消えない傷痕残してあげる



 12月24日にファミレスで一緒にご飯を食べろと命令を下したら『無理』
 じゃあ25日! と変更したら『用事ある』
 じゃあじゃあ26日! と必死の形相でキスの写メを見せながら言い募ったら『へいへい』。

 脅し続けて一年経つけど九井は脅されているとは思えないほどの舐めた態度を取り続けた。嫌な事は嫌だとはっきりのたまい『バラすよ!?』と脅しても『ばらせば』といけしゃあしゃあと返す。九井の中の判断基準によるバラされるよりマシ≠ネ提案ではないと九井は乗って来ない。
 キスの写メを撮った時九井はようやく私のものになったと有頂天になった。けど、実際は全然違った。私に平然と楯突き毒を吐き憎たらしく平然と笑う。九井は私の奴隷なはずなのに、全然奴隷らしくない。

 だからクリスマスにご飯を食べる命令もなんなくと26日に変更させるし、あまつさえ。
 あまつさえ。
 あまつさえ。

 ファミレス前で九井を待ち構えていた私は九井の隣に人が立っている事を確認し唖然とする。開いた口が塞がらない。驚きはやがて失望に変わり、怒りを引き連れてきた。拳を震わせながら「なんで……!」と声を荒げる。

「なんっで、乾も連れてくんのよ!!!」

 ピシャァーン! 落雷の如く、私の怒りがファミレスの入り口前で落とされた。

「だってイヌピーと飯食いてぇし」

 九井は私の怒りに動揺することなく平然と受け流す。九井の隣に立つことが当然とでも言いたげな表情の乾も私の怒りに何も思わないようで「さみぃ」と肩を縮こまらせていた。

「私は九井に命令したの! 乾は関係ないでしょ!」

 正論を吠えたてる私に九井はやれやれと肩を竦ませてから一歩踏み出し、私との距離を縮めた。暴走族に入った事で妙な貫録を身に着けた上、私より遥かに上背のある九井が目の前に立つと圧を感じ、若干心が竦んだ。その隙を突くように九井は腰を屈め、私の耳元に顔を寄せる。

「30分で帰られるかイヌピー有りで1時間以上かどっちがいい?」

 からかうような声色が吐息と共に触れると、屈辱感が燃え上がった。あからさまに私の足元を見た、舐め腐った態度。許せないと怒気が募るはずなのに言いようのない“何か”が体中を駆け巡り、私の怒りを妨げる。醗酵寸前の胸やけするような甘ったるくもどかしい、“何か”。

「……寒い!」

 問いかけには答えず、踵を返した。背後で乾が九井に「ココあいつに何言ったんだよ」と問いかける声が聞こえる。九井はせせら笑うように喉の奥を鳴らした後「篠田もイヌピーと飯食いてぇって」と言った。乾の「え……」嫌そうな呟きが続く。

 ああもう! マジでクソ!!
 男子から好かれることは多々あれど嫌がられることなんてないのに。良いようにすることはあっても良いようにされることなんてないのに。
 
 ムカつきを抱えたまま自動ドアを潜り抜けると生暖かい空気が冷えきった体を包み込む。「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えた店員にヤケクソになりながら告げた。

「三人で!!」




 席に案内されると、当然のように九井と乾が同じソファーに座った。ピリッと苛立ちが沸く。消去法で二人の前に座るしかない私はドカッと荒々しく腰を下ろした。仲良しでよろしいですこと、なんせキスする仲だもんねぇ? 

 ……私だって、九井と。

 ぶすっとしながらコートを脱ぐと視線を感じた。その先を辿っていくと何故か乾が私をガン見している。じいーっと不躾に視線を注ぎ込まれ不快感が沸き上がった後、視線の意図に気が付いた。ああ、そう。コイツも男って事ね。

「何」

 つっけんどんに問いかけながらも、悦に入っていた。そう、そんなにみとれちゃう?

 私は可愛い。渋谷を歩けばナンパは勿論芸能事務所にスカウトされることもある。その可愛い私が昨日お姉の一万円の化粧水とパックを使い(無断)、お母さんの美顔器を当てたのだから。エビちゃん風にくるくるふわふわに巻いた髪の毛を下ろし、うっすらとメイクを施しオフショルの真っ白なニットを着た今日の私は“可愛い”を最高に練り上げた。

 ふふんと鼻を高くしていると普段着そのもののスエット姿の乾は真顔で言った。

「オマエの格好見てるだけでさみぃ」

 乾の言葉に理解が追いつかず一拍置いてから私は「ハァ!?」と声を荒げた。見栄えの良さを最高級に仕立て上げた私に言う言葉が可愛いでも綺麗でもよく似合っているでもなく『オマエの格好見てるだけでさみぃ』……! 頭沸いてんじゃねーのコイツ! ピキピキと血管が浮き上がり、頭皮が蠢いたのを感じた。すると、私の怒りを煽るように九井が「ブッ」と噴き出した。

「イヌピーはっきり言いすぎ。確かに気合入れ過ぎで痛いけど」

 カッと目の奥が燃えるように熱くなった。
 コイツ……! 焼けた塊のような怒りが突き上げて、体が痙攣するようにわなわなと震える。屈辱感のあまり全身の骨が捩れそう。昨日の夜の私の行動を全て見透かし嘲笑うような九井の目つきが、ただ、憎い。
 仕度に何時間かけただろう。今日だって朝起きた時からそわそわして丁寧に丁寧にメイクしてマニキュア塗って。ああでもないこうでもないと全身鏡の前に立ちながら服を選んで。
 私の労力すべてを無駄だと鼻で笑われたような気がした。目の奥が熱くなって、鼻の奥がつんと尖る。
 ああ、そう。アンタがそういう態度取るならこっちだって……! カバンを引っ掴んでケータイを取り出そうとした時だった。

