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 脅さずに、ココとご飯食べれた。

「うっ」

 ココがお会計を済ましている間、お店の外で待ちながらその事実を反芻すると、信じ難過ぎて激しい眩暈・息切れ・動悸が私を襲い、思わずよろめいた。そ、そん、そんなことが、そんな、マ、そん、マジ、え、そんな………………! なんでオマエと飯食わなきゃなんねえの? 二年前は無関心を露にそう言われたのに、今日はココから誘われた……!
 
 ドンドコドンドコと太鼓をたたくような勢いで鼓動が高鳴っている。全力疾走したあとのように呼吸が苦しい。ガラス窓に手をつけながら呼吸を整えていると、ココが戻って来た。不審者でも見る目つきで私を見ている。

「どした篠田。怖ぇんだけど。なに」
「コ、ココ! あの! 私! スタバ行きたい!」
「は? 今食ったばっかじゃん」
「いいから! 行くの! フラペ飲みたい!!」
 
 少しでもこの時間を長引かせたくて強引に誘う。ココはどうせ映画観たしもう帰りたくてなんか煙に巻いてくるだろうけどそうは「ふーん。じゃ行くか」

 ???????????????????

 思考を平坦な声で断ち切られ、巨大はてなマークが頭に降りかかってきた。ポカンと呆けている間にココは「確かあっちにあったよな」と誘導するように視線を動かす。けどショートした思考回路はココの声を脳に運んでくれず、ココが何を言っているのか理解できなかった。口を半開きにしている私にココは「だから人の話聞けって」と眉を潜めている。



「食い物じゃんソレ」

 注文し終えたあと、ココはホイップクリームたっぷりのフラペチーノを見て、どこか呆れたように言った。甘党の私はホイップをいつも多めに注文する。通常より1.5倍近く増量されていた。
 お茶時ということもあり、スタバはほぼ満席だった。テーブル席は空いていなかったので大勢の人が腰をかける用のえんじ色のソファーに二人で並んで座る。距離が近くて、ドキドキする。声が上擦らないように「そう?」と言う。

「ホイップでかすぎだろ」
「だって甘い方が美味しいもん。私太んないし」

 生まれてこの方ダイエットしたことのない私が平然とそう言うと、周りの女が何人か私に尖った視線を寄越した。は? 威圧し返す。大きな目を眇めて睨み返すとそそくさと視線を返された。なら最初から喧嘩売んじゃねーよ。フンッと鼻を鳴らした。

 対人関係で苦労したことはない。幼稚園の時から可愛いと持て囃され、中心として祭り上げられた。同性からうっすらとやっかみを感じたことはあるけど、私といれば価値が上がる。クラスの中心に据えられる。華やかな場所に立てる。大抵の女子は私と友達になりたがった。
 だからか私の不興を買わないようにとおどおどしている根暗な子もいる。言いたい事があんならさっさと言えばいいのに。おどおどとへりくだる態度が無性に苛立ってつっけんどんに返すと、更に委縮された。意味わかんない。

「一口」

 ――へ。
 
 今度はスプーンでホイップを掬い取ろうとしたら、ココの手がフラペチーノを持つ私の手に重ねられた。フラペチーノを自分の方に傾けさせて、ストローを咥える。私がさっき咥えていたストローに、口をつけていた。ココの喉仏が上下に動いて、フラペチーノが流れて行ったのがわかった。

「あま」

 淡々と感想を述べ、ココはフラペチーノから手を離した。
 体から全ての力が抜けきっていた私は、その瞬間、フラペチーノを落とす。

 私の太ももの上をバウンドしてから、ベチャッ、と床に叩きつけられる。朦朧としていた意識がクリアになった。

「わっ、えっ、あ……っ」
「何やってんのオマエ……」

 ココは心底呆れかえった目で私を見ていた。げんなりしている表情に血の気が引く。

「だ、だってココが、急に、」
「回し飲みとか誰でも済んだろ。つーか今責任の押し付け合いしてる場合じゃねえから。あーすみません」

 ココは私を適当に流したあと、雑巾とタオルを持ってきた店員に謝る。タオルを受け取り、私に向けた。

「服。汚れてる」
「あっ、か、買ったばっかだったのに!」
「どんまい。あ、オレも汚れてる」
「えっ!!」

 ココの黒シャツに、フラペチーノのホイップが飛んでいた。更に血の気が引いて「ご、ごめん!」と裏返った声でカバンからハンカチを取り出す。だけどパニックになっている私はこすりつけるように拭いてしまい、更に染みが広がった。裏目に出てしまい、口をパクパクさせる。

