オマエら全員皆死ね


 乾の家が火事に遭ってから、二度目の春が巡った。
 私は中学生になると更に胸が膨らみ、脚がすらりと伸び、電車やバスに乗ると異性からの『おっ』と明らかに私を気にしている視線を受けることが増えた。

 同じ学校の男子も他校の男子も私の連絡先を知りたがり、友達に『〇〇が麻美のメアド知りたいんだって。教えてもいい?』と聞かれた事は両手じゃ収まらない。もちろん答えは全員NO。
 
 九井以外の男子は全員ジャガイモに見える。ジャガイモとメールして何が楽しい?
 それに、私には重大なミッションが課せられている。ジャガイモと遊んでいる暇はない。

 私は、ココを救わなきゃいけないんだから。
 


「麻美ちゃんって、ココの事……まだ好き?」

 辺りを窺うように潜められた声が何を言っているのかよくわからず、「え?」と聞き返した。
 空って青いっけ? それくらい当たり前のことを聞かれたような気がする。

「いやぁ、その……ココのこと、まだ好きなのかなって」

 気まずそうに視線を泳がしながらボソボソと籠った声で問いかけられる。煮え切らない態度と当たり前すぎる質問に苛立ちながらも答えてあげた。

「うん。好きだよ」

 ……心の中ではしょっちゅう『ココが好き!』と騒いでいるけど、いざ言葉にすると無性に照れる。口の中がムズムズした。そして自分がいかにココの事を好きなのか実感する。胸がキュンキュンと鳴いていた。ココが好き。ココの事が大好き。捻くれた言動、冷めた目つき、さらさらの黒い髪の毛。ココを構成するすべてが私の全て。ココのことを想うといつもこうだ。甘ったるい痺れが心臓を中心に広がっていく。
 私って恋する乙女なんだなぁ。そう思う時が、生きてて一番楽しい。嬉しくてくすぐったい気分に浸れる。

 当然な質問を今更すんなよ、と苛立った気持ちが瞬く間に霧散していく。さっき苛ついた事をなかったことにしてあげようとにっこり笑いかけた。
 
「へぇー……そうなんだ……」

 けど友達Aは痛々しいものを見るような眼差しで私を見ている。流石に生意気すぎてピキッとこめかみに血管が宿るのを感じた。『あんたその短気なトコ何とかしなさい』とお母さんに何回か怒られたけど、そんなの知らない。私の気分を逆なでる奴等が悪い。

「なに。なんか言いたいことあるなら言えば」

 不快を露に剣呑な声で言うと、友達Aの顔から血の気が引いた。私の不興を買うことは、女子の枠組みから外される可能性を高めるということ。何をした訳でもないけど、私は入学した時から女子の頂点に立っていた。
 女子達は全員私に媚びへつらう。だって私に嫌われたら、学校で生きていけないから。

「あ、え、えっと、その、ココってあんま学校来ないしさ。その、なんか、小学校の時に比べて怖くなったし、悪い奴と関わるようになったらしいし。や、でも流石麻美ちゃんだね、すっごい一途じゃん。私も見習わなきゃな……!」

 あははと取り繕った笑い声を必死に上げることで殺伐とした空気を和らげようとしている友達Aが途中で放った言葉に引っ掛かりを覚え、眉間に皺を寄せる。

 ……悪い奴?

 ココは確かに学校にあまり来なくなった。だから私はココに毎日のように提出物を届けている。今も友達Aと別れたら図書館に向かうつもりだ。ココはいつからか図書館にばかり籠るようになった。難しい本をたくさん読んでいるココは大人で格好良い。きっと中学の勉強じゃ物足りないのだろう。「隣に座ってもいい?」と聞いたら「オレのモンじゃねえし好きにすれば」とすげなく答えられたので、私はココの隣で宿題するようになった。わからない問題があったので聞いたら無視された。ひどいしムカつくけど、他の男子と違って私にデレデレしないトコももうもう大好き。

 ココが怖く見えるのは、ココがまだ乾のお姉さん――赤音さんを引きずっているからだろう。赤音さんが意識不明になってから、ココの目はずっと暗く淀んでいる。ココは馬鹿な男子と違って一途なのだ。悲しいしムカつくけどこればかりはしょうがない。でも、もうすぐだ。もうすぐ気づくはず。辛い時ずっと傍にいてくれたのは誰だったか考えた時に真っ先に思い浮かぶのは、絶対に私だ。
 ほら、私はココのことをよくわかっている。だから怖いなんて一度も思った事ない、のだけれど。

