届くな届くな絶対届くな


 私は可愛い。自他共に認める美少女だ。傲ってはいない。事実だ。街を歩けばナンパはもちろん芸能事務所からスカウトを受けることもしばしば。女子からは羨望とやっかみの眼差し、男子からは下心を含んだ眼差しを受ける。なにもしなくても“上位”に位置付けられちやほやされ見た目が整っていることは基本的に殆どの出来事をプラスにするものなんだけど。

「ねぇ、いいじゃん。どっか行こうよ」

 時々、マイナスに作用する。

 歩きながらメールを打っていた私は下卑た視線を察することができず、気付いたら柄の悪い男の二人組に囲まれていた。ああもう、しくじった。舌打ちしたい衝動を抑えながら「門限あるから」と愛想笑いを浮かべる。“普通”の男だったら強気で当たれるけど明らかに不良の出で立ちの男達に強く出て反感を買おうものなら何をされるか。

 夜の繁華街は人通りが多い。道行く人間皆、私が不良に囲まれて困惑していることに気付いているであろうに素通りしていく。

「門限? お嬢なんだねー」
「そんなんじゃないけど……。とにかくごめんなさい、私、帰らなきゃだから」

 ペコッと頭を下げて(内心舌を出しながら)、奴等の隙間を通り抜けようとしたら、腕を捕まれた。

「ちょっとだけだからさぁ」

 男はコート越しの二の腕の感触を楽しむように掴みながら、私の耳元に息を吹き掛けるように囁いた。生暖かい吐息が耳朶に触れるとぞわぁっと肌が粟立ち、連なるように怒りが達した。

 しつけぇんだよ! 鏡見てから出直せタコ!

 とぶちギレそうになった私の耳に「お嬢?」と驚きと呆れの入り交じった声がするりと入り込んだ。
 小学生の時に比べたら大分低くなった。だけどずっと聞いてきたから、すぐにわかる。

「オマエら目ェついてんの?」

 揶揄るような色を帯びた、九井の声。

 後ろを振り仰ぐと九井が立っていた。一般人なら袖を通すことのないような、真っ白な特攻服が暗闇の中で浮かび上がっている。
 恐れをなしたように「九井……!」と口角をひきつらせ若干仰け反る不良達に、九井は「違う違う」と顔の前で手を振った。敵意がないことを示すような、そんな振る舞いだった。

「オレはオマエらのこと助けにきたんだよ。そこの女、超絶最悪だから。手ぇ出さない方が身のため」
「……はぁ!?」

 散々な言いようにカチンと来て「なによその言いぐさ!」と声を荒げると「ほら、見てみこの凶悪面」と私を指差しながらせせら笑う。こめかみにピキピキと血管が浮かび上がっていくのを感じた。

 聞いているのか聞いていないのかよくわからない表情の九井に「ふざけんな私のこの顔のどこが凶悪面よ! ていうかあんたの方が凶悪面だっつーの!」とぎゃんぎゃんまくし立てても、九井は全く意に介さない。それどころかふわぁと欠伸をかます始末。こ、こ、こいつ……!更に怒りが募り更なる罵声を浴びせかけようとすると、九井は「行ったぜ」と顎をしゃくる。

「は!? 何がよ!」
「オマエをナンパしてたおそろしく趣味の悪いやつら」

 あ。
 そういえばそんなやつらいたなと数分前までわたしに群がっていた不良達の存在を思い出し、奴等が立っていた場所に視線を向けるとそこにはぽっかりと空間が空いていた。

「オマエの性格の悪さにビビったんだろうなぁ」

 いちいち私の神経を逆撫でしないと気が済まない病気にでもかかっているのだろうか、こいつは。皮肉で口許を緩めている九井をギラッと睨み付けると、九井の全身が視界にくっきりと映り、今更ながらに強く意識した。

 九井ってほんとに暴走族なんだ。
 
 私にしつこくまとわりついていた不良達も九井のことを認知していた。九井が現れた途端に及び腰になり、目に怯えを宿らせていた。明らかに九井にビビっていた。

 私じゃなくて、あんたにビビってんじゃん。
 小学生の時からの知り合いが不良に恐れられるような存在に成り果てたことになんとも言えない気分になる。ココとイヌピー。好きになるならどっちか。女子の間で憧れだった二人は今、いつ少年院に投げ込まれてもおかしくない。胸の中に空虚な塊が流れ込んだ。

