触れるたび、熱が高まっていく。
「……ん、できた」
ココは私から距離を取ると小さく顎を引いた。
鎖骨の少し上辺りに、何かが触れている。
親指と人差し指でつまんでみる。
視界の中で宝石が上品に光った。
「似合ってんじゃん」
ココの穏やかな声に視線を向けると、声色と同じように穏やかに微笑んでいた。
『コーコ! 3月14日だね!』
『はいどーぞ。じゃ』
不意に、ココからキシリトール一粒を貰った過去が走馬灯のように脳みそを巡る。
そして思った。
ココがおかしい。
「ココ」
「ん?」
「思い出して」
「………………ん?」
「多分ココは誰かに殴られたんだよ。忘れてるだけ」
「……………………………………頭打ってねぇって」
ココの綺麗に釣り上げられた口角が引きつった。声に苛立ちが帯びる。……ということは人格は変わっていない。
つまり。
「何隠してんの?」
眼光を鋭く尖らせながら問いただすと、ココは少し経ってから不機嫌を露に「は?」と顔を歪めた。
「何か隠してんでしょ。言って」
「隠してねぇよ」
「ウソ!!! なんかある!! なんかあんでしょ!!! 今日のココおかしすぎる!!! 言え!!!!」
「どこがおかしいんだよ」
「優しすぎる!! 胡散臭い!! 絶ッ対なんかある!!!」
ココのこめかみに血管が浮かんだ。口元は笑みの形を保っていたけど歪んでいる。そうそうこれこれこれがココ!
「なに!? なにがあんの!?」
「だからねぇって」
「だから嘘言わないでよ!」
「ねぇっつってんだろ!!」
ココの怒声で空気がびりびりと震えた。元ヤンの怒声に一般市民を貫いてきた私はびくっと肩を震わせる。思わずたじろいだ私を見てココは我に返ったらしい。
「はぁーーー……」
大きなため息をついてから、くしゃりと前髪を掴む。
「マジ思い通りになんねぇ……ふざけんなよ……これ以上ダサい真似させんな…………」
低く唸るような声には苛立ちと後悔が籠もっている。ココは私をもう一度見るとぎょっとしてからばつが悪そうに目を泳がせ、それからもう一度焦点を合わせてきた。
「泣くなって」
「泣いてないし! 泣いたとしてもココのせいだし!」
「あーそーですねオレのせいですスミマセンデシタ」
感情と涙が直結している私はココに怒鳴られたことで涙腺が刺激され、下唇を噛むことで耐えていた。隠すために赤いであろう目を伏せていると頭が暖かい感触を拾う。ココが私の頭を撫でていた。ココの掌を感じるたびに、ささくれだった気持ちが穏やかに静まりかけていくのを感じて、気持ちを奮い立たせる。また急になんか怒られたんだ、そう簡単に許してたまるか! たしかにそう強く決意したのに。
「……ごめん」
あっという間に施される自分がココを好きすぎて嫌になる。
「痛い痛い痛い、ダイオウグソクムシ痛い」
とりあえず無言でダイオウグソクムシを凶器にココを殴る私にココは降参のポーズを取る。しょうがないのでやめてあげた。でも睨むのはやめない。
静寂が降り立つ。ややあってからココがぽつりと言葉を落とした。
「………………挽回してたんだよ。バレンタインの時の。バレンタインってかオマエがドラケンにチョコやってキレた時の」
ココらしからぬ歯切れの悪い口調で語られる今日の優しすぎて怖い行動理由から、一ヶ月前の出来事が蘇る。あの日、ココは急に怒り始めた。そして次の日から優しくなり始めた。
「そんな後悔するくらいなら怒らきゃいいじゃん」
「……ごもっともー。そうですその通りですねー。はいオレが全部悪いですー」
「勝手に話終わらせないでよ! いい加減怒った理由教えて!! ほんとに悪いと思ってんなら言って!!」
ココはうっと顔を引つらせる。けど私の涙目での強い眼差しを受けているうちに観念したらしく、息をついた。
ココは口がうまい。巧みな話術で話の論点をずらし煙に巻かれることも多い。……そうはさせるか! 逃げさせまいとじいいいっと凝視してやる。
ココは私の視線を真正面から受け止めるとややあってから、籠もった声で怒った理由を紡いでいった。
「………………オレも手作りがよかったんだよ」
そこにいつもの弁舌が立つココはいなかった。
「………………………………は?」
あっけなさすぎる理由に肩透かしを食らい思わず間抜けな声を上げると、ココはぎらっと睨んできた。元ヤンにガン飛ばされているのに、怖くなかった。
「そんなんで怒ってたの?」
「そう言ってんだろ」
「言えばいいじゃん」
「…………オレそんなん言うキャラじゃねえじゃん」
「結局今言ったじゃん」
「言うつもりなかったっつの。あーーーマジ何言わせてんだよマジクソ」
ココは俯きながらガシガシと頭を掻いている。
これ以上ダサい真似させんな。
ココのこの上なく嫌そうに呟きが頭の中で再生された。
胸の内をとろみのある暖かな液体が満ちていった。
「ココ、ココ」
ココの服の袖を引っ張って呼びかける。ココは不貞腐れたように「んだよ」と顔を上げた。目元にうっすらと赤みが差している。
目をきちんと合わせながら口を開いて、
「ダッサ〜〜!」
大きく囃し立ててやった。
ピシリと亀裂が入ったような音が轟いた。
「心狭〜〜てか理由も言わないで不貞腐れるとかガキじゃん! 超ダサ〜〜〜い! はは! あはは!」
お腹を抱えながら、大きく笑う。面白いのもあるけどそれ以上に嬉しかった。私はココの情けない姿を知ると嬉しくなる。他の男だったらダサいと蔑み切り捨てるであろうことも、ココなら可愛かった。愛おしかった。
だってココだから。
全部全部、ココだからだ。
相手がココなら、怒りも苛立ちも悲しみも、ココと過ごす日々の中に溶けていく。
「……………………あん時、タコが脱走してきたのかと思ったワ」
笑い続けているとココの揶揄るような声が鼓膜を撫でて、今度は私にぴしりと亀裂が入った。
笑いが途切れ、ココを見る。ココはいつもの小憎たらしい笑みを浮かべていた。
「よく見たらタコでもなくウサギでもなく、麻美だったケド」
何時間か前の恥ずかしすぎる行動を持ち出されているのだと真に理解した瞬間、体内で血液が沸騰した。
「今更持ち出してこないでよ!! もう終わったことじゃん!!」
「今更っつっても今日じゃん? 今思い出してもウケる。口尖らせて、」
「あああああああ!!! 馬鹿!!! 死……足の小指タンスにぶつけろ!!!!!」
「ちょ、オマ、いて……!」
「バカバカバカバカ!!! ああああああああああああああ!!」
「いてぇっつってんだろ!! ダイオウグソクムシでなぐっいてっいてえってやめろ馬鹿!!!」
(リクエスト|ホワイトデー)