惨めで哀れでカワイソウ



 光ってる。
 ずっとずっと、光っている。

『別によくね?』

 あの時の言葉がずっと、光り続けている。





 「こんな夜中にどこに行くの!?」とお母さんの怒号を無視して私は家を飛び出した。何回電話を鳴らしても九井は出ない。出ない事自体は良い。良くないけど、良い。あいつは奴隷の癖に私の言う事を聞かないからそれ自体は日常茶飯事だ。だけど今回はいつもとかってが違う。九井は、明らかに変だった。
 私の部屋から飛び降りる九井がスローモーションのように脳裏に蘇ると焦燥感が募り、大きな不安の塊がお腹の底で渦巻いた。

 九井、九井、九井九井九井……! 心の中で狂ったように九井を連呼しながら真冬の夜をあてもなく走り回る。夜の中に溶け切ったように、九井は姿を消していた。さっきまで一緒にいたのが夢だったのかと思えるほど、完璧に存在をなくしていた。

 九井がどこに行ったのか。思い当たる場所を虱潰しに消していくしかない。一旦立ち止まると、疲れがどっと押し寄せてきた。胸を抑えながら呼吸を整えるべく息を吐く。二月の風は身を切るように痛く冷たいけど、火照った体を冷ますにはちょうど良かった。

 九井が行きそうな場所、九井が行きそうな場所……!

 これまでの九井の情報を整理するために、意識を記憶の底に沈め、思考を巡らせる。絶対家には帰っていないという確信はあった。アッパーミドル層に位置づけられるであろう九井の両親は非行に走る息子に手を焼いている。『あの子の考えている事がわからない』と九井のお母さんは憔悴しきっているらしい。

 親も世間体も何もかもを捨てて、九井が叶えたかった願い。
 願いが潰えた後も、残滓に縋りついているくせに。

『イヌピーとオレ、決別したから』

 そんな簡単に、言わないでよ。 

 頭の芯が熱くなり、目の前が滲んだ。ぐいっと拭ってから、余計な事を考えるなとぶんぶん頭を振る。
 考えろ、考えろ考えろ考えろ……! 親指の爪を噛みながら必死に思考を巡らせ続けると。

『九井のチーム名ってなんだっけ、黒龍だっけ』
『いや、違う。今は東卍』

 いつかの会話が、閃くように脳裏を駆け巡った。

 今は、東卍。
 
 九井から東卍≠聞いた後、男友達に『トーマンって知ってる?』と訊いたら、男友達は目を輝かせて話し始めた。すげぇとかやべぇとかを多用しながらべらべらと長く語られたけど、要約すると東卍とは無敵のマイキー≠ェ率いる、負けなしの暴走族らしい。

『武蔵神社で集会しててさ、一回遠くから見てみたんだけどすげぇかっこよくて――』

 男友達との会話の記憶を強制シャットダウンすると私は再び駆けだした。肺が悲鳴を上げるよう痛んだけど、構わず走り続ける。今は東卍、という九井の言葉を繰り返し再生しながら駅に向かい、タクシーを拾う。

 いたいけな女子高生が暴走族の集会に乗り込むなんて、飛んで火に入る夏の虫のようなものだろう。質の悪い奴に捕まったらと思うと――腹の底から冷えた感覚がせり上がり、息が詰まった。暴走族に目を付けられた中学生カップルの彼女が殴られた挙句に輪姦された話を思い出し、恐怖で身体が震える。

「お客さん?」

 乗り込んだものの何も言わない私を訝しがる運転手に「えと」と呟いてから、唇を閉ざす。やっぱりやめようかと逃げ腰になった時、

『落ちてた』

 私のブラを平然とつまみ上げる九井が再生された。
 連なるようにここ最近の九井との思い出が続々蘇る。30分が限度だのめんどくせぇだの気合い入れすぎてて痛いだの――思い出す度に怒りがこみ上がった。
 私、全然復讐できてないじゃん。

「武蔵神社まで!」

 食い付かんばかりにいきり立ちながら宣言する。運転手が「はいよー」と呑気に頷くと、タクシーがゆっくりと動き始めた。腕を組ながら背中をもたれて、窓の外を睨むように見つめる。

 コケにされっぱなしだから。ムカつくから。まだ復讐できてないから、追いかけるだけ。
 だって九井は私のもの。
 だから地の果てまで追い回す。

 その為なら暴走族だろうがマフィアだろうがテロリストだろうが、突撃してやる。
 ビビる気持ちを怒りと苛立ちでコーティングした私はふうっと息を吐いてから、アイツがどこかに潜んでいるであろう夜に向かってガン飛ばした。