「悪い奴ってなに?」

 そんなの初耳だ。訝しがるように問いかけると、友達Aの目がきらりと輝いた。「あのね」と神妙そうにしながらも、唇がむずむずと震えている。私の知らない情報を私に売って恩を稼ぎたいのか、それとも知り合いが落ちていく様を噂するのが楽しいのか、どっちもなのか。とにかく友達Aは好奇心≠心配≠ナコーティングした上擦った声で、ココの噂を私に告げた。


 ココ、暴走族とつるんでるんだって。
 なんかお金? すっごい集めてるらしいよ。



「何だよ」

 乾の新居に出向いた私は、乾を問答無用で公園に連れ出した。乾は不機嫌を露に私に向かい合った。乾の家は以前のように綺麗な一戸建てではなく、安っぽいアパートとなっていた。三人で暮らすのはしんどいだろう、だけどそんなことどうでもいい。

「ココ、暴走族とつるんで何してんの?」

 ココ以外の人間など、取るに足らない。

 乾はぴくりと眉を動かした後、私から目を逸らした。

「オマエに関係ねえだろ」
「ある」
「ねえよ」
「あるったらあんの! つべこべ言わずさっさと言えよ!」

 乾の胸倉を掴み、声を荒げて問いただす。私の知らないココがいる。そう思うだけで気が狂いそうだった。私がずっと傍にいたのに、何アイツ勝手な事してんの。ギリギリと奥歯を噛みながら乾を殺気立った眼差しで睨み上げる。いつの間にか、乾は私よりでかくなっていた。

 乾は冷たい眼差しで私を見据えていた。間近で見るとその瞳には軽蔑が浮かんでいる。私の苛立ちを煽るにはそれだけで十分なのに。

「金だよ」

 私の心の奥底に刃を突き立てるように、冷たく鋭い声で乾は事実を口にしていく。

「アイツ、オレの姉貴を助ける為に四千万稼ごうとしてんだよ。だからガキ使って効率よく金稼ぎしてる」

 篠田麻美という精神を形取る体にピキッと亀裂が入った。瞬く間に細長く裂けていき、あっという間に分断される。理性や平常心は散り散りに消えていった。

 ココが読んでいた本のタイトルを思い出す。法律に関するものか、経済に関するもの。私が読んだら三秒で寝てしまいそうな難しい本を、一心不乱に読んでいた。
 それもこれも全部赤音さん≠フ為。
 引きずるなんてものじゃない。ココの心はずっとあの女に囚われていた。

 私の体の内側で炎が迸り、皮膚を突き破らんばかりに縦横無尽に暴れ回る。溶岩流に呑み込まれたみたいに、体が熱い。息が出来ない。

 私が隣にいる間、ココはずっとあの女の事を考えていた。

 嫉妬心が私の体を内側から焼いていく。

 胸ぐらを掴んだ先にある乾の顔は、あの女によく似ていた。憎しみからひきちぎりかねない勢いでスエットを掴む手に力がどんどん籠っていく。

 オマエのせいで。
 オマエのせいで、ココは。
 私は……!

 憎しみの籠った眼差しを正面からぶつけられているにも関わらず、乾は全く動揺していなかった。乾の私を見る目は何も浮かんでない。女子からミステリアスだと騒がれている瞳は虚無感で埋め尽くされている。

「……もう、いいのにな」

 水滴のような声が私の心を小さく打った。「……え?」と言葉の意味を問う。

 もういいって、何。

 乾は私に視線を向けながらも私を見ていなかった、私を通してもっと遠くを見つめている。

「赤音は死んだのに、なんでまだ続けてんだろ」

 遠く遠く、遥か向こうの空を見つめながら、独りごちるように呟いていた。
 
 その声はひとりで完結している。私の返事を少しも求めていなかった。





 青白い月が溶け出すように空から姿を見せた頃、ココも図書館から出てきた。いつも閉館時間まで粘るココに私は付き合ったり付き合わなかったり。だけど今日は図書館に入らず、ココが出てくるまでずっと待ち伏せしていた。

 図書館では話せない。
 図書館は私語厳禁だ。声を荒げてはいけない。
 これから持ち掛ける話題を、落ち着いて話せる自信が全くない。

「ココ」

 私を見ると、ココはぴくりと眉を上げた。何の感情も宿さない瞳を私に向けながら「なに」と形だけの質問を取る。いつもクールなココ。だけど、赤音さん≠ノは顔を赤らめながらプロポーズをする。赤音さん≠フ為なら、四千万本気で稼ごうとする。

