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 初めてセックスした時の感想は、こんなもんか≠セ。

 粘膜の触れ合いや体温が混ざり合う感覚は快感だったが、赤音さんの寝顔にキスしようとした時のような高鳴りも切なさもなかった。
 セックスとは三大欲求のひとつを満たす行為で、飯を食ったり寝たりすんのと同じ。別に神聖なことじゃない。精子を出して性欲を満たしガキを作るだけと理解する。

「ココ君ばいばい」
「ん、またね」
 
 結構タイプの女を駅まで送り、さっきまで背中に回されていた白くて小さな掌に向かって手を振る。タイプなだけあって可愛い。花に例えると桜とか菫とか、そういう感じ。華美よりもしとやかといった印象を与える。ヤったくらいで彼女面しないし、頭も悪くないし、体の相性もよかった。

『チューは好きな人と……だよ』

 条件クリアしてるんだから、別にそれでいい。思い出を奥底に封じ込めて、踵を返す。さっき食ってヤって最低限の睡眠取って三大欲求は全部満たされた。事実を胸の内で並べて、何の不都合もないことを確認した。






『ふざけんじゃねーーーーーー!!!』

 と、ぶんなぐられてから二ヶ月経った。
 篠田は依然として、全く信じてくれない。

「クリスマスはイルミネーション見にいくからね! 嫌って行っても行くから!」

 オレんちに上がり込んだ篠田は、腰に手を当てながら宣言した。「拒否権なし!」とサーモンピンクの爪で指をさしてくる。
 
「行ってねぇじゃん」
「あ〜そうやってかい…かい…えっとゴジラ的な……」
「懐柔」
「そう! 懐柔しようとしても無駄だから! もう騙されないから!」

 付き合っているものの、篠田はオレの気持ちを全く信じてくれない。馬鹿にするのをやめ、誠意ある行動をするように心掛けているのにも関わらずだ。
 
 夜景が見たい連れて行けと騒ぎまくる篠田と夜景を見に行った時。夜遅くまで働いている人間の集合体から作られた光の群れに篠田ははしゃぎ、ケータイの内カメを使って写真を撮りまくり始めた。オレも入れて撮りたがる。女って隙あらば自撮りしたがんの何。

『私これ待受けにするからココも待受けにして!』
『ヤダ』
『はぁ〜〜〜!? なんでよーーー!!』
『馬鹿っぽいから。つーか馬鹿の行動だから』
『馬鹿じゃないし!! 待受けにしてってば!! ねぇねぇねぇーーー!!!』

 玩具売り場で駄々をこねているガキのように『ココとおそろの待受けがいい!!』とせがんきた。あまりにもうるさく断り続ける方が面倒かつ、こういう優しい″s動を積み重ねていけば、いつかは篠田もオレの心境の変化を信じるようになるだろう……という算段のもと、折れることにした。

『やったぁ! ココとおそろ!』

 すると、篠田は光に彩られた瞳を細めながら、頬を緩めて笑った。

 なんとなく、キスしたくなった。恋愛脳な篠田は場に酔いやすい。今ならいけんだろと思い、顔を寄せて、ゆっくりくちびるを重ねた。

 すると。

『またこういうことを………!!!』
 
 篠田はポカン……と呆けてから、怒髪天を衝くが如くの形相になった。

『また私の純情な乙女心を!!! 隙あらば弄ぶ!!!』

 キーーッとキレる篠田に頭痛を覚えた。額に手を宛がいながら『違うっつーの……』とため息混じりに弁明しようとしたら、ビシィッと指を突き付けられた。

『すぐ有耶無耶にしようとする!! 私はねぇ! もうそんなんでほどこされないから!! 騙されないから!!』

 篠田はキレていた。けど目こそ釣り上がっているが、潤んだ瞳はゆらゆらと揺れている。そこから放たれる熱い眼差しの種類は今までと何ら変わらない。
 
 嫌がってないくせに、喜んでいるくせに、キスされるのを突っぱねるようになったその理由はただひとつ、オレの気持ちを信じていないから。
 
 付き合いたての頃、篠田はオレと両思いということに浮かれに浮かれていたが、オレがイヌピー達に『別に好きじゃねぇけど付き合ってる』と言っているのを聞いてから、信じてくれなくなった。どれだけオレなりに誠実に接しても信じない。きっと、オレがちゃんと気持ちを言葉にするまで信じない。だから言わないといけないのはわかってるんだけども。