「や、やだ、ちが、こんな……!」
「あー黒だしいいって」
「違うの! ちゃんと拭きたかったの!」
「だから、いいっつってんだろ」

 ココは声を少し大きく張る。明らかに苛立ちが籠っていた。

 心臓が大きく跳ね上がり、ぎゅうっと絞られるように苦しくなった。目の奥が熱くなって、喉の奥が湿っぽくなる。違うと言おうとして、だけどこれ以上言葉を重ねたら嫌われるような気がして、肩を縮こまらせながら俯いた。

 お腹の底で、消化不良を起こしたようにぐるぐると不安が渦巻いている。ココの顔が怖くて見れない。心臓が不穏に軋んで、息が苦しい。
 迷惑かけてごめんって言いたい。でも『いい』って言われた。もう何も喋るなという事なんだろうか。ちらっと気付かれないようにココを盗み見るとケータイを弄っていた。怒っているのか、それとも無関心なのか、その横顔からは察せられない。キャラメルフラペチーノが染みこんだワンピースは拭いたけれども薄茶色に染まっていた。
 その上に重なるように、ぽつぽつと、小雨のような水滴が落ちていく。薄茶色の染みが更に滲んだ。

「篠田それ飲み終わった――は?」

 ココが素っ頓狂な声を上げた。茫然としている。

「何泣いてんだよ」

 ココの問いかけに嗚咽が邪魔した答えられない。ひくひくと喉を震わせているとココのため息が聞こえ、ビクッと肩が跳ね上がった。ココが面倒くさそうに「気にすんなって」と言う。気にするなと言われても気になるんだからしょうがないじゃん。

「それ飲め。そんで落ち着け」

 飲む気は完璧に失せていたので、ココの方にフラペチーノをスライドさせる。ココは小さく息を吐いた。俯いているから見えないけど、ずずっと啜る音が聞こえるから飲んでいるのだろう。

 怒ってるのかな。

 ココが立ちあがったのが音と気配でわかった。またビクッと肩が震える。

「篠田、行くぞ」

 恐る恐る見上げると、ココは真顔で私を見下ろしていた。怒っていないようにも見えるし、怒っているようにも見える。どちらか掴み切れなくてまごついていると、ココはぼやいた。

「だる」

 心臓が凍ったのかと思った。身体の内側が冷え切って、唇の端から冷たい息を漏らす。

 ココは私の手を掴むと問答無用で引っ張り上げた。無言でスタバを出て行く。ココに手を掴まれていることに喜びを感じる以上に、恐怖感があった。いつまでも会話は始まらない。沈黙が怖くて、ココに声を掛けた。

「こ、ここ、」

 情けないほど掠れた声だった。ココは「なに」と横目で私を見る。ケータイをいじっていた。

「あの、その、えっと、あのね、その、えっと、あの、えっと、その、あの、」
「話す事固まってから言え」

 足場がなくなったみたいだった。深い穴に落ちていくような絶望感。喉をぐっと抑えられたように息苦しさを覚え、喘ぐように口を震わせた。

 言ったら、更にウザがられるような気もする。
 でも言わずにはいられなかった。

 ひどいこといっぱいした。たくさん言った。
 だけどそれでもずっと、心の底で願っていた。

 お願い。

「きらいにならないで」

 蚊の鳴くようなか細い声の必死な懇願から何秒か経ってから、ココは私を見た。眼球が涙に覆われているからどんな表情しているかよくわからないけど、なんか、唖然とされてるような気がする。

