5、未来は私に
まだ微かに闇が残っている住宅街の早朝は新聞配達の自転車が揺れて鳴るベルの音と、葉が揺れる音しか聞こえない。まだ二酸化炭素で汚れていない朝の空気はとても清々しく、息を吸い込む。

ねっみい…。

ふわっとモデルとは思えない欠伸を一発かまし、目を擦ってから、周りに人がいないことを確認する。断っておくが、これは欠伸をした姿を他人に見られていなかったかと心配するためではない。人がいないことを確認し終えた俺は、よし、と、あたりを憚りながら、こそこそと校内に侵入するようにして入った。

何故、俺がこんなことをしているのかというと、それは昨日の夕方にさかのぼる。

『黄瀬、お前しばらく朝練禁止な』

『え』

『え。じゃねーよバカ!』

ぽかんと口を開けている俺の頭を笠松先輩がジャンプして叩いた。ばしんっといい音が鳴る。

『お前この前の実力テスト下から数えた方が早かったらしいな。うちは文武両道。勉強しろ』

『そ、そんなァ』

『情けねェ声出すな!キモい!しばくぞ!』

しばくぞと言いながらしばかれた。本当に理不尽だと思った。


が、いくら怖い怖い笠松先輩に『朝練するな』と言われて『はいわかりました』なんて納得できるほど聞き分けのいい性格はしてないし、それに、俺はこの前の敗戦で、久しぶりに燃えているのだ。こんな泥臭い暑苦しい感情なんて久しぶりで、戸惑いもあるが、歓迎する気持ちの方が遥かに大きいバスケに出会った時と、同じような感覚が、心地よい。

と、いうわけで。
俺は女バスの体育館の前にいる。

こんなこと言ったら全国の男からリンチ食らいそうだが、俺は、女子受けがすこぶる良い。そう、それは女バスも同じ。なので、女バスにも朝練をしている人はいると思うので、その子に頼んで、バスケの練習スペースを分けてもらおうと、そう考えたのだ。相手がこちらをチラチラ見てきて鬱陶しく感じるかもしれないが、背に腹は代えられない。

朝練というには早すぎる時間だが、女バスの第三体育館からはキュッキュッとバッシュの音が響いている。しかも俺よりも早く来たということは、ものすごく早い時間には着いたということ。…すげえッスね。

「すみませーん、俺も、一緒に練習させ、て、」

続きの言葉は途中から喉の奥に引っ込んだ。

ああ、なんで気づかなかったんスか、俺は。
人目を避けるために早く来た俺よりも早く来て、こんな馬鹿みたいに早い時間から練習しているような馬鹿みたいに暑苦しい人間は。
俺の知っている限り、女バスにはひとりしかいないじゃないッスか。

「黄瀬くん…!?」

あー…出たー…。

ぱちくりと開いた大きな瞳に煌めきが宿っていくのを見て、俺は力なく笑った。

俺を見てはしゃぐ林野さんを落ち着かせて、ことの有様を話し、ここで練習させて欲しいと頼むと、もちろん!と首がもげそうになるくらい何度も激しく縦に動かして了承してくれた。

それは、いいのだが。

「…」

先ほどから、ずっと、俺のことを、じいっと食い入るように見つめてくる。そのうち体に穴が開いてしまいそうだ。人に、女子に、見つめられることは慣れている。が、なんだろう。林野さんが俺を見てくる視線は桃色の熱っぽい視線ではない。いや、熱っぽいといえば熱っぽいのだが、まるで子供がヒーローを見るような視線なのだ。

そんな視線、受けたことないから、どう対処したらいいのか、わからない。

「…あのー林野さん?」

「はっ!なに黄瀬くん?」

「そう見られていると練習しにくいんスけどー…」

場所を貸してもらっている手前、強く言えず、愛想笑いつきで優しく言う。すると林野さんは、なるほどと頷き「そりゃあそうだね!ゴメンよ黄瀬くん!」と自分の練習を始めた。

…あっさりというか、さっぱりというか。

林野さんは、今まで俺が出会ったことのない人種だった。黄瀬くん黄瀬くん連呼してくるところは一見普通の女子だ。だが、彼女の俺に向ける矢印は恋心ではなく、憧れ。

…憧れってなんなんスか。

俺のプレイスタイルは陰口をよく叩かれた。ただの人のパクリじゃねえか、と。そんなやっかみにいちいち落ち込むほどナイーブの性格じゃねえし、ハイハイと聞き流していた。むしろ嫉妬お疲れ様とバカにしていたくらいだ。黄瀬くんのバスケ超かっこよかったよ〜と黄色い声もよく受けたが、それは俺のバスケを見てじゃない。モデルの俺のバスケが強いということがカッコいい、ということ。