『この地球上の誰よりも愛してる! 麻美がいないと生きていけない!! って言えーーーー!!!』

 ……………………あ〜〜〜〜〜〜〜〜。

 言えるか。言えるか言えるか言えるか言えるか。規模がデケェんだよ。棒読みとか馬鹿にしながらならまだいいけどマジで言うとなると……あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。ふざけんなよこの女……恨めし気に篠田に視線を走らせると、篠田はケータイをカチカチ操作しながら「どこがいいかな……」と呟いていた。口ぶりからしてイルミネーションスポットを探しているのだろう。

「オマエ勉強いいの。受験生じゃん」

 ツッコミ入れると、篠田は一時停止した。視線を明後日の方向に泳がせる。コイツ……。

「しろよ」
「し、してるし!」
「昨日どんくらいやった」
「………………に、さんじゅっぷん」

 ため息を吐きたい気持ちを必死に堪えた。ホントは二十分ってところを三十分に盛りやがったな…………。

 今までの素行を振り返れば仕方ないが、オレの篠田の家族からの心証は最悪だった。オレと篠田が付き合っているのは篠田の姉貴しか知らない。とりあえず見過ごされているが『ウチの妹に二度と近づくな』と鋭い目つきで言い渡されたこともある。どれだけ金を持ってても、違法行為で稼いだものでは社会的信用を得られない。地道にコツコツと積み重ねなければならないものだ。その為にはまず、篠田を大学に合格させる。オレと付き合って不合格とか言語道断だ。

「だってわかんないしぃ……」

 篠田は両手の人差し指を突き合わせながら唇を尖らせて言い訳にもなってない言い訳をもごもご呟いている。わかんねぇからで放置していたらオマエ更に馬鹿になんぞと言いたいのを堪えながら、辛抱強く言い聞かせた。

「一緒にやろうぜ。わかんねぇとこ教えるから」

 篠田はぱちくりと瞬いくと頬をぽっと染めた。けどハッと我に返ったように瞬きをした後、ギラッと睨んで来た。表情の変化激し過ぎんだろ。

「騙されないからね!!」
「騙してねぇって。オレも高認取ったら大学受けるから」
「……へ」 
 
 篠田の志望校ははっきり言ってあまり偏差値高くない。センターまで時間ないが詰め込み方式で滑り込ませてやる。

「篠田と違うトコだけど、一緒に大学生なろ」

 篠田は数秒黙った後、背景に花を咲かせた。デカい目に星のような輝きが宿り、少女漫画みたいな事になっている。……かと思えば急に首をぶんぶん振り、胸に手を宛てながら深呼吸し始めた。そして挑むように、オレを睨み据える。

「今から誓約書作る! そこにサインして!!」

 篠田は啖呵を切るようにそう言うと、スケジュール帳を一枚破りローテーブルの上に滑らせた。……ンなことしなくても守るっつーの……。依然として篠田からの信頼を勝ち取れない虚しさと苛立ちを胸に、必死に誓約書を書いている篠田の横顔を眺める。

「僕九井一は篠田麻美様に優しく勉強を教え、反社会的行動を二度とせず、真面目に大学生になることを誓います……。よし、できた! ほらココ! サインを、」

 あ、と篠田から間の抜けた声が落ちたのと同時に、篠田が振り返った瞬間、肘がテーブルに置いていた篠田のケータイに当たった。その衝撃でミニーマウスのストラップから、ミニーの頭部だけが取れる。ミニーの頭部はぽんぽんと弾み、テレビ台の隙間に吸い込まれるように入り込んだ。

「え、ちょっ、ヤダ! 最悪!」

 篠田は慌ててテレビ台に駆け寄り、隙間を覗き込むと「もーやだー! オキニなのにー!!」と悲痛な声を上げた。コイツってマジいちいちうっせぇな……。最悪と言っているがテレビ台なら動かせばすぐに取れる。掃除したばかりだから埃もない。大げさに現状を把握する篠田に呆れながらテレビ台どかせてやろうと腰を上げかけて、固まった。

「っと、もうちょい……!」

 篠田はオレに背を、というか尻を向けてる状態だった。四つん這いになりながら尻を突きあげて、腕をテレビ台の下に滑り込ませている。ミニのタイトスカートは体のラインを拾うもので、形がよくわかった。