「きら、きらい、きらい、に、ならないで……っ」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらもう一度懇願すると、堰を切ったように、涙が溢れ出した。ぼろぼろと大きな粒が頬を転がり落ちていく。二時間かけた化粧がパアだ。「きらいにならないでぇ」と何回も言い募る。みっともないとわかっていてもやめられない。

 どうしてあの時ちゃんと受け取らなかったんだろう。どうしてココのせいとか言っちゃったんだろう。どうしてあの時スタバ行きたいとか言っちゃったんだろう。

 今更の後悔に押し潰される。時間を戻せるものなら戻したい。強く願った時だった。

「オマエこーゆーとこで買ってんだろ」

 ココの冷静な声が何を言わんとしているのかわからず、顔を上げる。気付いたら私がよく買うブランドの前にいた。

 頭上にはてなマークを浮かべて首を傾げる私の手を引いて、ココは店の中に入っていく。いらっしゃいませー! と店員の軽やかな声が上がった。

「ほら。好きなん選べ」
「え……?」
「それで歩くのヤだろ。買ってやる」
「え、あ、え」
「あーじゃあとりあえずコレとコレとコレ着てみろ。すみませーん。コイツ試着させてやってください」
「かしこまりましたー! ちょっと試着室見てきますね!」

 店員は上機嫌に試着室に確認しにいく。その背中をなんとなしに見ていると、ココは言った。

「嫌いになってねぇよ」

 日常の中にあっという間に埋没してしまう、何の変哲もない声だった。だから私は反応に遅れる。「え」と反応できた時には「お待たせしましたー! こちらへどうぞ!とにこやかな営業スマイルを浮かべた店員にあれよあれよと試着室に追い込まれていた。カーテンを閉められて、鏡の中のポカンと呆け面の私と向かい合う形になった。マスカラが取れて、頬にくっついている。ワンピは太ももの辺りが茶色く汚れていた。みっともない出で立ちだった。

 ココが適当に手渡してきた服を見下ろす。着てみろ、って確か言ってた。なら、じゃあ……。

 今着ているワンピをのろのろ脱いでいくと、カーテンの向こう側からココと店員の声が聞こえた。近くにココいるんだと思うと着替える手が一瞬止まる。って、見えない見えない見えない! ぶんぶんと大きく首を振って雑念を払い落としてから、再び着替え始める。

「今日買い物デートなんです?」
「や、映画です。買い物する気なかったんですけど、あいつドジッてフラペ落としたんですよ」
「えー! 大変! でも彼女さん超可愛いから着せ甲斐ありますね!」

 ココは平坦な声で言う。

「ですね」

 物心ついた時から既に容姿を褒められてきた。幼稚園の先生に『麻美ちゃんってもう出来上がってるね』としみじみと呟かれたこともある。女同士が傷の舐め合いのようにお互いをたたえ合う『可愛い』じゃなく、本物の『可愛い』をいつも手に入れてきた。だから『可愛い』なんて聞き飽きている。

 空は青い。それと同じ。
 それと同じ。同じ。

 おな、じ?

 皆が格好いいと騒いでいたバスケ部のナントカ君に『前から篠田の事可愛いって思ってて』と告られた時、心は全く波立たなかった。んな事当たり前だっつーのとしか思わなかった。

 同じだけど、同じじゃない。

 「ヤダ惚気〜!」とはしゃぐ店員の声をBGMに、茹蛸みたいになっている自分と向かい合った。

 


 満月が真上に昇った空の下、ココが買ってくれた服を着て、ココと歩いていく。結局夜まで一緒にいた。ココは私を送ろうとしていた。昔は無理矢理命令したのに今では自ら進んでやっている。足が地面から一センチ浮いているみたいにふわふわした。

「……ありが、とう」
「いーよ。別に。つーか、」

 ココは物珍しそうに言った。

「オマエ、礼とか言えんだな」
「はぁ!? 普通に言ってるから!」
「そうだっけ? あんま記憶にねえんだけど」

 べえっと舌を出されて挑発される。ムカついたけど、でも、今までのココでどこかホッとした。今日のココはいつものココじゃなかった。言動は確かにココなんだけど、でも、少し甘いというか、なんというか……。

