知らない君がそこにいる



「よう。久しぶり」

 スーパーで出くわした同小のヨッシー(吉野)に手を上げると、ヨッシーは目を丸くしてから、震える指で自分を指した。「オレ……?」と信じがたい事のように声を上擦らせるヨッシーに「おう」と頷く。ヨッシーは一拍の間を置いてから、ぶわぁっと涙を溢れさせた。

「え。キモ」
「キモいとか言うなよ! だって、だってイヌピーずっとオレの事無視してきたじゃん!」

 涙ながらに訴えるヨッシーの言い分は身に覚えのあるもので「悪い」と素直に謝る事にした。半年前までのオレは黒龍再建以外の事を塵芥のように捉え、親や昔からのダチの心配をウゼェと跳ねのけていた。バイクの整備士になりたいから専門学校に通う金を貸してほしいと頼んだ時、ヨッシーのように一拍遅れてから大号泣を始めた親を見た時は居たたまれなさで体中がムズムズした。

「イヌピーマジで更生したんだな……! えぐっ、よか、よかった……! なんか気づいたら少年院ぶち込まれてるし……!」
「テメェ鼻水やべぇぞ」

 今も堅気に戻ったオレを喜ぶヨッシーが照れくさくて、元々の無愛想さに輪を掛けるようにぶっきらぼうな態度しか取れない。しかしヨッシーは特に気に障らないらしく「そうだイヌピー!」と声を弾ませた。

「今度合コンやるんだけどさ、オマエも来ない!? 更生ついでに彼女作ろうぜ!」

 …………合コン
 聞きなれない単語に首を捻り脳内辞書を引っ張り出し、意味を確認した。確かテメェの女を作るための合戦場だったような……。その事をそのままヨッシーに再確認の意味を籠めて尋ねると「まあそうだな!」と強く頷かれた。

「好きな子出来たら、人生もっと楽しくなると思うし!」

 無邪気に放たれた好きな子≠フ言葉は、水の中に手を突っ込んだ時に舞い上がる土埃のように、ある記憶を思い起こさせた。
 ふわぁっと欠伸をかましているオレの前で、ココが赤音に向かって荷物を持つと手を差し出している光景が脳裏に蘇る。ココは赤音を前にするといつもの皮肉めいた表情を引込め、頬をほんのりと赤らめていた。コイツ赤音に惚れてんだな、色恋沙汰に疎いオレでもわかるほど、明らかだった。

 オレの人生が黒龍への憧れで構成されていたように、ココの人生は赤音で出来上がっている。赤音の為に犯罪に手を染め、赤音が死んだ尚も弟のオレから赤音の要素を見出し赤音の残り滓に縋りついていた。『忘れたね』と素知らぬ顔で舌を出したアイツはどんな顔をしていたっけ。
 家族もダチも世間体も全部かなぐり捨てて、ココが一生を捧げたこと――誰かを好きになるってこと。
 恋愛感情で誰かを想うことがオレはちっともわからない。金を通して赤音への執着を続けるココは宇宙人のように理解不能でどこか白けた気持ちで眺めていたのも事実だ。
 ココが本当に助けたかった人間を差し置いて存在しているにも拘わらず、理解してやれなかった。

 助けてくれたのに。
 赤音じゃないと告げた時のココの顔は今もまだ網膜に焼き付いている。間違えたことに気付いた、茫然自失とした顔。
 
 誰かを好きになったら、オレもココの気持ちを理解できるだろうか。
 アイツと同じように苦悩すれば間違えて助けられた事の、罪滅ぼしになるのだろうか。

 






 なんと今日は乾君と二回目のデートだ。

 乾君もつまらなさそうにしていた事だし私はもう切られただろう……と高を括っていたら、二回目のお誘いをいただいてしまった。もちろん私に選択肢はない。『じゃあまた映画館な』とぶっきらぼうに告げる乾君に『また映画!?』とツッコミが出かかったところで、電話が途切れた。あと一秒切られるのが遅かったら私は全力で突っ込んでいた事だろう。

「おい」

 ぶっきらぼうな声が降りかかると、反射的に肩が跳ね上がった。最近、何回か聞いた声。恐る恐る見上げた先には、相変わらず不愛想な乾君が私を見下ろしていた。 

 待ち合わせ場所から五分遅れて乾君はやって来た。夜は涼しいけど、昼はまだまだ暑い。フライパンの上のような暑さを誇る中歩いてきた乾君の額にはじっとりと汗が滲んでいた。

「クソあちぃ」

 とぼやきながらTシャツの襟で煽いでいる乾君は、表情も服装も前回となんら変わりなかった。まるで前回のデートをなぞったようにそっくりそのまま。ということは……。嫌な予感が汗と一緒に噴き出し、頭皮に滲む。前回の乾君の所業が走馬灯さながらに脳裏を駆け巡った。この兄ちゃん、また同じことやるんじゃ、と確信めいた懸念が広がる。