「もうちょっと、奥、あっ、もう……!」

 途切れ途切れに落とされた声は掠れていた。

 むくむくと今まで抑えていた感情が膨れ上がるのを感じた。赤音さんには決して抱かなかった、というか篠田以外には誰にも思わない感情が、胸の内でじわりとほとびていく。

「篠田」
「なに、あ、もうちょっとだったのに……!」
「パンツ見えてる」

 篠田は弾かれたように飛び上がった。慌てて尻を抑えながら体を正面に向ける。酸素を求める魚のように口をパクパクさせている顔は、茹蛸みたいに真っ赤だった。羞恥のあまり潤んだ目が、湿度の高い昂揚感を引き出していく。

「ウッソー」

 せせら笑うように事実を告げてべえっと舌を出すと、篠田はポカンと呆けてから重力に逆らうように目を吊り上げた。表情の変化が顕著過ぎて笑うとそれが更に篠田の怒りを煽ったらしく「ふざけんじゃねーーー!!!」と怒号が噴出した。

「おい服掴むなって伸びんだろ」
「うるさいうるさいうるさい!! またそうやって!! マジ!! ホント!!」
「篠田語彙なさ過ぎ」
「うるさいうるさいうるさい!!!」

 篠田はオレの胸倉を掴みながらぶち切れていた。火山が噴火するようにキレている篠田はただただ面白い。篠田以外の人間にはキレた顔見たいとか思わない。不思議だ。

「百回、ううん、千回、百億回殴る!!」
「がんばれー」
 
 なんでこんな無意味に煽りたくなるんだろう。
 
 篠田から、ブチブチブチィッと何かが千切れる音が聞こえてきた。怒りで歯を食いしばっている篠田が手を振り上げたので、手首を掴んで押し止める。「離せーーー!」とじたばた暴れる姿はいつも通り滑稽だ。

「離せっつってんでしょ!!」
「離したら殴んじゃん」
「殴ろうとしてんの!!」
「はい絶対離さねぇー」
「ちょっ! 両方とかずる!! 卑怯!!!」

 ぎゃあぎゃあ喚いている篠田のバカさ具合を堪能していると、ふわりと甘い匂いが鼻腔をかすめてはたと気付く。
 距離が近い。

「はい、おしまい」

 篠田の両方の手首をぱっと解放してやり、少し篠田から距離を取った。
 心臓が少しだけざわついている。篠田の手首を掴んでいた掌を握ると、妙に熱かった。

 ……あーー何やってんだ。溜息をつきたい衝動を堪えながら悶々と懊悩と自戒をする。何ガキみてぇなことやってんだよ。今の行動はガキの頃よりもガキだった。

「……ココ?」

 篠田といると知能レベルが下がる。マジ嫌。

「……ちょっと」

 篠田はオレを信じていない。
 キスしても単なる遊びや暇潰しとしてしか受け取ろうとしない。『そーゆーのでもう有耶無耶にされないから!』とキレてくる。でもそのくせ自分からは触ってくる。意味わかんねぇ。つーか遊びでも暇潰しでも、

「ココ!!!」

 視界いっぱいに、眉を釣り上げた篠田が広がっていた。猛々しい視線に射抜かれる。

「無視すんな!! ちゃんと私のこと見てよ!!」

 ふわりと甘い匂いが強まる。
 フレグランスと篠田自身が混じり合った匂いだった。

 ぶちりと自分の中の何かが、音を立てて切れた。

 篠田の後頭部に手を回した。柔らかい髪の毛の感触が心地よい。きょとりと瞬いているデカい目を覗き込むと、無表情のオレが見えた。けどすぐ見えなくなる。近すぎて見えない。
 キスをすると、強い狼狽が伝わってきた。

「ちょっと、そーゆー、の……っ」

 抗議の声を上げた際に開かれた口の中に舌をねじ込むと篠田は「っ」とびくりと肩を震わせた。狭い口内で小さな舌が逃げる。簡単に捕まえられた。

「ん、んぁ、……っ、だか、ら、んっ」

 肩を押してくる手が邪魔だった。手首を掴んで、床に縫い付けるように固定する。その時雪崩込むように篠田に覆いかぶさった。

「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ」
 
 悩ましげに眉を寄せながら荒い呼吸を繰り返している表情に、神経が昂る。もっと追い詰めたくなる。もっと困らせたくなる。他の誰にも抱かない感情は歯止めがかからなかった。コントロールできない。