『付き合ってんだから』

 この前会った時から、ココは私達が付き合っている事を何回も言う。

 付き合うって。付き合うって。付き合うって。私が思い描く付き合う≠ニココが言う付き合う≠ェ一致しているのかわからず、狼狽える。

「……ココ」
「なに」
「私達、ほんとに付き合ってんの?」

 ココは「またそれかよ」と鬱陶しそうに眉を寄せた。

「だって! だってココ、今まで私が告ろうとしたら遮ってきたし、逃げてたじゃん!」
「そうだっけ」
「何しらばっくれてんの!! そうやっていつもいつも……!」

 いつも私ばかりココに弄ばれている。今日だってココはずっと落ち着いていた。ずっと一定のテンションだった。私はたくさん醜態を晒したというのに。

 いつもいつも、私ばかり、ココが好きだ。

「いつも私の事馬鹿にしてんじゃん! オレの言う付き合うはちょっとそこまで付き合うとかそういう意味でしたーって舌出してきそ――」

 右肩に手を回されて、包み込むように引き寄せられた。
 次に顎を掴まれる。顔を上に向かされた。

 白く光っている満月がココで覆い隠されると、柔らかい何かが、私のくちびるを塞いだ。

「はい。付き合ってる」

 満月が見えるようになった。
 ココも見えるようになった。

 ココは頭の芯まで真っ白に染まった私を無感動に見下ろしながら淡々と言うと、べえっと舌を出した。

 なにか、とてつもなく大きな何かが、私の心臓を攫った。

「いま、なに、した?」

 何かされた気がする。なんか、なんかすごいことされた気がする。なんかすごい言葉も言われた気がする。何も考えられない。意味が分からない。だから私は尋ねる。
 
「キスした」

 心臓が深く沈んで跳ね上がる。小刻みに震えている指で唇に触れると、まだ、ココのぬくもりが残っている気がした。
 混乱と戸惑いが頭の中をぐるぐる巡る。
 でも、それ以上に。嬉しい≠ェ大きく膨れ上がっていた。
 
「なん、で?」

 けどどうしてか聞かないと。なんとなくとか気分だったからとかそういうものかもしれない。キスなら前もしたことがある。

 声を絞り出して尋ねると、ココは平坦に答えた。

「付き合ってるから」
 






「おかえりー」
「おかえり」
 
 ココに家まで送ってもらった。手洗いとしたくないうがいを済ませリビングに入った私をソファーに座った両親が出迎える。お母さんは小顔ローラーしながらテレビに視線を向け、お父さんは心配そうに私を見ていた。
 
「麻美ちゃん遅かったね。お父さん迎えに行ったのに」

 お父さんは私に甘い。美人の妻によく似た私が可愛くて可愛くて仕方ないらしい。男という生き物はココ以外私に甘い。(※イヌピーをナチュラルに数に入れない麻美)(男と見なしていない)

「お父さん。お母さん。話があるの」
「ん? 何かな?」
「なにー?」

 お父さんはニコニコしながら、お母さんは依然として小顔ローラーしながら相槌を打った。

「私、結婚するから」

 時間を止められたかのように、二人が硬直した。

「彼、まだ17だから。4月1日生まれなの」

 あと1日生まれてくるのが遅かったら、私と同学年じゃなかった。なんという奇跡。なんという運命。きっと赤い糸で結ばれている。
 小学生の時、私はココも私を好き≠ニいう根拠のない妄想に取り憑かれていた。だからココが私に向ける眼差しに甘いものがなくても気付かなかった。
 その時と同じようにハイ≠フ境地に至っていた。でも今回は根拠のない妄想じゃない。だって、何回も確認した。

 頬が熱い。身体中に生気が漲っている。この世のすべての幸福が今私の掌にある。お花畑の中にいるみたい。多幸感に胸がしめつけられて苦しいのに、でも、それ以上にただただ嬉しい。手足の隅々までとろけるような幸福感がお湯のように私を満たしていた。

 涙ぐみながら、唖然としている両親に言う。

「だから……! 今までありがとう!!!」

 コングラチュレーション!
 頭の中でハッピーサマーウエディングが爆音で流れていた。








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