なのに、林野さんは。
俺のバスケが好きだと、曇りのない、真っ直ぐな瞳でそう言った。

そう言われて、嬉しいという気持ちよりも、戸惑いの方が、勝った。

ちらりと林野さんに目を遣る。

フェイクを一つ入れてからのドライブイン…って、え。

最後はダンクシュートにせず、ミドルシュートに置き換えられていた。

が、それはまぎれもなく。

「俺が使った技…」

ぽつりと零れた独り言は、林野さんの耳に届いてしまった。

林野さんは、見られていたことに驚いた様子で振り向き、次に照れくさそうに笑った。

「や、やー見られてたか。恥ずかしいな。まだまだ黄瀬くんのようにはいかなくてさー…。どうだった、今の!?なんかコツとかあるかな!?あっでもこういうのがウザいのかそうか…今の忘れて!!」

照れくさそうな笑顔から一転、ぱあっと目を輝かせたかと思うと、次にしゅんと落ち込み、慌ただしく手を振る慌ただしい林野さんの一連の動作を、じっと見る。

きっと、彼女は。

なんで俺が人からコピーした技の練習をするのと訊いたら、林野さんは、またよく訳のわからないことを言うのだろう。

『憧れている人の技って、使いたいじゃん!』とか、そんなことを。

俺のバスケが好きだと言った、あの時と同じ顔と声で。



「全然、違うッス」

「へ」

「そんなんじゃねえッスよ。俺が使った技は。最後のミドルシュートも打点が低かった。そんなんじゃすぐ盗られるッスよ」

林野さんはポカンと口を開けていた、が。見る見るうちに頬が紅潮し、瞳が輝き始め、

「わかった!」

と、大きな声で返事をした。









それから。
何故か俺はいつのまにかディフェンスの役をやって、もうちょっと入れ込みを深くして、だとか柄にもないアドバイスなんかしていたら。

「んじゃ、そろそろ終わりにしよっか」

「え!?もう!?」

「だって、あと10分で授業始まるッスよ」

林野さんか壁に備え付けられている時計に勢いよく首を回すと「ほ、本当だ!!」と目を見開かせながら声を上げた。

「楽しい時間ってあっという間なんだなあ…」

と、息切れしながら実感をこめて言う林野さん。

「…そんなに、楽しかったんスか?」

「うん!すっげー楽しかった!」

林野さんは間髪入れずに、笑顔でそう答える。

相変わらずこの子の考えていることは、わかりやすくて、わかりにくい。

何を考えているのか手に取るようにわかる時もあれば、突拍子もないことを言い出したりして俺を困惑させたりして。

けど。

憧れられることに、俺は慣れていなくて、どう対処していいかよくわかんねえけど、俺とのバスケをこんなに望んで、楽しんでくれている人とのバスケは、

くすぐったくて、嬉しくて、楽しかった。

「…次は、1on1する?」

「…ん?」

「次、その、こういう時間あったら、1on1しないかって、言ってんスけど」

前回、嫌味を交えて断ったくせに、再び俺からバスケしないかとの誘うのが恥ずかしくて、ぶっきらぼうにぼそぼそと言う。

「え、そ、その、もしかして、わ、私を黄瀬くんの弟子にしてくれんの…!?」

「弟子っていうか、あんたのバスケにちょいちょい口出ししたり、一緒にバスケやったりって、そんなことしてやるってぐらいッスけど」

そう言うと、林野さんの顔は喜びに満ち溢れていき、ぷるぷる震え始め、「やったー!!」と大きな声を上げながら、ガッツポーズをした。

「やったー!やったー!」

「…そんな喜ぶこと?」

「あったり前じゃん!だって、黄瀬くんの弟子になれたんだよ!?」

ぐへへと気持ちの悪い笑い声を漏らしながら、万歳三唱を繰り返す林野さんはものすごくアホで、恥ずかしい人間で、

「俺のバスケに付き合うってんだから、ちょっとはレベル上げてよ?」

「うん!私!頑張る!!」

こんな子に付き合おうとしている俺は、ちょっとマジでどうかしている。




未来は私に会いたがっている

「って、うわああ!もうこんな時間!」
「!?ちょっなんでここで着替え始めるんスか!」
「あ、恥ずかしかった黄瀬くん!ごめんね!私後ろ向いているから!」
「(この子マジでおかしい!!)」




prev next

bkm


top
- ナノ -