「それ」と九井の服を指差す。

「あんたのチームの特攻服?」
「オレのじゃねえけど。まあ、そんなもん」
「ふーん。ねえ」

 つまらなさそうに相槌を打ってから、私は後ろで手を組んで下から九井の顔を覗き込んだ。

「送ってよ。ボディガードして」

 可愛く見上げたつもりだけどやっぱり九井には通用しないらしい。顔を赤らめることも目を泳がせることもなく平然と私の視線を受け止めている。

「しなかったらイヌピーに写メ見せるってか?」

 九井は薄く笑う。酷薄とした冷たい微笑み。“赤音さん”に頬を赤らめながらプロポーズしていた人物と同一人物とは思えない。

 親指と人差し指でつねられたような痛みが、心臓に走る。
 
「当たり前じゃん」

 何回も感じたことのある痛みに今さら特筆すべきことなど何もない。腕を組んでふんぞり返りながら「返事は?」とくいっと顎をしゃくると、九井はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。




 九井と一緒に帰るのは初めてだった。小学校は同じだけど家は真逆の方向にあったし、九井はいつも乾と帰っていた。乾とばかりなのは仲が良いからというのが一番の理由だろうけど、多分、“赤音さん”の存在も関与しているのだろう。乾と一緒にいれば、彼女に会うのに理由はいらない。

 キリキリと胸の奥が締め付けられる。“赤音さん”を頭の隅に無理矢理寄せると、私は九井に問いかけた。

「九井のチーム名ってなんだっけ、黒龍だっけ」
「いや、違う。今は東卍」
「え、名前変えたの?」
「ちげーよ。負けたから吸収されたんだよ」
「負けたの? 喧嘩で?」
「他何で勝負すんだよ」

 隣の九井をちらりと見上げて様子を窺う。特に怪我を負っている訳ではないようで、ほっと胸を撫で下ろしてから「ざまぁ」と囃し立ててやった。黙殺されるけど不快な気分にはならない。

 さっき、助けてくれたんだよね。
 間に割り込んできた九井を思い出すと、胸の奥がきゅうっと疼いた。 
 
 九井は不良に囲まれている私にわざわざ声を掛けてきた。あの時素知らぬ顔で無視することもできたはずなのに、それをしなかった。
 26日の時だって、乾に凄まれて怯んでいる私に助け船を出してくれた。

 ……もしかして、私のこと。
 蜜のように甘ったるい感情がとろりと流れ込み、私は隣を歩く九井にこっそりと視線を滑らせる。少し歩くスピードを遅めてから「あ」と声を漏らし、躓いた振りをしてみせる。
 そして、九井の腕にしがみついて、むぎゅうっと胸を押し付けた。

 ど、どうよ……!
 九井の体温を直に感じると心臓がバクバクと騒ぎ始めた。頬の内側が熱くてむず痒い。ごくりと唾を飲み込んで九井の反応を待つ。すぐに降ってきた。

「離せ」

 まるで冷や水を浴びせかけるように。

 九井は私の腕を振り払うと、何事もなかったようにすたすた歩き始めた。

 虚脱感がもたされた後、私の心の真ん中に穴が開いて、
 火が灯る。灼熱の炎が巻きあがる。それは開いた穴を塞がんばかりに激しく燃え盛り、体の内部を螺旋状に駆けのぼった。

 体中の骨が捻じれそうなほどの悔しさに打ち震えながら「九井ってさぁ」と甲高く尖った声を出した。

「いつまで乾と一緒にいんの? まだキスとかしてんのぉ?」

 悪意をふんだんに籠めた質問を突き付ける。だけど九井は動揺することなく「いつまでだと思う?」とぬけぬけと質問を返してきた。私を見下ろす瞳は余裕に溢れ、声色には侮蔑が滲んでいる。

 ムカつく。
 ムカつくムカつくムカつく……!
 んだよこのクソホモ!

 砕かんばかりに奥歯を噛み締め、灼熱の怒りを籠めながら九井を睨み上げた。なんでどうしてコイツ私の思い通りになんないの。脅しているのは私なのに。主導権を握っているのは私のはずなのに、私ばっかり感情をかき乱されている。いつも上から目線の白けた態度で飄々と受け流されている事に怒りが増幅し、私の声は更にヒステリックに尖る。

「キッモ! 乾こんなんに纏わりつかれて可哀想!」

「そうだな」

 あっさりと肯定した言葉が肯定だったことに、私は一拍遅れてから気付く。まさか同調されるとは思わず言葉を失い呆然と立ちすくんだ。自分の周りの空間全てが真っ白に染まったような、そんな錯覚を覚える。
 九井がひたと私に焦点を合わせた。細く鋭い瞳から放たれる強い圧をはらんだ視線を真っ向から浴びると、思わずビクッと肩が震えた。たじろいでいる私をじっくりと舐めまわすように観察してから、九井は鼻を鳴らす。