「んだよ、話って」

 現れるが否や、面倒くさそうにかつ鬱陶しげに乾は言った。九井といい乾といい、私にこんなふてぶてしい態度を取れるのはコイツ等だけなものだろう。

「ま、まぁまぁイヌピー君。女の子がこんなトコまで来てくれたんだからさ、そう言わずに……」

 現に、『乾呼んできて』と私が頼んだ金髪リーゼントの男子は私を見るなり『おお…っ』となっていた。
 東卍の集会場所に乗り込み乾の姿を見つけたものの私が隠れた繁みから乾まで大分距離があった。不良に敷き詰められた境内を突っ切り乾に『話がある』と言う事は命綱無しで綱渡りするようなことに思えどうしたものかと頭を捻らせているところで、金髪リーゼントの彼が視界に入った。コイツ、怖くない。見た瞬間に、怖くない不良だとわかり、声を掛けたのだ。

 集会の話を聞いた限り、どうやら東卍は天竺というチームと抗争するらしい。天竺は後ろからバイクで突っ込んで襲ったり武器を使用したりとなんでもありのヤバイチームとの事。東卍は暴走族だけど卑怯な喧嘩はしない集団、らしい。少なくとも天竺よりはマシなようだ。

 九井に残ってほしかった。けど実際に残っていたのは、乾だった。

 落胆に沈みながらも、私はどこかで予想していたのだろう。乾の姿を見つけた瞬間に『やっぱり』とすとんと納得が胸の中に馴染んだ。不良にマトモも悪いもないと思うけど、もし九井がマトモなチームに属しているんだったら、あんな風にヤケクソのように荒れないだろう。

 というか、乾も金髪リーゼントもひどい怪我だ。九井よりもひどい。この二人もヒグマのような人間に襲われたのだろうか。疑問が沸くけどそれよりも聞きたいことがある。

 どうして九井と決別したのか。九井は今天竺にいるのか。天竺とはどこにあるのか。

 この三つを乾に問いたださなければならない。

「なんで九井と決別したの?」

 前置き無しに単刀直入に質問すると、乾は右眉をぴくりと動かした。連なるように、火傷に覆われた皮膚も一緒に動く。

「なんで知ってんだ」

 目の据わった乾が低く唸るように、私に問いかけた。野犬のような獰猛な目つきにたじろぎかけたところで負けん気が働き、足に力を入れて踏ん張る。つんと澄ましながら「九井から聞いた」と答えると。

「ココとどこで会った!?」

 乾にものすごい勢いで肩を掴まれた。激しい剣幕で私を問い質す乾に圧倒され口が効けないでいると「どこで会ったか聞いてんだよ!」と強く揺さぶられる。前髪の隙間からこめかみに血管が浮かんでいるのが透けて見えた。

「イヌピー君! イヌピー君落ち着いて!」

 私と乾の間に金髪リーゼントが割り込み、乾を私から引き剥がす。すると乾ははっと我に返り、チッと舌を打ってから、やる瀬なさそうに唇を噛みしめた。

 九井は強がりながらも乾との決別を何て事なさそうに言いのけていた。でも、乾は取り繕わずに九井を求めている。二人の間で決別≠ノ大きな認識があるのは間違いなさそうだった。

「……普通に、うちらの地元だよ。乾達みたいな怪我してたから、手当てした」

 乾の質問に呟くようにして返してから、私は乾を睨みつける。私は質問に答えた。だからオマエも答えろ。その意を籠めて強く睨み上げると乾は私の言わんとすることを汲み取ったようだ。小さく息を吐いてから、私に焦点を合わせる。

「決別してねぇ。ココは無理矢理攫われたんだよ、天竺に」

 乾はぼうっとした見た目に反して意外と感情的だ。今も淡々と話しているようで、声の節々からは怒りが噴き出していた。天竺≠ヨの強い憎しみを感じ、ぴりぴりと産毛がひとつずつ立っていく。普通≠フ16歳には出せない凄みのある雰囲気を纏っている乾に、いつものいたいけな女子高生の私なら及び腰になるだろう。だけど今の私は乾同様に気が立っていた。爆発寸前の怒りを抑えながら問いかける。

「天竺って、犯罪組織って自分で言ってるトコだっけ」
「そうだ」
「っ、なんでそんなとこに九井連れてかせたの!」

 乾の胸倉を掴んで怒鳴りつけると金髪リーゼントがハッと息を呑み「ちょ、ちょっと……!」と仲裁しようとしてきた。だけど私は構わず乾に罵声を浴びせ続ける。

「あんた喧嘩結構強いんでしょ! 何みすみす九井連れてかせてんの! ちゃんとしろよ!」

 乾の顔を睨み続けていると赤音さん≠思い出して怒りが更に増幅した。家族も友達も世間体も捨てた九井が唯一執着してるモノ。
 私が喉から手が出るほど欲しい権利をなんなくと有しているのに。私だったら、絶対何があっても手放さないのに、それなのに攫われた=H
 