「あ、あの、乾君」
「あ?」

 口角をなんとか持ち上げて呼び掛けると、乾君は胡乱げに私を見た。鋭い視線に体がすくむが、勇気を奮い立たせて声を絞り出す。

「今日はさ、一緒に映画見ようよ! 二人で見に来たんだし! 乾君が見たいやつでいいからさ」

 乾君はやばい奴だ。一緒にいるだけでしんどい。けど映画館で彼氏と待ち合わせするだけしてあとは別行動というのはあまりにも虚しい。炎天下の中、わざわざ映画館まで出向いた甲斐がない。二回目のデートの誘いを受けた後、この無常感に溢れたデートを今後も暫く続けていくのかとなると途方もない虚無感に襲われた私はなんとか穏便に別れる方法を画策すべく必死に脳をフル回転させた。メンヘラな面倒くさい女を演じるか、いやでも不快感をもたれたら別れる前にぶん殴られるかもしれない。考えても考えても穏便≠ノ別れる方法が思いつかず絶望していると、ふ、と意識が浮上するように、ひとつの答えが奥底から浮かび上がった。

 何もしなくても、どうせ私と乾君は別れる。

 天啓にも似たそのひらめきはあっという間に馴染み、私を深く納得させた。

 そもそも十代の恋愛など長くて数年が限度だ。相手が乾君じゃなかったとしても変わりない。現に今まで二人彼氏が出来たけど、どちらとも一年少しで別れた。本当に好きだったし別れた時は悲しかったけど、一か月経てば思い出≠ノ昇華された。

 私にとって恋愛は人生を彩るスパイスのようなもの。片思いも両想いも日々の生活に刺激を与えるためのちょっとした要素。暇つぶしに漫画読んだりゲームしたり、それと同じだ。

 どうせ別れる。その答えを得た瞬間に憑き物が落ちたように肩から力が抜け、気が楽になった。そうだった。今までだってそうだった。なら、今回も同じだ。永遠にこの地獄が続く訳じゃない。心に一筋の光が差し込んで、私にゴールまでの道筋を示してくれる。

 いつか別れるその時まで、適当にノリを合わせて、騙し騙しに乾君と付き合っていけばいい。その考えを胸に私は乾君と向き合っている。つまりいつもみたいに過ごせばいいのだ。

 乾君は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ、ぱちぱちと瞬きした。きょとんとした面持ちで「いいのか?」と首を捻る。

「オレが観たい映画、オマエの好きなクソつまんなさそうなやつと全然違うぞ」

 だからそういうこと言うんじゃな〜〜い! と突っ込みたい気持ちを必死に押さえつけながら「オッケーオッケー!」と胸を叩くと、乾君は妙なものを見るような目つきで私を訝しがった。不審がる目つきが怖いけどいつも通り≠心の中で唱えてにこにこ笑い続ける。乾君はしばらくの間じっと私を見据えていたけど、やがて「わかった」と頷き、踵を返した。前回同様にスタスタとチケット売り場に向かう乾君に慌てて着いて行く。相変わらず一歩一歩が大きくて閉口した。




「よかったねー。マイケルがキャサリン庇って渦潮に巻き込まれるトコ泣きそうになった」
「キャサリンって誰だ」
「ヒロインだよ!? ずっと出てたじゃん!」

 また吉野家に直行された挙句放置されたら敵わないので、私は乾君をファミレスに誘導した。カルボナーラをフォークに巻き付けながら感動シーンを熱っぽく語った一秒後に台無しにされる。思わず強い調子で突っ込んでしまい「やば」と口を覆うが、乾君は存外気にしていないようだった。「ああ、あの金髪巻き毛か」とほうほう頷いている。「ほんとに観てた……?」と聞いたら「あ? 観てんに決まってんだろ」と凄まれた。じゃあなんでずっと出ずっぱりのヒロインの名前覚えてないねんとのツッコミは恐怖で喉の奥に押し流される。「ま、まあそういうこともあるよね」と笑ってから私は新たな話題を捻りだした。

「乾君ってああいう映画よく観んの?」
「別に。映画自体あんま観ねぇ。一番マシそうだったから選んだ」
「へえぇー……」

 じゃあなんで二回も映画館指定してきたんだろと内心不思議に思いつつも触れない事にした。もし理由が喋らないでいい時間を設ける為のものだったら居たたまれないからだ。だから代わりに「乾君って何が好きなの?」と広がりやすい話題を投げかける。

 すごく簡単な質問。私ならすぐに返せる。カラオケとかプリクラとか買い物とか。だけど乾君はきょとりと瞬かせると、首を捻って考え込み始めた。

「そ、そんな難しく考えなくていいから。ほら、夢中になったものとか」
「…………夢中になったもの……」

 あまり深く考えずに出した適当な言葉を、乾君は真剣な調子でオウム返しした。いやだからそんな難しく考えなくていいんだって……! この兄ちゃん本当に人の話聞かないな……! 会話が思うようにポンポン進まないもどかしさを奥底に隠しながら乾君の返答を待つ。

「……黒龍」

 乾君はぽつりと呟いた。懐かしむような、それでいて少し寂しそうな声色で。

「人生で一番懸けてきたことは、黒龍だな」

 手元のカレーライスに視線を落としながらそう答えた乾君の瞳はゆらゆらと揺蕩っていた。伏し目がちの瞳は憂いに沈み、口調は重い。それは乾君を支える大切なものなのだろう。私が語る好き≠謔閧烽クっと胸に迫る響きを湛えていた。

「……乾君」

 それに思いを馳せているであろう乾君はどこか儚げで声を掛けるのが躊躇われた。だけど聞かずにはいられなかった。

「………………ぶらっくどらごんって何…………?」

 全くわからないからだ。なにぶらっくどらごん。ブルーアイズドラゴンの親戚?

 そう尋ねた時の乾君はいつものスンッとした仏頂面に戻っていて「真一郎君が作った伝説のチームだ」と答えてくれた。って誰やねんシンイチロー君!




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