「オマエもいい加減こんなん≠ノ構うのやめれば?」
「……そんなん、私の勝手でしょ」
「未来の無い社不を強請り続けて、何になる?」

 九井は淡々と自分自身を卑下する言葉を紡いでいった。そこには何の感情も宿っていない。

「虚しいだけじゃね?」

 口角を歪めるように吊り上げて、九井は笑った。

 ムカつく。

 さっきとはまた違うムカつきが体の中を駆け巡った。さっきは沸騰するような苛立ちだったけど、今は違う。どうしようもないやる瀬なさからのムカつきだった。
 喪失感のようなものがすきま風のように差し込んで心臓を揺らしているが、私は背骨に一本の芯を通すようにしてピンと背筋を張り、揺れを強制的に鎮めた。心臓を胸の中心に据え置きながら、九井を真っ直ぐに見据える。

「虚しくない」

 強く言い切ると、挑むように睨みを効かせた。社不ごときが勝手に決めつけんな。拳を握りしめながら、一言一言を明確に声にしていく。

「私はこれからも九井を強請る。大学行っても結婚しても子供ができても強請る。死ぬ間際までこき使い続けてやるから」

 一旦言葉を区切り、息を吸い込む。瞬きを繰り返しながら私を見据え続けている瞳を真っ直ぐに見返してから、声高に宣言してやった。

「ずっと強請るから。あんたがどうなろうと、私はこれからも変わらない。ずっとこのままだから」

 胸の中に在る言葉をひとつひとつ重ねるように紡いでいく。黙って聞いていた九井は目を伏せてからため息を吐いた。そして「最悪」と舌をうげぇっと出す。

「永遠にその性格とか、終わってんなオマエ」
「九井に言われたくないし」

 九井はクッと喉の奥で笑うと反論せずに話を収束させた。反論されたらムカつくけどされないとそれはそれで肩透かしを食らい、胸の中を虚しさが漂った。

 ……結婚しても、か。
 さっきの自分の言葉を反芻しながら、知らない男と結婚している自分を想像しようと想像力を巡らせる。結婚するということはソイツと恋愛するって事だ。お見合いとかもあるけどある程度の好意がないと結婚は成立しないだろう。

 私は可愛い。何回も告白されてきた。九井に首を絞められた後、ムシャクシャした私は丁度その時告ってきたバスケ部のエースと付き合う事にした。けど、三日で別れを告げた。無理だった。手を触られた瞬間に言いようのない生理的嫌悪が足元から這い上がった。

 高1になれば処女卒する女子も増えてきた。彼氏とのセックス事情をはにかみながらうっとりと語る友達を見る度に、私より格下の女に後れを取っているようで焦燥感が募る。彼氏を作らなくてはいけないという義務感はずっと在る。告白してくる男子の中から適当な存在を選び取ればいいと、何回も言い聞かせている。何回も誰かと付き合おうと思った。

 だけど、どうしても駄目だった。特別なトラウマなんて持っていない。男子が嫌いな訳じゃない。
 だけど、どうしても、どう足掻いても。

「おい」
「え……わっ!」

 ぐいっと腕を掴まれ引き寄せられると、九井の匂いがふわりと鼻孔をくすぐった。距離が縮まり、九井の胸元が目と鼻の先まで迫る。

 頭の芯まで真っ白に染まった。

 次の瞬間、私が立っていた場所を自転車が通り抜けていく。九井は「あぶねー」と平坦な声を継ぐとパッと私から手を離し、前を向き直してスタスタと歩いて行った。呆然とする私を置いて、九井も時間もただ、前へ前へと進んでいく。

 どくんどくんと心臓が強く波打っていた。触れられた箇所が熱を帯び、体中に広げていく。冬の冷たい風がコートの隙間から忍び寄り私の体温を奪っているはずなのに、右肩上がりに急上昇していく。
 心臓が痛い。
 強い収縮を際限なく繰り返しているものだから、すごく、痛い。

 この世で一番嫌いなのに。ムカついているのに。憎くて憎くて仕方ないはずなのに。それなのに。 

 悔しさからなのかなんなのか。正体不明の感情がせり上がるのと同時に、乾いた瞳の下に涙の膜が盛り上がった。粒となる前に奥歯を噛んで耐え忍ぶ。少し先を歩いている龍の刺繍が施された白い特攻服を呪うように睨みつけてから、絶対に聞こえない音量で五つの文字を呟いた。









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