 乾のあまりの間抜けっぷりに怒りは膨らむばかり。逆さづりにされたように頭に血が昇っていった。心の赴くままに乾に罵声を浴びせ続ける。

「死んでもすがり付けよ! バカ! 役立たず!」
「っ、あの……!」
「そうだよ」

 咎めるような声を出した金髪リーゼントを制止するように、乾は一度金髪リーゼントに視線を滑らせた。そして、私に再び焦点を合わせる。赤音さん≠彷彿させる垂れ目がちの瞳は凪いだ海のように静かだった。だけど、強い意志が瞬いている。その光に圧倒され言葉を失う私の隙を突くように、乾は口を開いた。

「オレは役立たずだ。ココを守れなかった。大切なモンも、腐らせた。認めるよ。だから、ココにも認めさせる」

 矢を射るような真っ直ぐな声が、私の心臓に届く。

「オレに赤音を重ねんなって」

 一言一言に、深い決意を乗せて。

 頭の芯まで真っ白に染まり上がる。上目蓋と下目蓋が最大限まで開かれていくのを感じた。何の脈絡もなく電源が落ちたテレビのように、思考回路がシャットダウンされる。

 キスに、気付いているのかはわからない。
 けど、知っていたんだ。
 九井が乾に赤音さん≠見出している事に、気付いていたんだ。

「オマエも認めれば」

 茫然自失としている間に、乾が私の手首を掴んできた。少年から男の手に変わりつつある大きな掌はなんなくと私の手首を覆う。

「……離してよ」

 乾の問いかけには答えず、目を逸らす。だけど乾は私の手首を掴むのをやめない。特別力を入れている訳では無さそうなのに、強い力だった。
 俯いているけどわかる。
 乾はきっと、赤音さん≠フような眼差しで私の心の奥底を見透かしている。

「ココが赤音を見る目と、同じ目をしてる」

 警報が鳴っている。
 心の奥底に押し込んでいた想いを、無理矢理こじ開けようとされている。
 聞いてはいけない。
 聞いたら、私は自分を保てない。

「オマエ、ココのこと、」

 ――『別によくね?』

 あの時の光が脳裏に淡く輝いた瞬間、警告音が強く轟いた。

「違う!!!」

 頭を強く左右に振りながら金切り声を上げて否定した。乾の手を振り払い、崩れるようにしゃがみ込んでもう一度「違う!!」と声を張り上げる。

「違う!! 違う違う違う!!! 私は違う!!!」

 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!
 心を塗りつぶすように何度も嫌い≠ニ呪うように唱える。だって嫌いだもん。私のコトいつだってどうでも良さそうにして赤音さんに見せる優しさの百分の一もくれなくてプロポーズもしてくれない。それどころか殺そうとしてきた。

「勝手にキモいこと言ってんじゃねーよ! クソ犬!! 死ね!!! 馬鹿!!! 死ね!!!!」

 膝小僧に額を擦りつけながら発狂すると、静寂が降りてきた。冬の夜に相応しい、肌を切り裂くような冷たい空気。
 氷柱のように鋭く尖った声が、私の心臓に抉り込んだ。

「マジ、救いようのねぇ馬鹿女」

 深く深く、奥まで入り込む。

 唇をぎゅっと噛みしめながら、更に額を膝小僧に押し付けた。

「行くぞ、花垣」
「え、ちょ、イヌピー君……!」

 取り付く島もない乾の声の後にハナガキ≠ニ呼ばれた金髪リーゼントの焦った声が続いた。二人分の足音がどんどん遠ざかり、やがて消えた。

 地球上に私しかいなくなったように、静かになった。

 だって、違うもん。
 もう一度、心の中で呟く。違うから違うと言った。それなのに馬鹿呼ばわりするとか、アイツほんとサイテー。中学もろくに通ってないくせに。葉緑体も知らなさそうな馬鹿に、馬鹿呼ばわりされる覚えはない。

 だからあんな馬鹿のコト気にする必要なんて、全くないのに。
 どうしてだろう。
 どうして、こんなに、目蓋の裏が熱いんだろう。

「うっ、ひくっ、う……っ」

 どうして、泣いてるんだろう。

 途方もない孤独感に自分という存在を塗りつぶされていくのを感じた。
 孤独感。私には縁遠いもの。
 私はずっとカースト上位者で友達作りに困ったことがない。ハブったことはあるけどハブられたことは一回もない。大体ハブられた奴って時折何か言いたげにこっちを見るだけ見て何も言わないからムカつく。言いたい事があるなら言えよ。ムカつくなら言い返せばいいじゃん、反論すればいいじゃん、私なら、

 敵意と疑惑の入り混じった眼差しを思い出すと、喉が詰まるのを感じた。

 私、なら?

「――あの!」

 真っ暗な目蓋の裏側に光が宿る。
 強い声の先に目を向けると、さっきの金髪リーゼントが立っていた。はあはあと息を切らしながら、私を凝視している。細い首に浮かんでいる喉仏を上下に動かしてから、ハナガキ≠ヘ私を一直線に見つめた。

「危ないんで、送ります」

 金色が輝いている。
 月光のような儚く、神秘的な輝きではない。

 太陽のように単純明快な、真っ直ぐな輝き。

 




 



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