 赤音さん≠ェ死んだ今も、稼ごうとしている。
 ココらしくない愚かな行為が忌々しい。ダサい。バカじゃん。苛立ちと悔しさで奥歯を噛みながらぎゅっと拳を握りしめる。暴れ回る感情を必死に抑えながら「話がある」と言った。

「オレはない」

 相変わらずの突き放すような響きを含んだ素っ気ない声に、カッと怒りが噴き上がる。赤音さん≠ノはそんなこと言わないくせに……! 平然と私の横を通り過ぎようとしたココの腕を掴むと、その手を私の胸に当てた。驚愕に見開かれた切れ長の瞳を睨みつけながら、猛々しく言いつける。

「私の言う事聞かなかったら、ココに襲われたって叫んでやるから!!」

 両手でココの手をぎゅうっと胸に押し付けさせながら凄んでみせると、驚きでいっぱいの瞳に平常心が戻った。「はーっ」と呆れたような溜息が、私達の間に流れ込む。鉛色のような空気が横たわった。

「なに、話って」

 心底つまらなさそうに促してきたココに苛立ちを抱えながら「ここじゃ嫌」と返す。

「話長くなるから、座って喋りたい」

 そう言うと、ココはわかりやすく顔を歪めた。



 公園に場所を変えた頃には、夜は青から黒へと変化していた。
 夜にココと二人っきりで公園で会うようになる頃には、私達は付き合っているものだとばかり思っていた。現実は違う。ココはまだ、私以外の女に焦がれている。忌々しさのあまり、吐き気を催した。

 ベンチに足を組んで腰を掛けるココの黒髪を街燈が照らすと、さらさらの黒髪が鈍く光る。思わず吐息が零れるほど綺麗で、痛感する。心臓が叫んでいた。ココが欲しい。九井一という男が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。私を作り上げる全ての細胞が、ココを求めている。

 その為に、私がやるべきことはただひとつ。

「悪いことしてお金稼ぐのやめなよ」

 ――私がココを救わなければならない。

 ココは目玉をちろりと動かすと、ふんと鼻で笑った。私の顔を下から覗き込むように首を傾げると「なんで?」と嘲笑混じりに問いかける。

「なんでって……。手っ取り早く稼げるからって、皆泥棒とか詐欺してたら日本終わるじゃん」
「篠田って国の行く末案じるタイプだったっけぇ? 意識高いじゃん。偉い偉い」

 相変わらずの人を食ったような物言いに、ただでさえ苛立っている私は更に苛立ちを煽られて「アンタねぇ!」と激昂しかけるが寸でのところで留まる。
 落ち着け。落ち着け、私。ココは今、とても傷ついている。好きな人を亡くし、深い悲しみの中溺れているんだから。
 ココを救えるのは私だけ。私が救わないといけない。

 怒りでぷるぷると震える唇を無理矢理上げて、にっこりと微笑んでみせる。大丈夫。大丈夫だよ、ココ。私はわかっているから。

「もういいんだよ、ココ」

 暖かく優しい眼差しをココに向けながら、甘くとろけるような声を滴らせた。

「もう、赤音さんのことで頑張らなくていいんだよ」

 私が彼女の名を紡いだ瞬間、ココの目が大きく見張られた。何でオマエがその名前を知っている、とでも言いたいのだろうか。吃驚してるココが可愛くて、ささくれ立った心が撫でられたように安らぐのを感じた。私はココの事何でもお見通しなんだからね。

「四千万だっけ。赤音さんの為に必死にお金作ろうとしたのは偉いよ。でも……、ココのやり方でお金集められても、赤音さんは喜んでくれるかなぁ?」

 楚々として目を伏せながら、悲しみをたっぷり籠めて諭しかける。ちらりと上目遣いで見上げると、ココの表情は凍てつくように固まっていた。生気がない。ああ、今まで私のように直球でココにぶつかった人間はいなかったんだなと歓喜で口元が緩みかけた。でも、まだ駄目。まだ笑ってはいけない。

「乾から聞いたんだけど、赤音さんココの事、弟みたいに可愛がってたらしいじゃん。よかったね、綺麗な人に可愛がられて!」

 赤音さん≠ノとってココは弟の友達それ以上でもそれ以下でもないと、私は暗に言い含める。実際あの女がココの事をどう思っていたかなんて知らない。知りたくもない。
 乾も赤音さん≠烽ヌうでもいい。私が欲しいのは、ココだけ。