「つかオマエ、さっきココに『命令した』つったよな」

 問いかけるというよりは確かめるような口調だった。いつも眠たげな瞳は今は妙に据わっている。野犬のように荒んだ目つきにひたと焦点を合わされると、背筋に冷たいものがつうっと滑り落ちた。忘れていた訳じゃない。だけど深く実感することは初めてだった。

「ココに喧嘩売ってんならオレが買うぞ」

 乾って、少年院に入ってたんだ。
 低く威嚇するような声が、鋭い牙のように私に食い込む。喉の奥がヒュッと鳴り、一気に干上がった。
 怯みたくない。乾如きに怖がりたくない。だけど実際問題私は竦み上がり恐怖で声は喉に貼りつき喘ぐように口を開く事しかできない。怯むな、こんな奴、どうってことない、こんな、ろくでもない社不なんか……!

「篠田には借りがあんだよ、イヌピー」

 緊迫した雰囲気に割り込むように、九井の飄々とした声がするりと入り込んだ。

「借り?」

 訝しがるように眉を寄せオウム返しする乾に、九井は「そ」と頷く。

「オレらの周りをうろついてたサツ、無類のJK好きっつーから篠田に引っ掛けてもらったんだよ。コイツ顔はそこそこだし。礼は金じゃなくて人力っつーから時々付き合ってやってる。そんだけ」

 九井が一瞬で並べ立てた嘘を乾は頭から信じたようだった。獰猛な光を引っ込めて「なんだ」と無感動に呟いた後、また茫洋とした瞳に戻る。テーブルの上に広げたメニューに視線を落としている乾は私の事などもう頭にないようだった。
 乾の荒々しい視線から解放され、固く強張っていた肩が一気に弛緩した。すうっと酸素が喉を通るのを感じ、そこでようやく私は自分が息を止めていた事に気付く。目と鼻の先に、暴力≠ェあった。九井の返答次第では乾は私を殴っていただろう。

 ……なんで。
 九井が私を助けるような言動を問った意図が掴めず、困惑が胸の中に差し込んだ。私に纏わりつかれて迷惑だと眉を潜めれば、隔てたテーブルも問わずに乾は私に殴りかかっただろう。
 私に脅されても怒る事も怯える事もしない。嫌な事は嫌だと首を振り『それならバラされた方がマシ』と平気でのたまう。けど、バラされることを良しともしない。

 肘を付きながらメニューを眺めている九井の意図を探るべくじいっと見つめ続けていると、九井の薄い唇が動いた。

「見過ぎ」

 視線はメニューに固定されていたから、その淡々とした声が誰に向けられているのか気付くのに一瞬の時間を要した。理解した瞬間にボンッと顔が沸騰する。 

「ち、違うし! その、九井の顔が、その……っ」

 目を左右に泳がせながらうまい言い訳を並べようと頭の中で言葉を模索する。だけど、ぐちゃぐちゃに絡まり合った思考回路では何も導き出せなかった。「違うから!」と馬鹿の一つ覚えみたいに声を荒げる私に、九井は目もくれずに「へいへい」と適当に受け流す。余裕綽々な態度が憎たらしく、テーブルの上で丸めた拳を血管が浮き出るほど強く握りしめた。

 悔しい。憎い。
 全然私の思い通りに動かない。思考を解読させてくれない。
 心を私に預けることをしない。

 ブスブスと苛立ちを燻らせながら下唇を丸めてきゅっと噛む。九井は「イヌピー何にする?」と聞いていた。九井はいつもそうだ。私の心を無茶苦茶にしておきながら、言うだけ言って放置。ずるい、ずるいずるいずるい! 地団太を踏んで胸倉を掴んでふざけんなとまくし立てたい。
 だけどそれじゃ駄目だ。そんなんじゃ、コイツの澄まし顔を引き剥がせない。

「九井」

 呼ぶと、九井は面倒くさそうに目を眇めて私を見た。私を見ている。小学生の時も中学生の時も私が一方的に見つめるばかりだったのに、今は視線を交わすことが出来ている。昂揚感がお腹の底から沸き上がる。果てしない欲望が嵐のように巻き起こった。
 
 九井を傷つけて困らせたい。
 
 私はいつも九井を見てた。
 小学生の時も、中学生の時も、ずっとずっと。
 私は九井のことを何でも知っている。
 
 だから私は痛恨の一撃を放てる。

「アンタ小学生の時、襟立ててた時期あったよね」

 …………と沈黙が流れた後、固まる九井の隣で乾が頷いた。「そういやそうだったな」と同調の声を上げて曇りなき眼を九井に向けた。

「あれ何だったんだ? なんでわざわざ襟立ててたんだ?」
「イヌピー、ちょ、その目やめろって」
「私も気になる〜! 教えてよ〜!」

 きゃぴきゃぴしながら答えをねだると、九井はぎらっと私を睨み付けた。頬は赤らみ眉毛はつり上がっている。余裕の消えた九井の表情に私は満悦し唇を緩めた。そうそう、それ。私がほしかったのは、そういう顔。
 澄まし顔を取っ払った向こう側にある表情は、怒っているけど、澄まし顔よりは、“赤音さん”にプロポーズした時の顔に、少しだけ近い。

「ねぇもしかしてかっこいいとか思ってたの? やだウケる〜!」
「死ね」
「無〜理〜! 生きる〜!」
「それ流行ってたな。つーかそれよりもココ。なんで襟を」







 



- ナノ -