「はぁっ、んっ、ちょ……っ」
  
 まだ呼吸を整えている篠田にキスする。酸素を求めてか身をよじって抵抗する篠田の顔をがっしりとホールドして下顎から上顎まで丹念に舐めた。舌を絡ませる度に、篠田は胸焼けするような甘ったるい声を零していく。

「ココ、やっ、ぁ……っ」
 
 だが、篠田は今までのように全てを委ねてこない。篠田の顔を固定してるオレの手に手を重ねて、逃れようとしていた。犯してやると宣言したり自分からキスしてきたり、オレからキスしたらまごつきながらも下手糞に舌を絡ませようとしてきた篠田らしからぬ行動は不可解で、同時に苛立ちが強く込み上げる。

「っやだ!!」

 ニットの中に手を強引に滑り込ませて胸までたくしあげたら、篠田は大声を上げてオレの肩を強く押した。反動で距離ができると、篠田は瞬時にニットを下ろし、真っ赤な顔で息を切らしながら、体をねじった。
 篠田から積極的に求めらたことはあれど拒否られるのは初めての経験で巨大な空白がオレを呑み込み、
 
 ――は?

 胸の中で不愉快≠ェ赤黒くこげついた。

「へーえ? どうしたんだよ、あんなにヤりてぇヤりてぇっつってたくせに」

 篠田の顔がカァッと赤くなった。「あれは……っ」と弁解を始めようとするが、篠田がヤりたがったのは事実だ。鼻血出したから切り上げたら続きをせがんできた。なのに今は抵抗する。意味わかんねぇ。
 この二ヶ月、オレはずっと誠実≠ネ行動を取ってきた。
 篠田が死ぬほど馬鹿みたいな言動しても馬鹿にしなかった。何の落ちもないクソつまんねぇメールも全て返信した。『ココにおやすみって言ってもらわないと眠れなぁい』と頭に花が咲いてんのかっていう馬鹿を極めた要望にも応えてやった。読書中に『構ってよー!』と邪魔されても邪険にせず根気よく話に付き合った。
 けど、全然信じてくれない。
 ふざけんな、マジ。
 腹の奥底で黒い炎のような苛立ちがぐねりと渦巻いた。

「襲えっつったのオマエじゃん。あーあ、応えてやったのに。クッソ萎えた」

 篠田に覆いかぶさるのをやめて嘲るように言うと、篠田は目を大きく見張らせた。戦慄くようにくちびるを震わせてから、強く噛む。見る見るうちに目の淵に涙が溜まっていった。篠田が泣くのは日常茶飯事だ。感情が涙と直結しているタイプで、感情が波立ったらすぐに泣く。すぐにキレてすぐに泣く。面倒くせぇ。マジ本来のタイプから逆走している。

「だってっ」

 上半身を起こした篠田は俯きながら、ヒステリックな声を上げる。相変わらず甲高くて耳障り。
 
「はいはいだってだって。だってココが悪いんだもんって?」

 お得意の責任転嫁を先回りして言葉にすると、篠田は真っ赤に充血した目でギラッと睨み付けてきた。眉間に皺が寄るほどぎゅうっと目を瞑りながら、篠田は叫ぶ。

「だってそうじゃん! ココは私の事好きじゃないんだから!!」

 ――は。

「そんなんでしたくない!! セフレじゃん!!
 性欲処理は、もう嫌なの!!!」

 篠田は声の限りといった勢いで叫び切ると、立ち上がりどこかに走っていった。乱暴なドアの開閉音が鳴る。ガチャッと鍵が閉められる音も続いた。トイレに閉じこもったであろう篠田を、茫然とただ見送った。

 そうだ。篠田は信じていない。オレの気持ちを、信じていない。
 わかっていたはずなのにわかっていなかったことをじわじわと実感していった。

 今もただ自分の片思いでしかないと思い込んでいる上で手を出され、尚且つ、オレは昔こう言った。結局は途中で終わったセックスの際に『なんでこういうことするのか』という質問に、平然と答えた。

『性欲処理』
『眠いから寝る。腹が減ったから食う。それと同じ。三大欲求ってわかる?』

 ………………………………………………あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 頭を抱えながら、声にならない声で悶絶した。




 



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