「今はまだ考えられないと思うけど、ココ、モテるんだし、新しい恋を始めようよ。赤音さんも天国からココが幸せになる事を望んで――、」

 飢えた獣のような俊敏さで、ココが動いた。

 突然、喉元に強烈な圧迫感を押し付けられた。何かを思う暇もなく、ベンチに背中から叩きつけられる。

「くっ、あ゛……っ」

 二つの手が私の首元に巻き付いていた。ぎゅうぎゅうと雑巾を絞るようにして締め付けている。白黒に点滅する視界の中でいつも冷静な瞳がぎらぎらと血走っていた。

「ざけんじゃねえよこのクソアマ……!」

 憎悪に塗れた声と眼差しが一直線に私に突き刺さる。もし視線だけで人を殺せるのなら、私は今この瞬間死んでいる。それくらい強烈な殺意の籠った視線だった。

 ココは私の事を殺そうとしていた。生まれて初めて本気の殺意を実感すると、全身を戦慄が走った。恐怖心が無尽蔵に次から次へと沸き上がる。今すぐこの場から逃げ出したい。だけど、私の首を絞め続ける手がそれを許してくれない。

『その、なんか、小学校の時に比べて怖くなったし』

 友達Aの言葉を『ココのことを何にもわかってない』と鼻で笑ったのはほんの数時間前だと言うのに、今や私がココに怯えていた。

「テメェに何がわかんだよ、知ったような口を叩いてんじゃねえよ……!」

 嵐の如く激しい殺意の中に晒される中、擦り切るような怒気の孕んだ声が切れ切れに聞こえてくる。ギリギリギリギリギリギリ。喉が圧迫され、気道を確保できない。酸素が回らない。息が出来ない。意識が遠のいていく。

 嘘でしょ。私、死ぬの?

 死が目前に来ている事を実感すると、『嫌だ』と閃くように思った。嫌だ、嫌だ、嫌だ、私死にたくない! 生存本能が目を覚まし殺意から逃れようとココの手を両手で掴む。だけどいつの間にか、ココと私の間には圧倒的な力の差が生じていた。ココは男で、私は女だった。叶わない、どうしても。どう足掻いても。嫌だ、嫌だ、嫌だ……!

「オマエ如きが赤音さんを語んじゃねえよ!!! 殺すぞ!!!」

 激しい激昂を前に、私は何も言えない。首を絞められているからだ。
 ココは怒っていた。
 それ以上に、悲しんでいた。
 私は何もできない。
 だって首を絞められているから。声を掛けようにも声を発せない。

 そう、だからしょうがない。しょうがないことなんだ。

 ココの痛みなんて、わかんないし。

 恐怖心からか生理的なものかわからないけど涙が溢れ出る。それがそのまま頬を転がり落ちていくと。

 首から手が引いていった。

「ゲホ、ゴホッゴホゴホッ」

 解放感が広がると同時に私は嘔吐くように咳き込んだ。手を離された今もまだ喉元に違和感が残っている。喉の奥がひゅうひゅうと鳴っていた。
 胸を抑えながら噎せている私をココはつまらなさそうに見下ろしている。

「次言ったらマジで殺す」

 殺意を突きつける声には虚無が広がっている。何の温もりもなかった。
 私から退いたココは何事もなかったように、公園から出ていく。躊躇うことなく、私を置き去りにした。

「ゴホッ、カハッ、……っ」

 じわじわと、私に何かがにじり寄る。真っ黒な靄はあっという間に私を支配した。ココが好き。淡くふわふわとした甘酸っぱい感性はなぶられるように憎悪に塗り潰されていく。

 励ましてあげたのに。
 救ってあげようとしたのに。

 なのに、なのに、なのに……!

 屈辱で奥歯を強く噛み締める。拳を強く握りしめるあまり掌に爪が食い込んだ。可愛さ余って憎さ百倍とは昔の人間はうまいことを言ったものだ。私のココ――九井への好意はオセロのようにひっくり返され、今や憎しみしかない。

 ぶるぶると体が戦慄くように震えている。ドス黒い何かが脳天から足の爪先まで駆け巡り、地獄の釜のように煮えたぎっていた。

 怒りと悔しさで潤んだ瞳を乱暴に拳で拭い取り、視界をクリアにした。さっきまで九井が座っていた空間を切り裂くように睨みつける。ひゅうひゅうと鳴っている喉奥から、憎しみが落ちる。

「絶対、許さない……!!」

 締め付けられた後遺症のせいで声は情けないほど掠れている。それがまた腹立たしかった。私はすぐにキレるけど、こんな風に気が狂わんばかりの憎しみでいっぱいなるのは初めてだった。赤音さん≠ノ対する憎しみがママゴトのように思える。

 すべてを焼き尽かさんばかりに燃え上がる憎悪を胸に、私は誓った。

 絶対に、復讐してやる。






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